第93話――音秘目


 運転手うんてんしゅは話を続けた。


「パークスカイホテルが建つ前に、元々そこにあった磐座いわくらです。これから行く山の麓にある音秘目神社みあひめじんじゃの御神体だったんですよ。この島に古くから『みあ信仰』というのがあったんですが。島の人達はみんな三船洋二みふねようじ先生の世話になってたから、ホテル建設計画に反対しづらかったんだよね」


 三船洋二――


 九十九つくもはその名をおぼえていた。

 まだ彼がマル暴にいた頃、ある闇金組織についての過去の事件を洗っていた時に出てきたのが、升本誠二郎ますもとせいじろうという名前だった。

 戦後、高利貸しで財を築き上げた彼は警察の捜査が及ぶ前に、後継者に後を譲り、姿を暗ました。

 彼が関わった案件は全て時効になっており追及は不可能だったが、今は姓も名も変えていることだけはわかった。


 まさに今、運転手から聞かされた名前が、それだ。


「……三船先生の事をよく御存じで?」


 九十九は、それとなく探りを入れた。


「ええ。戦後、島自体が過疎化して、衰退しかけていたのを復興させたのも先生だしね。タクシーなんて走ってなかったし。温泉もそう。あと、農業もいろんな品種を取り入れてね。漁業も高齢化で人がどんどん減っていた時に、本土から若い人材を呼んで。今では漁師ばっかりだしな。さくらの木も紅葉もみじもこの島には、今ほどなかったんだよ」


「え? 桜までも?」


 九十九が思わず素直に驚くように声を上げた。


「ええ。すごいでしょ? が起きて先生ね。申し訳なく思ったんだろうね。島のみんなを励ます意味で、船でたくさんの木を運んで、ここに植えたんですよ。それで観光客を呼んで旅館やホテルも建ててね」


 話してるうちに、その山のふもとが見える所まで来た。


「もうすぐですよ。ああ……そういや、同じような記者の方がよく来てたんだけど、最近は見ないな。竜宮りゅうぐうのことを、しつこく聞いてきてね」


 九十九は表情を変えずに問い返した。


「へぇ、どんな記者でした? ああ……いや、知り合いかもと」


「ええ。特徴的な顔だったからよく覚えてますよ。浅黒くて、細い銀縁眼鏡かけた。着きましたよ」


 運転手は、路肩にタクシーを停めた。


「この細い畦道あぜみちを、ずっとまっすぐ行くと、音秘目神社みあひめじんじゃに辿り着きますよ。一時間ぐらい歩くけど」


 思わず聞き間違えたのかと思い、九十九は運転手に向き直った。


「……?」


 表情を変えず運転手は相槌あいづちを打つと、窓の向こうを指差した。


「ええ。まっすぐ行かないと駄目だよ。途中で右に公道があるけど、あれはホテル建設のために作られた道で、今では倒木やら土砂やらで通れたもんじゃないから」


 九十九は時計を見た。

 夕方五時を回っていて、辺りはもう薄暗くなり始めていた。

 運転手は問いかけた。


「先生。今晩の宿はどちらに?」


 当然のごとく聞かれたその質問に対し、 


「いや……実は、まだ」


 九十九は少し恥ずかし気に答えた。

 すると、


「よかったら、知り合いの旅館に聞いてみましょうか? この音秘目郡みあひめぐんの区域は友人が多くてね。三船先生の支援者も多くて、その関係で」


 運転手はガラケーの携帯を取り出し、誰かに電話をかけた。


「……ああ! よっちゃん? 本土から記者の先生が来てるんだけど、今晩空きがあれば泊めてあげてくれない? ……ああっ、そう! 大丈夫? ……じゃあ今から連れて行くわ」


 電話を切ると、彼は振り返り、


「空いてますって」


 そう言って、再び車を発進させた。

 十分くらい走っていると、左側に薄暗いながらも紅葉が見え、夕日に染められている光景が目に入った。

 まだ紅葉初期で、所々緑や黄色が見えたが、九十九が目を奪われていると、


「すごいでしょ? ここは紅葉と温泉の観光スポットで、この先に宿泊区があるんです」


 国道を左に逸れ、紅葉に囲まれたうねり道を下っていくと、橋がかかっていて、それを超えると温泉街に入った。

 大きなホテルも立ち並んでいて、進んでいくうちにいろんな土産物屋が道の両脇に並んでいるのが見えた。


 ある筋を左に入ると、タクシーは停まった。

『世志乃屋』と、紺の生地に白い字が縦に書かれた暖簾のれんが下がっている。

 玄関前には、薄い桃色の着物を羽織り、髪を上に上げた上品な五十代くらいの女性が立っていた。


 運転手は助手席の窓を開け、体をそちらに寄せながら女性に声をかけた。


「よっちゃん悪いね。急に」


「いいのよ、お互い様だから。まぁ、先生! いらっしゃいませ! 遠い所からお疲れでしょ? さぁどうぞ」


 女将おかみは目ざとく九十九のリュックを受け取ると、彼を旅館の中へと案内した。


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