第126話――あり得ない現実


 石原いしはら教授は、ゆっくりと九十九の方に顔を向けた。

 

 その表情から、喜怒哀楽きどあいらくを全く感じ取ることはできない。


「何で……こんなことを……」


 九十九つくもが銃を向けてる間に、高倉たかくらが近づいていき、石原いしはらの両手に手錠をかけた。

 眼鏡を外した教授は、宙を見つめながら、ずっと黙ったままだ。


 ふと、うつぶせになっている遺体に目が留まった。


 黒のジャンパーを羽織り、ベージュ色のズボン。

 その傍にオレンジのリュックが置かれていた。


 九十九は口を抑えたまま、うじはえたかるその体をけ、リュックのジッパーを開けて、中を手探った。


 が、出てきた。


 どこかで見覚えがある……。


 呼吸が荒くなり始めた。


 唾を呑み込んで、中身を開けた。

 財布の内側のカードスペースに挟まっている物を、ゆっくりと手に取った。


 フィットネスクラブの会員証だった。


「……!」


 目を疑った。


「こ……これは……一体、どういうことだ!?」


 思わず石原いしはら教授の方を振り返った。


 無理もなかった。


 九十九は、その遺体を、見ていたのだから。


 


 だから、それが、ここにあることは、


「なんで、の遺体が、ここにあるんだ!?」


「……え?」


 高倉が思わずそちらに顔を向けた。


「ま……まさか……」


 九十九は訳がわからないまま、近くにあった別の遺体に目を向けた。


 白いTシャツの下から、黒の長袖が通されている。

 服以外の部分には、無数のはえがたかり、腐りきった赤い泥のような下を、もぞもぞとうじうごめいている。


 九十九は左手で口を必死に抑えながら、仰向けになった遺体のリュックの中を確かめるため、腐り切った頸部けいぶの右上からわずか飛び出ていたグラブループを掴み、勢いをつけて、ひっくり返した。


 たかっていたはえが一斉に飛び、無数のうじと、いろんな大きさのゴキブリが吃驚びっくりしたように四方にって行った。


 九十九が慌てて手を離すと、遺体はうつぶせの状態になった。


 息を止めて、リュックの中を探った。


 内側の上部にジッパーがあり、それを横に開いた。

 虫が手につくのを必死にけるように、急いで中の物を引っ張り出した。


 あまりの悪臭とその光景に、思わず木陰にひざまずき、彼は嘔吐おうとしてしまった。


「……はぁ……はぁ……」


 一息つくと、手に取った物に目を遣った。


 スマートフォンだった。


 それを覆うホルダーのポケットに差し込んであるカードを抜き取った。


 免許証めんきょしょうだ。


 顔写真を見た。


 、会ったばかりで忘れるはずがない。


「……岡彩乃おかあやの……」


 再び石原いしはら教授の方を振り返った。


「……そんな、バカな!」


 九十九はその事実を打ち消したいかのように、少し離れた距離でうつぶせになったままの別の遺体に近づいた。


 赤と紺が入り混じったチェック柄のコートの上から、カーキ色のリュックを背負ったままだ。


 九十九は何かにりつかれたように、今度は臭いや虫を気にも留めず、リュックの中をまさぐり、手に掴んだ物を取り出した。


 黒革で高価そうな長財布――


 そのジッパーを乱暴に開けた。

 カードスペースに挟まったそれを引き抜いた。


 社会保険証だ。


 を、震えた声で読み上げた。


「……西野にしの……裕子ゆうこ


「どういうことなの!?」


 思わず高倉たかくら石原いしはら教授に銃を向け直した。


「……やったのは、彼女なのか……」


 背後で声が聞こえ、九十九と高倉が振り返った。


 見ると、防護服のフードを脱いだ由良ゆらが、茫然とした表情で立ち尽くしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る