第84話――謎の建物


『もう守れない』


 男性の声が続いた。

 

「……守れない? って。一体、何を?」


 由良ゆらは声を張り上げて、呼び掛けた。

 

「あなたは、一体、誰なんだ!」


 山彦やまびこが響き渡るだけで、返事はこなかった。

 

 しばらく呆然としていると、後ろから話し声が聞こえ、由良は振り返った。


 他の登山客とざんきゃくだろうか。


 老夫婦と思われる二人組がこちらにゆっくりと歩いてきた。

 由良が道をゆずると、二人は会釈してきて、彼も軽く相槌あいづちを打った。

 

「本当久しぶりだな」


 男性が妻と思われる女性とともに、磐座いわくらを見つめていた。

 カメラを取り出すと、そのを背景に女性を撮影した。

 写真を撮った後に、二人は磐座いわくらの前に立って手を合わせた。


 そこから景色を見渡すと、ふと、何かに気づいたように男性は言った。

 

「昔は、あんなとこに何もなかったのにな」


 由良は、二人の視線の先を追った。


 雲がさっきよりも晴れて、周囲の山々の頂上が見渡せるようになっていた。

 ちょうど仏獄の左側の遠方に、他より高い山が見えた。

 

 その頂上に、何の建物だろうか。

 遠目からでは、はっきりわからない。

 一戸建ての家には見えず、何かの施設だろうか。

 

 由良は思わず、老夫婦に声をかけた。

 

「昔、ここに来られたんですか?」


 男性がこちらを振り返った。

 

「ああ。ええ。もう、随分前だけどね。若い頃、御子島みこしまに住んでいた時期があってね。農協関係者だったもんで。休日になると、よく、この山に二人で登っていたんですよ」


「……それは何年前ぐらいですか?」


 由良が聞き返した。

 

「いや、もうかれこれ、六十年前くらいかなぁ……」


 六十年前……

 

 だとすると、あれは前後に建てられたものか?


 由良は少し考えて躊躇ためらったが、その建物へ向かうことにした――


 方位磁石だけが頼りだった。

 しかし四十分ほど歩くと、途中で完全に道がなくなってしまった。

 由良は仕方なく元の道を引き返そうとした。

 

 ふと道が切れている数十メートル先に、が木々で隠れていることに気づいた。


 由良は木々の間をって、その前に辿り着いた。

 

 いかにものような木製の仮設小屋だった。

 三角の屋根にはトタンが打ち付けられ、つるが巻き付いていたり、こけが生えているのが見えた。

 壁の木材も黒いカビだらけだった。


 由良は小屋の左横に目をやった。


 白く半透明の汚れたポリタンクが、回収されないゴミ収集場のごとく山のように無造作に積み上げられ、小屋の半分くらいの高さにまでなっていた。

 

 少し離れたところに、赤のポリタンクが整然と並べてある。

 中身は、まだ入ってるのだろうか。

 灯油? ガソリン?

 

 小屋の右横に目を向けた。


 細い道ができていることに気づき、辿って行くと、小屋の裏側に来た。

 由良の背よりも高いススキが辺り一面を覆い尽くしていたが、なだらかな下り斜面になり百メートル程先に樹海が続いていた。

 

 斜め右方向を向くと、遠方にぽっこりと樹海から頭を突き出すように、が見えた。

 振り返ると、小屋のちょうど裏側にさびが目立つオレンジ色の旧式の発電機らしきものが置いてあった。

 

(……人が住んでいた?)


 少し警戒しながら由良は小屋の入口まで戻った。

 木が腐りかけたそのドアに傍耳そばみみを立ててみた。


 中に誰かいる気配は感じない。


 彼は恐る恐るその真鍮しんちゅうの丸いノブに手を伸ばした。

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