第137話――彼女


 黒い何かが出てきた。


 よく見ると、土まみれのだった。


 青白い両手を地面につき、土の中から、その体を引く抜くように、両足を地面につかせた。


 は、ゆっくりと身を起こした。


 泥にまみれた白装束しろしょうぞくが見えた。


 突然、探知機のアラームが、ピタリと鳴り止んだ。

 辺り一帯に、静けさが漂った。

 

 広場の外にいた刑事二人けいじふたりの呼吸が、荒くなり始めた。


 遠方ながら、その顔がことは、すぐにわかった。


 は、閉じたままだった。


 おかっぱのような髪の毛。


 目尻は垂れ下がり、笑っているようにも見えなくはなかったが、そこからは感情の欠片かけらも感じとることはできない。


 その異常なくらいは、動かないままだ。

 離れた場所からでも、それは大きすぎると感じるくらいだった。


「……なんだ……あれは……」


 九十九つくもが蚊の鳴くような声でささやいた。


 は、立ったまま、まだ動かずにいる。


 体は大きくはなかった。

 幅は少しあるが、背丈は自分達と変わらないように見えた。


 しかし、そのものが醸し出すは、その体を何倍にも大きく感じさせた。


「…………は………………これが……………すごい……………………」


 広場に座り込んでいた石原いしはら教授が、震えながら腰を上げた。

 九十九と松村はそれに気づき、我に返るように彼を目で追いかけた。


 教授は見惚みとれるような顔つきで、そちらの方に足を踏み出した。


「……やめろ……行くな……」


 声が聞こえ、九十九つくもが顔を下ろすと、横たわっていた由良ゆら朦朧もうろうとしながらも目を開けて、同じ方向を向いていた。


 歩いて行くごとに、石原いしはらの顔に深くしわが刻まれ、髪の毛が白くなっていく。


 それらを全く気にも留めず、彼は誘われるように、に近づいて行った。


「……ふ……は……はは……はははははははははははははははははは!」


 不気味な笑い声を発しながら、左右に体をふらつかせ、との距離を徐々に詰めていく。


「……どれだけ会いたかったか……」


 次の瞬間、地面に倒れていた警官につまづき、彼はうつぶせに倒れた。


 その動かない隊員の体を下敷きにしたまま、彼は懸命に息を整え、震えながら上体をなんとか起こした。

 

 ひざをつき、立ち上がろうとした。

 しかし、思うように力が入らず、尻餅しりもちをついて地面に座り込んだ。

 それでも石原は天を仰ぎながら、また狂気じみた笑い声を発した。


 それが、聞こえたのか。


 が、彼の方を向いた。


 を、微塵みじんも変えないまま、じっと石原の方を向いたままだ。

 まぶたは閉じられたままで、彼が見えてるのかどうかもわからない。


 すると、は、ゆっくりと、教授のいる方向へと動き始めた。


「……逃げろ……」


 由良ゆらが届かない、かすれた声を発した。

 他の二人は茫然としたまま、その場から動くことができない。


「……かみは……」


 石原教授は、渾身こんしんの力を込めて再び地面に手をつき、ようやく立ち上がった。


かみは、実在じつざいした――――――――――――――!」


 教授は両手で握り拳を作り、噛みしめるように目を閉じた。

 彼の両目から涙が浮かび上がってきた。

 そして笑みを浮かべたまま、ふらついて、また、の元へ歩み始めた。


「……やめろ――――――! 早く逃げろ!」


 朦朧もうろうとしていた由良ゆらが、残された力を振り絞るように声を張り上げた。

 しかし、教授の耳には全く入っていなかった。

 彼は大きくよろめきながらも、急きたてられるように歩き続けた。


 そして、ようやく……


 の元へ辿り着いた。


 ひざに手を当て、重そうな上半身を起こし、頭を上げた。

 石原教授は、喜びで震えた笑みを浮かべながら、その声を出そうとした。


きみが……」

 

 だった。


 その泥まみれの白装束しろしょうぞくが、に染め上げられた。


 噴水ふんすいのように血を噴き出し、石原いしはら教授の体は、崩れるように鈍い音を立てながら地面に倒れた。

 

 離れた場所でその光景を見ていた三人は、一瞬の出来事に、口を開けたままだ。


 は、ようやく気づいたように、ゆっくりと、こちらに顔を上げた。

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