37
一年半後。
入道雲が遠く立ち昇りクマゼミが鳴きしきる昼下がり、博多のウエディングホールで結婚式が行われた。
有名画家の挙式とあって、記者たちも集まっていた。
新婦は、新郎の妹の友人の優だ。
優が一方的に正太と関係を結び、結婚に漕ぎ着けたのだ。
優が正太の童貞を奪った日、彼女が告げたプロポーズの言葉はこうだ。
「こうなった以上、正太さんは、私と結婚せんと、死刑になるとよ」
その言い方が深刻で、その時の優の赤い顔があまりにも怖かったので、正太は怯えた目をした。
「お、おいは、し、しけい、すかん。すかん。しけい、って、なんね?」
うろたえる正太を抱きしめて、優はやさしくキスをした。
「大丈夫。わたしが正太さんを助けるけん、なーん心配なかとよ。わたしが正太さんと、ちゃんと結婚しちゃる」
「け、けっこん、って、ふろほーす、のこと?」
「ふろほーす? ああ、プロポーズね。正太さん、何でも知ってるね。物知り、物知り」
優は両手の指で恋人の頬を触って、褒め称えた。
温かい手のひらに包まれ、正太の顔はしわしわに笑った。
「結婚式はね、おいしいものを、好きなだけ食べれるところよ」
正太はそう教えられていた。
だから式場で初めは上機嫌だった。
だけど恐ろしい人間たちが、うじゃうじゃ寄って来ては、飲めないビールや日本酒を飲ませるものだから、しだいに正気を失っていった。優がお色直しでいない間、夏実と信雄が正太の横に来て、代わりに受けたお酒を飲んだ。
「ひ、ひておさん、なっちゃんに、ふろほーすした」
と、へべれけの正太が夏実に絡んだ。
「お兄ちゃん、それ、いつの話? 昔の話でしょ? 何言いだすと?」
腫れ物に触られたみたいに、夏実は睨みつけた。
「ゆうちゃんも、おいに、ふろほーす、した。おいは、ふろほーす、しってるから、ものしり、って。ものしり、って、なんね?」
真っ赤な顔で問う兄に、妹は首を振った。
「たぶん、そんなこと聞くお兄ちゃんは、物知りじゃないと思うよ」
「おいは、ものしり、って、ゆうちゃん、いった。ゆうちゃん、とこ? そ、いえは、ひ、ひておさん、すっと、すっと、あってない。ひておさん、とした?」
不安げにかしげる頭を夏実は小突いた。
「その人はもういないの。その人の話は、もうしないで」
「の、のぶお、も、なっちゃんに、ふろほーす、した?」
正太は妹の向うの信雄を血走った目で見る。
夏実はもっと強く兄の頭を小突いた。
「ばか、何言いだすと? 信雄さん、ごめんなさいね」
夏実は振り返り、信雄に頭を下げる。
信雄も正太に負けず酔っていて、頬も赤い。夏実をじっと見つめて打ち明けた。
「おれは、そうするために、また日本に戻って来たとよ」
「もう、信雄さんも、変なこと、言わんでください。ああ、顔に火がついちゃったみたい」
「おれは、本気だよ。中学の時から、好きだったから」
目力マックスで口説く信雄に、夏実は体を引いて首を振る。
「ごめんけど、あたしはあんたが大嫌いだった。あんたは、お兄ちゃんをいじめていたし、あたしにいやらしかった。あんたが変わったことは認めるけど、男として見るのはムリ」
信雄はマネキンのように固まったが、急に両手を顔の横に上げてぼやいた。
「うわあ、鋼鉄の扉を閉じた上に、爆弾を投げて、おれをこっぱみじんに砕きやがったあ」
正太が嬉しそうに笑った。
「なっちゃん、のぶお、きらい。なっちゃん、ひろしくん、すき。ても、ひろしくん、すっと、すっと、いない。ひろしくん、とこ、いった?」
しゃべっているうちに、涙を浮かべた。
夏実も正太も顔を見合わせて悲しい目をした。
夏実が振り返って、さみしげに言う。
「あの人は、もう、おらんとよ」
正太が首を振ると、涙がこぼれた。
「ひろしくん、いる。ひろしくん、いる」
「あ、ちょっと、お兄ちゃん・・」
と夏実が叫んで立ち上がった。
正太がふいに椅子を倒して駆け出したのだ。
酔いが回って人やテーブルにぶつかりながら、広間を飛び出して行く。
夏実と信雄もよろよろしながら新郎を追った。
白からピンクにドレスアップして入場しようとしていた新婦の優も、びっくりして後を追った。
階段を下り、中庭の松の木の横の芝の上で、やっと足を止めた。
夏実が兄の腕をつかんで声を荒げた。
「お兄ちゃん、何しよっと? 結婚式の最中よ。早よ戻らんと。ほら、優ちゃんも、来たじゃない」
「正太さん、どうしたとお?」
と息を切らせながら優が尋ねる。
正太は、松の木の上を指さして、懸命に訴えた。
「ひろしくん、いった。この、あおそらに、ほし、みつけたら・・ひるのほし、みつけたら、おいと、ひろしくん、は、ほんとうの、ともたち、に、なれる、って。やけん、おいは、こんとこそ、きっと、みつける。ひろし、しょうた、ほし、みつける。やけん、ひろしくん、きっと、かえって、くる。おいは、ひろしくん、と、ほんとうの、ともたち、なる」
夏実の顔が、紙の仮面が潰れるように壊れていった。
「そんなこと言っても、辛くなるだけやけん・・あいつのことは、もう、言わないでえ」
正太は首を振って、青空を見つめた。
「ひろしくん、と、おい、は、ほんとうの、ともたち。ともたち」
優が正太を背中から抱きしめた。
「そうよ。正太さんと、浩さんは、最高の友だちよ。だから、ね、浩さんを、忘れんでよかとよ。ほら、浩さんは、いつでも、あの、空のどこかに、いらっしゃるでしょう?」
星を隠した青空も、彼らを悲しく見つめ返していた。
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