第48話――ま


 村上加絵むらかみかえは、ただの霊障れいしょうだった。


 

 

 実際は、もっとタチが悪かった。

 

 が、彼女をまるでエサにするかのようにりついていたのだ。

 ごくたまにフィクションや神話などで見かけるような名前だが、実際の本当の呼び名はわからない。

 

 村上加絵のはらいは、で終わった。

 が、その魔はそれを恨むように、今度は

 

 あまりにあっけなくはらわれてしまったため、どうやら、の自尊心を傷つけてしまったらしい。

 

 通常、「祓い」を行う際は、ある程度の作法などを通過儀礼とするのだが、当時の由良ゆらは、自身の霊力の大きさに自負を抱き過ぎていて、傲慢ごうまんさが出たのか。

 それらの儀式を省略することが多くなっていた。

 

 をきちんと処理せずに、ユニットバストイレのタンクの上に置きっぱなしにしていたのだ。

  

 翌日からだった。


 が始まったのは。

 

 彼は、いつも左手首につけていた数珠じゅずをリビングに置きっぱなしにして、トイレに行った。

 

 用を足し終え、手を洗った。

 すると、突然、頭の中で

 

『もう一回。これで終わり』


 が聞こえた。


 再び彼は手を洗い終え、蛇口を閉めた。

 そして、ユニットバスを出ようとした。

 

『もう一回。これで終わり』


 後ろ髪を引っ張られるように、由良は振り返り、今度は、さっきよりも蛇口を閉めた。

 

「よし」


 そう言って、彼はまた洗面台に背を向けた。

 

 すると――

 

『もう一回。これで終わり』



 一カ月だった。

 

 そのボサボサの天然パーマにはおよそ不似合いなを頭につけた彼は、ユニットバスの狭いスペースの中で、蛇口を閉めて、また去ろうとしては、呼び止められ、出しては、閉めてを、

 

 

 

 幸い水だけは、目の前にあった。

 しかし、そこから出られないため、食べ物は何も口にしてはいなかった。

 

 発狂寸前だった。

 いや、もうすでにその域を、とうに越えていたとも言えなくもない。

 

 自分の部屋だ。

 

 キッチンとリビングは

 しかし、出ることができない。

 

(助けてくれ)


と叫ぼうとしても、それをき消すかのように、が聞こえ、気が付けばまた蛇口をひねっていた。


 眠気が襲っても、その声は続いた。

 

 声より眠気が勝る時のみ、数時間ほどは眠ることはできた。

 目を開けて、アイボリー色のユニットバスが目に飛び込んでくる度に、彼はを迎えた。

 

 鏡を見ると、ほほはこけ、目が血走り、髪の毛はところどころに白髪が混じっていた。

 だった。

 

 頭の中の声に邪魔されながらも、一カ月かけてようやく、使い切ったトイレットペーパーの芯で、を完成させた。

 

 体重は三十キロ台にまでに激減していた。

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