第3話 日常のヒビ

 心地よいまどろみの中からゆったりと浮上する……自分の腹の音で目が覚めた。


 見慣れた部屋を照らす光が青いのは、日の出前だからであろう。

 六畳ほどの空間。入り口と反対側——南側に窓。

 東側の壁にワークデスクと、それに並んで高床が反対側の壁まで続いている。

 この高床の天板は畳になっており、これをめくると収納空間になっていた。


 渾身のDIY。何かと増え続ける私物を放り込むには大変都合がよい。


 高床の奥側のワークデスクの下に掃除機が入りにくいのはご愛敬。

 まあ、習慣化すればどうという事はなかったが。

 それより、机に向かいながらも、立たずに横になれることの利便性の方が大きい。

 万年床との相性は抜群だ! 座り作業→寝る→起きる→座り作業のサイクルを移動無しで行える。これでネトゲだろうが彫金だろうが、体力の限界まで趣味に没頭できるというものだ。


 そして部屋の中央、中空には東西を横断するようにハンモックが取り付けられている。

 天井付近に設置されたハンモックの上には着替えとカバンが置かれている。

 ここに洗濯済みの衣類を置いておけば、洗濯前の衣類と混ざらない! しかも、たたまなくても何とかなる。空いた時間は趣味にささげるのだ。


 ハンモックの向こう側、入り口付近には小さなシンクが置かれており、その周りに個人購入したIHヒーターと湯沸かしポット、電子レンジが鎮座している。まあ、時短のためのエッセンスだね。ちなみに炊飯器は先週壊れたので、連絡ごみに出した……。


 うむ。代わり映えしない僕の部屋だね。

 目が覚めたと思ったら、夢の中だったって事はないみたいだ。

 それにしても……今回はなかなかに趣味全開の夢を見られるようだ……。

 

 さてと、すぐに空腹を解消したいが今の気分はパンで手軽にって感じでははないのだ。

 とにかく、今は腹にたまるものを食べたい。米を炊いて、ザ・朝食を食べよう。

 僕は一階に降りると共有リビングに向かう。


 この建物は併設された道場の門下生の生活施設だ。門下生の何人かが共同生活をしている。

 道場の主人が後継者不足で閉鎖したお隣の工場をリノベーションした建物だ。

 良く入り浸っている、道場主の友人はシェアハウスだと言っているが、正直なところ微妙だと思う。

 しかし、寮というのも違う気がする。まあ、共同住宅でいいだろう。


 今この建物にいるのは僕一人だけだ。


 他の住人は遠征という名の旅行に行っている。

 みんな社会人だよね、ゴールデンウィーク前の時期なのに仕事は大丈夫なのか?

 ここから職場に通っている人もいたはずだよね?


 ゆかいな住人たちに思いを馳せつつ、まず米を高速モードで炊きながら味噌汁を用意して——などと考えながらリビングを横切りキッチンへ……おや? テレビの電源が入っている?

 いや、人が倒れている!



「……まったく……この人は……」



 テレビの前に倒れているのはここの家主の友人で自称行商人の男だ。

 彼は部屋を持っていないが、入り口の鍵は持っているため、勝手に出入りしている。

 大柄で筋肉質な体躯に褐色の肌。長く伸ばした金髪はおさげで一つにまとめられている。


 さて、この大男、普段は鋭い印象の作りの顔に、やり切った感を満面に浮かべ、幸せそうな表情で眠っている。

 それにしても、カーゴパンツにアロハって、どこに行っていたんだろう?

 真っ黒なテレビ画面の右下にはFinの白文字、手にはコントローラー。


 うん、事件性はない。


 ほっとこう。まずは飯だ。


 手早く支度を整える。汁物の準備が整い鮭の焼ける匂いと米の炊ける匂いが胃袋を刺激する。



「つまみ食いは感心しませんよ? ジンバさん」

「やだなぁ。鷹揚たかのぶ君……俺を疑ってる?」

「気配を消して近づいておいて、言い訳できると思ってるんですか?」

「でも、俺の分もあるんだろ? 食べても良いんじゃん?」

「やっぱり、つまみ食いする気満々じゃないですか」



 言いながら僕は二人分の朝食を盛りつける。自分の分がないと煩いからな、このヒト……。



「もう少しかかるんで、先に顔洗って来てください」

「ありがとぉ! 俺は常々君が嫁に来てくれるなら、新たな扉を開くのもアリではないかと思っているよ!」

「僕はノーマルなので、他所でやってください。変なこと言ってると、おかわりを禁止しますよ?」



 琥珀色の片目を閉じてジンバが戯けながら洗面台へ向かう。

 鷹揚は盛り付けの仕上げに取り掛かった。


♢♢♢


「で、今回はどんな夢よ?」



 大きな手で器用に箸を使いながらジンバが問いかける。

 箸で僕を指しながらなのは……まあ文化の違いだろう。

 僕も体は大きい方だが、ジンバさんはそれ以上にデカい。

 筋骨逞しい二メートルを超える体格に鋭い目つき……出会った当初なら軍人と言われても信じただろう。


 対して僕はがっしりと大きな体だが、人畜無害な顔つきをしているらしい。

 肩幅が年相応に未発達なせいか大きな小熊のようだと言われる……納得いかん。


 高校の登校時間まではまだ十分な余裕があるし、もともと鷹揚もジンバさんに相談しようと思っていた。ここは流れに乗るべきだろう。僕はそのまま夢のあらましをジンバさんに説明した。


 未来の宇宙港のような場所で、女性士官らしき人に親切にされたこと。

 トラムで移動中に施設の電源が落ち、緊急連絡も繋がらないので、徒歩で脱出しようとしたこと。

 途中で爆発音と衝突音、それに加えて悲鳴が聞こえたのでそちらへ向かうと、どう見ても軍用機の戦闘場面に遭遇したこと。

 劣勢な方の機体と格納庫のスピーカーの接続が切れていないようで、その声が先ほどの女性士官の声に酷似していたため、咄嗟に作業用の特殊車両で戦闘に割って入ったこと。

 戦闘終了時に気を抜いたタイミングで自分が取り付いていた機体が倒れ下敷きになって死んだであろうこと。



「ぶはははは! 間抜けー!」

「笑わないでくださいよ! 夢って言ってもこっちは死んでるんですよ? 夢のくせに感覚はやたらリアルだし」

「でも夢ん中じゃん? どうせ今回もいつも通りクリアするまで同じ夢を見るんだろう? お兄さんが攻略法をアドバイスしてやるよ」



 いつからこんな夢を見るようになったのか。最初はビル火災から逃げる途中で一酸化中毒で死んだ夢だったと思う。

 普通の夢なら起きたら忘れているか、覚えていても悪夢を見たという事で終わってしまうだろう。

 しかし、僕の夢はミッションをクリアするまで、何回でも繰り返し見るのだ。

 しかも、夢の中にいる間は前回までに経験した、その夢についての内容を覚えていないのだから厄介だ。そのおかげで寝ている間は夢を夢として認識できない。そのくせ、起きてい間に考察したことは活かせるのだから、夢から感じる異常性はいや増すのだ。


 夢の中で死ぬたびに、次の睡眠で夢で起こるイベントを最初からやり直すことになる。


 毎日続く悪夢にいい加減うんざりして、医者にかかろうかと思った時、ジンバさんに声をかけられた。

 彼に言わせると「すっげー! 無料の仮想現実ゲームじゃん! 俺も実用化したら是非やりたい!」と、流暢すぎる日本語で夢の内容を根掘り葉掘り聞いてくる。

 それ以来、ジンバさんは会う度に僕の夢の考察をホントにしつこくやりたがるようになった。

 内容を聞いて彼流の対策を一方的にでも話せれば満足するようで、一通り勝手に喋った後は絡んでこない。

 そこで、最初は適当に内容を伝え、早めにご満足願うことを繰り返していた。

 ただ、このジンバさんの感想が、なぜか状況に上手く的中することが多く、最近では僕の方からアドバイスを求めることも増えていた。



「うおー! 新型機強奪イベントキター! どんな機体ヨ? 武装は? 変形とかは? しかも、作業用の特殊車両でハンディキャップ戦闘とか燃えるー!」



 アドバイスの件……今回はダメかもしれない。



「それにしても……」ひとしきり騒いで満足した後で、ジンバさんは急に表情を引き締めた。



「その士官のお姉さん、真木さんだっけ? ちょっと気になるな」

「何かありそうですか?」



 ジンバの考え込むような態度に、やにわに期待が高まる。



「夢の前半で美人のお姉さんに昼飯奢ってもらったんだよな?」

「ええ、施設の設備で迷惑をかけたお詫びだって。 休憩中なのにいい人ですよね? 美人は関係なくないですか?」

「昼食の時にお姉さんとシケこんじゃえば、初体験狙えんじゃね?」



「へ?」変な声が出た。



「普通、そんな理由で昼飯奢ってくれないって! ぜってー向こうもお前を狙ってるよ! 良いじゃんいっちゃえよ! ユーいっちゃいなヨ! で、是非どんな具合だったか教えてくれ!」



 急激に頭の中が冷えてきた……うん、学校行こう。



「では、学校に行きますんで、ジンバさん、外出するときは戸締りに気を付けてくださいね。 それから、食器を洗っておいてください。じゃ!」

「え、まだ早いよ? もっと話そうよ。色々せっとk……じゃない、アドバイスするよ?」


 僕はサッサと身支度を整えて、自転車を準備する。



「帰ったら続きを話そうぜ? なんか美味いもん作っとくからさ!」

「今日は部活で大学に行くから、いつもより遅いですよ?」

「問題ない。一杯やりながら待ってるよ。 それより、この前の夢の中で出せるようになった、か◯は◯波は起きてる時も出せるようになったか?」

「うるさいですよ。出るわけないでしょう」



♢♢♢


 鷹揚を見送り、ジンバが玄関に戻ってきた。

 ジンバが玄関の框に足をかけた時、彼の携帯に着信を知らせるアラームが響く。



「ほいほい、ミラクルセクシー、ジンバさんの携帯ですよ〜。……ほっほ~う、そろそろ来るかなっとか思ってたけど、思ったより早かったね。……コッチ? 順調なんじゃないの? ……もちもちろんろん、こっちも準備したりしなかったり頑張ってるよ? ……そぉりゃジンバさんだって休憩くらいするからね? ずっと準備作業しっぱなしじゃないよ? 準備したり、ごはん食べたり、準備したり、お醤油借りた……切れちゃったよ。傷つくなぁ」



 ジンバが携帯端末を振ると、小さな黒い渦を残し携帯端末が消失した。黒い渦も程なく空中に溶けるように消える。



「さて、鷹揚君、みんなが君の体を欲しがっている。君は無事に生き延びることができるかな? お兄さんは楽しみだよ」

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