第138話――避行


「……!」


 九十九つくもは逃げ出そうとした。

 しかし、体は、もはや言うことを聞かなかった。


「……俺は……もうダメだ……。高倉たかくら由良ゆらを……」


 彼は声にならない声を松村まつむらに向かって絞り出し、まぶたを震わせると、そっと目を閉じた。


「……! 九十九さん! 九十九さん!」


 松村は必死に呼びかけた。

 しかし、返事はない。


 思わず広場に目をった。


 真っ赤に胴体を染め上げたは、何事もなかったかのように、その表情を、こちらに向かってゆっくりと一歩踏み出した。


 松村はその場で目を泳がせながら、懸命に冷静さを保とうとした。


(……三人まとめては無理だ……)


「二人を……先に」


 そばうつぶせになっていた由良ゆらが、半目を開けてかすれた声でささやいた。


(迷っている暇はない――)


「すぐに戻る!」


 松村は一人ずつ連れ出そうと、大柄な九十九つくもの体を抱きかかえた。


 しかし、プロペラ音が聞こえるだけで、ヘリの機体をはっきりと確認できない。


 上を見上げながら、彼は必死に木々が空をさえぎらない場所を探した。


「……!」


 他よりわずかに雲が見える場所に来た。

 彼は九十九を地面にそっと下ろすと、すぐさま両手を上げて思い切り横へ振った。


 だが、ヘリはまだ見えない。


「……頼む! 気付いてくれ……!」


 ふと思いついたように、松村はその場でオレンジの防護服ぼうごふくを脱ぎ始めた。


 上下黒のタイツ姿になった彼は、被爆の危険性を一切かんがみず、そのオレンジの衣服を必死に横に振り始めた。

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