第46話――対峙


 由良ゆらは早紀とともに、村上加絵むらかみかえの自宅を尋ねた。

 

 由良が先頭に立ち、家の引き戸を開けた。

 その後を、早紀、加絵の母親と続いた。

 玄関に足を踏み入れ、短い廊下をそーっと歩き始めた。

 

 前方から、こするような音が聞こえてきた。

 右の風呂場のドアが開いていた。

 中を覗いた。


 誰もいなかった。

 半分だけ完全に変色している浴槽を見ても、由良は無表情なままだ。


「ああっ……! もう!」


 リビングの方から聞こえてきた声に、由良は前に向き直った。

 ゆっくりと足を歩ませ、開いたままのドアを越えると食卓に足を踏み入れた。


 赤いリボンをつけた加絵かえが、中腰になって壁に向かっていた。


 左手にアルミタワシを持ち、白い壁を一生懸命にこすっていた。

 クロスがボロボロに剥がれ、中の木材がき出しになっている箇所も見えた。

 

加絵かえさん」


 由良は背後から呼びかけた。

 加絵はこちらを振り返った。

 

 途端に、血走った目で由良をにらむと、

 

「入ってくんな! 汚れるだろ!」


 鬼の様な形相で、唾を撒き散らしながら叫び声を上げた。

 背後にいた早紀は、異様に甲高い加絵の声を聞き、思わず身を引いた。

 が、由良は全く意に介さないように、加絵の方に近づいて行った。

 

「……! うらあぁ――――!」


 突然、飛び上がるように加絵は立ち上がり、左手を上げて由良に襲いかかってきた。


 由良は冷静だった。


 右手で加絵の腕を掴んだ。

 そして、そのままその人差し指で、自分の左手につけていた黒い数珠じゅずを外し、それを彼女の手首に付け替えた。

 

 加絵の動きが、突如、止まった。

 

 彼女は気を失ったように、由良の上半身にもたれかかった。

 

 由良は目を瞑り、ぐったりしている彼女を抱きかかえたまま、右手の指で加絵の額にゆっくりと何かをなぞり始めた。

 

 背後から見ていた早紀と母親は、ポカンとした表情をただ浮かべているだけだ。

 

 すると、由良は自分の胸に顔を埋めている加絵の後頭部からを取り外した。


「終わりました」


 そう言って加絵をゆっくりと地面に寝かせると、まるで回収するかのように彼女の手首から数珠を取り外した。

 

 何度もまばたきを繰り返している早紀と母親を尻目に、由良はスタスタと部屋から出て行ってしまった。

 

加絵かえ!」


 母親がたまらず、横たわった娘の方に駈け寄った。

 

「え……? ちょ……え? ……」


 早紀は訳がわからず目を泳がせると、彼の後を追った。

 

「……由良君! まだ、彼女倒れたまま――」


 必死に引き留めようとすると、


「お母さん……?」


 思わずその声で早紀は振り返った。


「……! 加絵!」


 母親に抱きかかえられた加絵が目を開けていた。

 

 紺のスウェット姿の彼女は呆然とした様子で辺りを見回し、早紀さきの方を向いた。

 

「え? ……先生? ……どうして……」

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