第151話――カウンセリング


 相川あいかわは、会議室のドアを開けた。


 下座しもざに座っていた黒い上下スーツ姿の高倉たかくら刑事が腰を上げた。


 まだ復帰して間もないせいか、顔色は少し青白く、浮かない表情で彼女はこちらに頭を下げた。


 相川は言った。


九十九つくも刑事の事は、残念だった……」


 すると、彼女は目を伏せたまま頭を上げた。

 返事をせず、黙ったままだ。


「……ああ。座って」


 彼女は躊躇ためらいがちに腰を下ろした。

 相川は向かいに座った。

 彼は用意していた事務的な質問の前に、まず問いかけた。


「……体調はどう?」


 しかし、彼女は視線を下ろしたまま茫然ぼうぜんとしている。


「……高倉たかくら刑事?」


 相川がいぶかしげに問い直した。


「……あ……! すいません!」


 我に返ったように彼女は顔を上げた。

 相川は思わず眉をひそめた。


 以前の食って掛かってきそうな表情とは、まるで別人だ。

 相川はすぐに気付いたように、別の質問をした。


「……ひょっとして、……俺の事、おぼえてない?」


 その問い掛けに、彼女は大きく目を見開いた。


 それを見て、相川は彼女の置かれた状況が、想像以上にである事を悟った。

 用意していた質問のリストを端によけて、彼は控え目に問い直した。


「……九十九つくも刑事の事も……?」


 すると、高倉はようやく顔を上げて、強張った表情のまま口を開いた。


「……は微かに憶えているんです。でも、顔が……浮かんでこなくて……」


 相川は黙ったまま続きを聞いた。


「写真を見ても、……実感が湧いてこないんです。まるで……その部分だけ……消しゴムで消されたように……」


 そう言いながら、高倉は悲痛な表情を浮かべた。


 相川は松村まつむら刑事の話を思い出した。


 あの広場に足を踏み込んで、と。

 しかし、事件後、その焼け跡に足を踏み込んだ捜査官の身には何も起きていない。


 彼女はまゆを寄せたまま、尚も言った。


「その事件の詳細を聞かされました。九十九刑事が私達を守るために、その広場に足を踏み込んだと。そして、……犠牲になったと……」


 すると、こらえ切れないように大きく目をつぶり、


「……共に組んだ人が、どんな人だったのか。必死に思い出そうと……九十九さんの事を調べました。そしたら……彼には娘さんがいて、つい最近、婚約したばかりだと……」


 相川は黙って言い淀む彼女の言葉を待った。

 高倉は少しむせぶように、また口を開いた。


「一人暮らしのお母さんがいて……」


 そこで、言葉を止めてしまった。

 そして、気持ちを落ち着かせるように深く息を吐くと言った。


「彼女は、幼い頃に、男の子を病で亡くしていると……」


 少し涙ぐむような声をこらえると、高倉は鼻をすすった。


「……それなのに、またわが子を失うなんて……その気持ちを考えると……」


 しばらく会議室に沈黙が流れた。


「……まだとむらいに行けていないんです……」


 相川は高倉の顔を見つめ返した。

 彼女が意識を再び取り戻したのは、九十九刑事が亡くなってから二週間後の事だった。


「でも、その人の事を憶えていないのに、一体……どんな顔して、ご遺族に会いに行ったらいいのかって……」


 そう言うと、高倉はさらに悲痛な表情を歪め、泣きそうな自分を必死にこらえた。


 相川はかけてやれる言葉が見当たらず、先に用意していた質問をする気になれなかった。

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