26

 あきらめて階段を降りかけた時、浩は二階の奥に別のレストランを見つけた。

 駆けて行くと、そこは中華料理店だった。隅々まで見て回ったが、夏実に似た娘は見当たらない。

 仕方なく店を出ようとした時、見覚えのある男と目が合った。角刈り頭の四角い顔の四十歳くらいの大男だ。相手も浩に気づいたようすだ。浩は歩みを変えずに、目をそらし、彼のテーブルを通り過ぎた。

『逃げなくちゃ』

 と心臓が危険を発していた。

 だけど出口の前で立ち止まったのだ。

「今、夏実への手掛かりは、この男しかいないじゃないか」

 とつぶやいていた。

 振り返ると、四十男の向いで食事をする若い大男と目が合った。

 思わず涙が込み上げてきたので、浩は背を向け、店を出た。そして長椅子を見つけると、ふらふら座り込んだ。

「ああ、よかったあ。よかったあ。生きていたよ・・」

 涙をこぼしながら笑った。

「おれは人殺しじゃなかったんだ」


 その二人が中華料理店から出て来たのは、それから十五分ちょっと過ぎてからだ。

 長椅子に座ったままの浩は、そっぽを向いて、通り過ぎるのを待った。

 なのに二人は浩に近づいて来て、年上の方が話しかけた。

「こんにちは」

 浩は首をかしげてみせた。

 年上の方の大男は、愛想のよい笑顔を見せた。

「野崎画伯の家に通われている人ですよね?」

「どなたですか?」

 と浩はとぼけた。

「以前、野崎家の警護をしていた、野田といいます。この男は、交替で警護をしていた、伊藤です」

 伊藤と紹介された若い男は、黙ったまま頭を下げた。

 浩は「ああ」とうなずいた。

「思い出しました。お二人が、似ていらっしゃったので、親子かな、と思ったことがありました」

 野田が笑い声をあげた。

「よく言われます。外見が似てるうえに、こいつが髪型まで真似するから」

 野田が隣の角刈り頭を拳でゴツンとすると、伊藤は両手で頭を押さえて顔をしかめた。

「頭は、ダメですってばあ」

「あ、忘れてた。ごめんな」

 と野田は伊藤に謝ると、浩を意味ありげに見つめて説明した。

「こいつは、以前、頭に大ケガをして、死にかけたんです」

 浩は何も言わず、うなずいただけだったが、目は泳いでいた。

 野田は熱く見つめたまま問う。

「ところで、こちらへは、なぜいらっしゃったのでしょう?」

 浩は視線を斜め上にずらしたが、五秒後には見つめ返した。

「このホテルに、美術商の北野秀雄さんがいらっしゃると聞いて、野崎正太の絵のことで、お話することがあって伺ったんです。ああ、そういえば、お二人は北野さんの関係者でしたよね? 北野さんは、何号室にお泊りですか?」

 野田は困った顔をした。

「あいにく北野さんは私用で出ておいでです。夜にならないと戻らないでしょう」

「それじゃあ、今夜また来ますから、お部屋の番号だけ、教えてください」

「それなら今夜、まずわたしらの部屋を訪ねてください。718号室です。わたしが北野さんに取り次ぎますから」

 ガードの堅さに浩は笑うしかなかった。

「分りました。そうします。申し遅れましたが、おれは、野崎正太の友だちで、彼の絵の手伝いをしている、田口浩という者です。北野さんによろしく伝えてください」

 長椅子を立って、頭を下げ、浩は階段へ歩いた。下りながら振り返ると、彼らは浩を見ている。浩がもう一度頭を下げると、野田が手を振って、背を向けた。伊藤も彼に続いた。浩はさらに階段を下りたが、Uターンし、忍者のように足音を消して二人を盗み見た。野田がエレベーターのボタンを押している。浩は一階へ下り、エレベータの前に立った。そして移動表示を注視した。やがてエレベータ―表示は二階に止まり、それから上階へ昇った。停止したのは最上階の十三階だ。

「ということは、やつらが行ったのは、718号室ではないぞ。ならば、北野秀雄が夏実といる場所かもしれない」

 そうつぶやきながら、浩はエレベーターの横の扉を開け、非常階段を最上階まで駆け上った。

 最後は足音を忍ばせて上った。十三階には展望浴場があるが、開いていない。廊下を歩いてドアを観察しても、やつらがどこに入ったのか分からない。非常階段に戻り、扉の隙間から廊下を監視した。









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