第67話――秘密


 九十九つくもが呼び掛けると、彩乃あやのは我に返ったように目をしばたたかせた。

 

「……あぁ、ここ最近、彼女、なんか人が変わったみたいになって」


「というと?」


「……ちょっとした事で、まるで癇癪かんしゃくを起こしたように……。私も最初、そんな深い意味はなく、軽い気持ちで言ったんです」


 彩乃は、山下正美やましたまさみに言ったセリフを有りのままに話した。

 

『あの先生? ヤバくない? 『声が聞こえる』とか、ちょっと気持ち悪いんだけど』

 

というのは、半田はんださんのことですか?」


 九十九が尋ねると、彩乃は控えめにうなずいた。

 

「それだけで、喧嘩になった?」

 

 少し疑うような目を向けられると、彩乃は顔を引きらせながら答えた。

 

「彼女は、半田さんが有名になる前からので。私がそう言うと、ものすごい剣幕で反論してきて急に殴りかかってきたんです。吃驚びっくりして……思わずその場から逃げだしたんです」


 気分が悪いのか。


 話しているうちにも彼女の眉間のしわが深くなり、九十九が心配して声を掛けようとした、その時だった。

 

「す……すいません! ちょっと、失礼します!」


 急に彼の背後にいたが、気持ち悪そうに口を押さえながら部屋から離れて行った。

 すると、彼女はすぐそばにあるアパートのみぞこらえきれず嘔吐おうとした。

 ドアの隙間からそれを見た九十九は驚いて、目を見開いた。


「ちょっと失礼!」


 慌てて外に出ようとすると、高倉たかくらへいに片手を突きながらも、もう一方のてのひらをこちらに向けて制止の合図を出していた。


 と本人は言いたいのだろう。


 九十九は安堵の溜息をつくと、室内に向き直った。

 

 確かにこの部屋に入ってから、が漂っていた。

  

「あの……大変失礼なことを伺います。は?」


 すると、彩乃は恥ずかしがるように目を伏せながら言った。

 

「……ああ、ええと……最近、体調が悪くて、何日もお風呂に入ってなくて……」


 すぐにだとわかった。

 

(……一体、何の臭いだ? まるで何かが腐り切ったような……まさか、いや……)

 

「大変失礼しました。ご無礼をお許しください」


 本来は追求すべき点だが、えて九十九はそれよりも別の質問を優先させた。


「……ところで、にまつわる話を聞いたことは?」


「……」


 突然、彩乃が黙り込んだ。

 

「……岡さん?」


 九十九が問い返した。


 すると、

 

「……話すとが怒ります」


 彩乃はボソッと呟いた。

 

「……彼女……とは……?」


 九十九が眉をひそめた。

 

ので話せません」


 見ると、彩乃の目は焦点が合っていない。


 突然の彼女の変化に少し戸惑いつつも、九十九は更に切り出した。

 

「……ええと。ああ、実は、山下さんの家に行った時に、を撮ったんです」


「……!」


「それで、その写真に……!」


 いきなり、彩乃は両耳をふざいだ。

 そして、目の前で叫び始めた。

 

「私は何もしていない! ! 本当よ!」


 その場にしゃがみ込み、すがりつくような表情で怯え始めた。

 見ると、目には涙が浮かんでいる。

 

「……お……岡さん?」


 九十九は呆気にとられながらも、心配して彼女に近づいた。

 

を見せないで!」


 彩乃が大声で彼を制止した。


「見られたら、奪われる!」


 再び彼女は両手で耳を押さえ、悲痛な叫び声を上げた。

 

「……奪われる? あの……もう、削除しました……」


 九十九は必死に冷静さを保ちながらなだめようとした。

 

「やめて!」


 彼の声は聞こえておらず、彩乃は震えながらわめき散らすばかりだ。

 

「岡さ……」


 九十九は慌てて内ポケットからメモを取り出し、何かを書いた。

 そしてうずくまる彩乃の顔の前まで持って行き、彼女の肩を叩いた。

 

『写真は削除しました』


 彩乃はそのメモを見て、震えながらゆっくりと両耳から手を離した。

 息遣いが、かなり荒い。

 

「岡さん……もう一度、病院に行かれた方が……」


 九十九が手を差し伸べて言った。

 

「……! 私がおかしいっていうんですか!」


 バカにされたと思ったのか、彼の手を激しく振り払った。

 

「……いえ、そうではなくて、本当に具合が悪そうなので……」


 尚も怯えている彼女を見て、これ以上の追及は無意味だと悟り、九十九はゆっくりと腰を上げた。


「……今日はこれで失礼します。また何かお尋ねする事があるかもしれませんが……ご協力ありがとうございました」


 そう言って頭を下げると、座り込んだままの彼女を見つめながら躊躇ためらいがちにドアを閉めた。

 

(………………?)


 一瞬、九十九は自分が削除した、を思い起こした。

 そこに写り込んだ、


 ふと、辺りに目をやると、まだ高倉が塀に手を突いて休んでいた。


「……大丈夫かよ?」


 その声に気づいたように、彼女が慌ててこちらに向き直った。


「……! すいません! ちょっと、慣れていなくて……」


 九十九は高倉の顔をマジマジと見つめ、


「いや……俺が慣れ過ぎているだけだ。確かには普通じゃない」


 そう言うと、すぐそばの階段で座り込んでいる由良ゆらを見下ろして呼び掛けた。


「ここには、あるんだな」


 額を押さえながらうつろな目で九十九を見上げると、由良は言った。


「ええ。……私は完全にによってされてます。……こっから先に進もうにも、歩くことさえできません」


 九十九は振り返り、今出てきた部屋のドアを見つめながら呟いた。

 

「……彼女には、いろいろ秘密がありそうだな」

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