第5話 日常は砂、あるいは薄氷の上に②
バタ板を踏み切りつつ、上半身をしならせ地面に足をつけた瞬間に上半身のタメを開放する。さらに下半身で加速し、全力でバールを振り切る。
バールのヘッドが奴の腕を貫通し、脇腹に食い込んだ。手に伝わるやけに重い感触に意識の隅で首を傾げつつ、奴を吹っ飛ばすべく再び地面についた足に力を込め——られずに僕の方が吹っ飛んだ。
迫ってくるトラックに肝を冷やしながら荷台の上を転がり反対側へ。さらにバタ板を蹴り飛ばして距離を稼ぐ。
受け身を取って立ち上がり、バールを確認する……バールはバール状の物にクラスチェンジしていた。ヘッドの部分がスッパリと消え、鏡のように周囲の様子を映している。……ワイヤーカットをしてもこんな切り口にはならんぞ。バフ研磨してようやくって感じだな。
理屈はどうあれ、奴は周りの空間を取り込む事で僕に近づこうとしている。
奴に対して近づく方向で向かってくる物質は取り込めるが、その方向からズレた角度で侵入してくる物には対応が遅れるようだ。
さらに、黒メットは自力で動くことはないらしい。その代わり、奴の足は根を生やしたように地面から動かない。つまり、コチラからは動かすことはできない。
黒メットのもげた左腕の断面と、一部がえぐれ飛んだ胴体の傷の部分からは、濡れた砂のようなズクズクとした黒い物体が覗いている。
どうやら生物ですらないようだ。
「あ、でも、群体とかだったらそれはそれで厄介だな」
考えを巡らしているうちに、黒メットの左腕は空気に溶けるように消滅していった。
「どうやら、ガンバりゃどうにかなりそうだ」
僕はバール状の得物を両手で握ると、一息に黒メットとの距離を詰めた。
なるべく大振りでえぐり取るように黒メットを切り崩していく。
後ろから迫ってくる建物や車両等の障害物にさえ気を付ければ、後は体力勝負の単純なお仕事だ。
僕が足元に残った、奴の最後の一掬いを撃ち飛ばした瞬間、朝の雑踏が戻ってきた。
滴る汗をそのままに、僕はその場に座り込んだ。
ああ、しまった……残心ができてないって、また先生に注意されるな……。
随分と時間がかかったが、今何時だ? って、嘘だろぉ?
腕時計は七時ピッタリ——つまり、ここに着いた時間を差していた。
僕は思わず天を仰ぎ見て——。
「?……なんでいるの?」
アスファルトに座り込んだ僕を、良く知った人物が覗き込んでいた。
いつも通りの黒く艶やかな髪と整った顔、女性にしては高い身長の彼女はその外見もあって非常に目立つ。
そんな彼女がいつも通りの微表情で小首をかしげて僕を見ている。
彼女は別に感情が希薄というわけではないのだが、なぜか表情だけが乏しいのだ。
もっと愛想が良ければとか、黙っていれば美人とか言われる、そんな感じだ……本人は気にしてないみたいだけど。
「なんでいるの? なんて、喧嘩を売っているのかしら? ……買うわよ?」
「いろいろ事情があって、いつもより早く着いたから、アカ
「今日は、あなたが早く出発したからね」
「へ? なんで会うより前にその事を知ってるのさ! チョット怖いんだけど」
年は僕の二つ上で、この大学の2回生だ。
ロボット工学部のロボットAI学科、ロボット心理学研究室に在籍している。アカ姉が通うキャンパスは台地の下にあるが、部活の関係で朝はコッチのキャンパスに顔を出している。
台地の下のキャンパスは本来は違う大学なのだが、大学郡構想の実験的な施行がされている。そのため、学生は近似学部間でのみ、相互在籍が可能となっている。今の市長の提案で始まったこの試みに、市内の大学のほぼすべてがこれに参加し、それなりの結果を得ている。
さらに、彼女が在籍するこの大学は基礎課程を半年で終え、その後は何かしらの研究室に所属しなければならない。結果、入学当初に大学の近くに部屋をとったのだが、現在通っているキャンパスは台地の下という状態になってしまっているのだ。
さて、なぜこのような事情を長々と話したかというと、僕が登校前に大学に寄った事情が関係するからだ。そして、彼女が引っ越しをしない理由にも繋がっている。
簡単に言うと、彼女は僕に弁当を作ってくれているのだ。
三年前に家族を家ごと失った僕は、親の知人である先生の道場に間借りする事にした。
その一年後、この町の大学に入学した彼女がやってきた。僕のことを心配した彼女が同居を提案してきたのだが、流石に断った。その代わりとして、彼女がついでに作ったお弁当を受け取るという事で納得してもらったのである。
今でこそこの近くで一人暮らしをしているアカ姉だが、実家は僕とお隣さんだ。いわゆる幼馴染である。
……そして、僕の小さいころのあれやこれやを、年長である彼女は全て知っている……そう、僕達の間の力関係はお察しだ!
さらにアカ姉は昔から行動が大人びてて、加えてなんでも器用にできた。
僕の両親はそんな彼女に僕の世話のほとんどを任せており、当時二歳のアカ姉は僕のオムツ交換すらしていたらしい。もう、早熟の範疇を超えてるだろう? 転生者なの?
彼女から初めてオムツの件を聞いた時には、さすがに周囲の大人から裏を取った……そして訊いたことを後悔した。
つまり、この情報化社会において、僕は過去の情報のほぼ全てを握られてしまっているのだ! ……まあ、現在進行形で情報流出が起こっているようだがね……。
「何も怖いことなんてないわ。タカちゃんのことは、帰宅時間から起床時間まで、なんでも分かってるから、急な予定変更にも問題なく対応できるわよ? これは、むしろ安心材料じゃないかしら? そんな事より……はい、お弁当! また感想聞かせてね」
「うん! ありがとう! っって違う!! 今の言葉のどこに安心できる要素があるのさ? ウチに盗聴器とかしかけてないよね?」
「大丈夫よ。 盗聴器は仕掛けてないわ。そんな無粋なもの使うわけがないでしょう? 純粋に愛の力よ?」
「愛が全てを解決すると思うなよ。……ふう……まあ、今はいいや、良くないけど。ところでお弁当のことだけど、学食もあるし、無理しなくてもいいんだよ?」
「ついでだから別に気にしなくていいわよ。それに、タカちゃんが取りに来るから準備してるだけよ? 嫌なら取りに来なければいいわ」
……そんなん、無理でしょうよ?
そりゃあ、僕が頼んだわけじゃないけどさ、それでも僕のために作ってくれたものだよ? しかも、待っててくれるんだよ? 無視して素通りできるわけないよね?
ヘタレを甘く見ないで頂きたい!
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