第145話――本当の苦しみ


『よせ。自分がどうなるのか、わかっているのか』


 こえは言った。


 その間にも、周囲の木々に火が燃え移っていく。

 煙と熱の中、き込むのを必死にこらえながら、由良ゆら祝詞のりとを唱え続けた。


 目と鼻の先にいた彼女が、ついにを越えた。


 祝詞のりとを唱える由良の語調が、強まった。

 切断されていないもう片方の腕が、目の前に伸びてきた。


 突然、それをさえぎるかのように、せ細って根元がくさった近くの木が倒れてきた。


 伸ばしていた右腕にその木が直撃し、そのまま彼女は抑え込まれるかのごとく、その場で下敷したじきになった。


「ィィィイィィィィィ――――――――――」


 倒木を挟んだそのすぐ目前で、由良は胡坐あぐらをかき、尚も念じ続けた。


諸々もろもろ大神等おおかみたち大前おおまえに、かしこかしこみももうさく――」


 男性の声が強まった。


『道連れになるつもりか。甘く見るな』


 周囲のほのおの熱さで、由良の顔中に汗が浮かび上がった。

 声は尚も言った。


『自己犠牲とともに相手を滅ぼす。それが、だ。でも、君はまだわかっていない』


 その声を無視するように、由良はさらに深く目を閉じて、文言を発し続けた。


大神等おおかみたちひろあつ御恵みめぐみかたじけなまつり――――」


 火は次々と延焼していく。

 しかし、由良の周りだけ燃えていなかった。


 まるで、操られたのごとく、ほのおは彼の両側から回り込んで、彼女を抑え込んでいる倒木に燃え移った。


 彼女はそこから逃れようと、必死にもがいた。

 しかし、木はピクリとも動かない。

 ほのおは、倒木の両端から彼女の方へとじわりじわりと迫っていった。


 男性の声は言った。


『死んだら、終わりじゃない。そこからが、だ』


 その言葉に、由良は思わずつばを呑み込んだ。

 あらがおうとするかのごとく、また念じ続けようとした。


 さらに声は響いた。


『君も、私と同じように、する』


 由良は思わず、呪文を止めた。


『人の命を吸っていたのは、彼女だけではない』


 その言葉で、目を開けてしまった。


もだ』


「キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ――――――――」


 目の前の奇声で、由良は我に返った。


 見ると、押さえ込まれた彼女の腕が、まるで、倒木と一体化するように、炎に包まれていた。

 動揺した気持ちを必死に持ち直そうと目をしばたたかせ、再び祝詞のりとを唱えようとしたその時だった。


 由良は、あらためて気づいた。


 彼女の足が、もうすでに、広場のへと踏み出していることに。

 

 の呪いから、になっているという事実に。


 咄嗟に、由良は目をつぶった。


 何千年もの間、封印されていたその両瞼りょうまぶたが、開いた。


 黒光りした光沢のある、その双眸そうぼうあらわになった。


 その瞬間、目前にあった倒木は一瞬にしてへと変容し、ドサッと音を立て地面に落ちると、辺り一帯に飛沫ひまつした。


 彼女の腕から、火は消えていた。


 由良は目をつぶりながらも、はっきりと感じた。

 周囲で燃え盛っていた火の勢いが、徐々に弱まっていくのを。


 再びそれを起こそうと呪文を唱えようとしたが、時すでに遅しだった。


 あきらめたのか。

 由良は、そっと目を開けた。


 すぐ真向いに、肌蹴はだけ白装束しろしょうぞくの隙間から、異様に太いすねが見えた。

 土踏まずなど一切なさそうな分厚い偏平足へんぺいそく

 足指に絡む土の隙間から、所々に顔を出している黄ばんだボロボロの巻き爪。


 最後の抵抗か。

 もう一度目を閉じた。


 その場で、を読もうとした。


(……………………………………………………。なんだ……これは……)


 どこまでも、果てしなく続く


 それを埋めようと飽くなき追及を続ければ続けるほど、その虚空こくうという終わりなき宇宙うちゅうはますます広がって行く。


 そこにあるのは、のみだった。


 それを感じ取った瞬間、由良自身が、その天体ブラックホールに吸い込まれそうになり、思わず目を見開き、まじろいだ。


 自分の呼吸と心臓の音が、はっきりと聞こえるのがわかった。


 視界の真上からスッと、焼きただれたが下りてくるのが見えた。


 が鼻先にまで近づき、身が焦げたような異臭をはっきりと感じ取れた。


 万策尽きた由良は、その場から離れることを諦め、全てに身を任せた。


 ふと、前方から何かが聞こえてきた。


 目前の彼女の手が止まり、その身が振り返ったのがわかった。

 由良はその視線の先を追った。


 砕け散った磐座いわくらの方から聞こえてくる。


 由良は、耳を澄ました。


 それは、だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る