第81話――三船洋二


「先生。安田やすだです」


「入りたまえ」


 中からしわがれた声が聞こえ、安田はかしこまりながらその木目が美しい洋風のドアを開け、部屋の中に足を踏み入れた。


 中は書斎しょさいになっていた。

 

 黒革のチェアーに、白髪はくはつの見た目は八十代くらいの男性が灰色の着物を着て新聞を広げていた。


 眼鏡をかけたその顔は丸いがほほはこけており、しわが目立つ。

 前頭部から後頭部にかけて髪の毛は薄くなっていた。

 

 安田は机の前に立ち止まり、深く頭を下げた。

 しかし老人は彼の方を向かず、新聞を広げたままだ。

 

「み……三船みふね先生?」


 安田はいつもと違う様子に戸惑いながら、もう一度呼び掛けた。

 老人は新聞に目を向けたまま、口を開いた。

 

は、誰の山だ?」


「……え?」


 するとようやく新聞を閉じたかと思うと、老人はある写真を手に取り、机の上に放り投げた。

 

 それを見た瞬間、安田は目を見開いた。

 

 写真には、長細い銀縁眼鏡をかけた男が写っていた。

 髪を全て上に上げ、顔は浅黒く、せこけた頬――

 

「せ……先生。これは、一体?」


 安田の言葉を呑み込むように、三船みふねは口を開いた。


「彼の名前は、弓削高志ゆげたかし。元医師だ。十五年前、大学病院でその腕を買われ、海外でのオペも手掛けるほどの腕の立つ医者だった。それが、ある時を境に忽然こつぜんと姿を消した。何故だと思う?」


 三船は、ようやく安田の方に目を向けた。

 

「な……何のことを、一体?」


 安田は戸惑いながら、写真と老人の顔を交互に見返した。

 三船はその男が写った写真を、指で叩きながら言った。

 

「裏でと繋がっていた。銃で撃たれた暴力団員のオペを積極的に引き受けていたんだ」


「……そ、そんな」


 安田は驚いた表情で、その写真を両手に取った。

 そんな彼に対し、三船は畳み掛けるように言葉を被せた。

 

「それがバレて医学界から追放された。今でも裏で仕事を引き受けているそうだ」


 少し前のめりに両手を組みながら、老人は尚も言った。


「それだけじゃない。奴は、裏でを作り上げている。噂によると、そこでをしていると」


「……研究?」


 初めて聞かされた事実に、安田は放心状態のままだ。


「いずれにしても、危険な男であることは間違いない。今すぐ手を切らないと。もし公になったら、こちらまで巻き添えを食らってしまう。今までの努力も水の泡だ。私も過去の経験から、こういうスキャンダルには細心の注意を払ってきたつもりだったが……」


 茫然としたまま言葉を返せない安田に向かって、三船は鋭い視線を向けた。

 

「安田君。が、私の人生での最大の挫折だ。その謎を解明するため、今日の今日まで地道に調査を続けてきたんだ」


 三船は眼鏡を外し、黒革のチェアーに背凭せもたれると、安田をじっとにらんで言った。


「あの山は、だ。許可なく、好き勝手な真似はさせん」

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