第105話――禁忌


 男性だんせいは明らかに死んでいた。


 背後でまた音がした。


 振り返ると、さっきの女性がまた同じように円に沿って歩いていた。

 立ち止まると、彼女は急に声を発し始めた。


「あ――……あ――」


 こちらに背を向けたまま、何か言いたそうにしている。


「まさか……」


 ハッと気づき、由良ゆらは倒れた男性の方に向き直った。


「……彼女に…………?」


「あ――……あ――……あ――」


 また振り返って、その女性を見た。

 表情は見えなかったが、とても苦しんでいるように見えた。

 何かを訴えかけるように、ただただ、『あ』の発音のみを、ひたすら発している。


 由良は目を見開きながら、男性の亡骸なきがらに再び顔を向けた。


「彼女から、言葉を奪ったのか? ……なんで、そんなことを……」

 

「あ――……あ――……あ――……」


 その悲痛な声にいたたまれなくなり、由良は女性の方に足を歩め始めた。

 近づくごとに、彼女の苦しみがになって伝わってきた。


 裏切られた。

 心から信じていた人達に。


 胸の内でが一気に広がり、由良の心を支配した。

 そのに耐え切れず、膝から崩れ落ちるように地面に両手をついた。

 自然と涙があふれ出てきた。


「……一体……どのくらい、ここに閉じ込めてきたんだ……」


 由良は身を起こした。


『やめろ』


 男性の声が聞こえ、由良は振り返った。

 その声は、から発していた。


「なんで、こんなひどいことを……」


 由良はその亡骸なきがらに向かって問いかけると、男性の声が返ってきた。


を破った』


「あ――あ――! あ――あ――!」


 女性の声で、再び振り返った。

 苦しみもがいているのが、はっきりとわかった。

 顔は髪で隠れて見えなかったが、ほほの辺りを涙が伝っていくのが見えた。


「決まり? ……だからって、一体どれくらい……!」


 探ろうとした瞬間に、途轍とてつも無く気の遠くなるような感覚が全身に襲い掛かった。


「……何百年……いや………………?」


 由良は、完全にその場から動けなくなった。


『我々には我々のがある』


 男性の声には、感情がこもってなかった。


「人間のやることじゃない……」


 由良はまた歩み始め、その女性に近づいていった。


『やめろ』


 背後から呼び止めるような男性の声が聞こえた。

 次の瞬間、女性はつまづいて地面に倒れた。

 由良は慌てて、駆け寄って行った。


『やめろ。その女は、嘘をつく』


 由良は声を無視し、女性を起こそうと右肩に手をかけた。

 男性の声が、さらに大きくなった。


『それは、人間じゃない』


「何?」


 由良は思わず振り返った。



 次の瞬間だった。


 女性の手が、由良の腕を掴んだ。


 物凄い力だった。


 ふらふらになって倒れていた女性の握力とは思えないほどの。

 

 青白く、細長い手。

 ボロボロになり、崩れた岩のような黄色ばんだ爪。


「あ……あ……」


 金縛りのように身動きが取れず、由良は震えながらその女性の顔を見た。


 髪の毛で顔は隠れ、厚いくちびるだけが見えた。

 それはうっすらと吊り上がり、笑みを浮かべているように見えた。


 次の瞬間、全身の力が抜けて行くのを感じた。


 またたに由良の顔が、まるで水分をなくした果実のようにしぼんでいき、あちこちにしわが刻まれ始めた。


 由良の髪の毛は、


「ぐあわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!」


 全身に走る激痛に耐えきれず、彼は声を上げた。


 長い叫び声の後、由良ゆらの体は、頭から地面に叩きつけられた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る