第36話――存在の証明


 由良ゆらの探偵事務所を出た後、九十九つくもはコインパーキングに止めていた車に乗り込んだ。

 

『自分だと、はっきり認識できるものを』

 

 彼の言葉が、頭の中に残っていた。

 ふと携帯を取り出して、ある番号を呼び出した。

 発信ボタンを押すと、呼び出し音が数回鳴り相手が出た。

 

『……もしもし?』


 若い女性の声が、向こうから聞こえてきた。


「……おう。元気か?」


 相手は少し驚いた様子で、


『どうしたの、お父さん?』


 少し心配そうな声色で返してきた。


「……いや、特に用事はないんだが。……ああ、最近は、どうだ? 仕事の方は順調か?」


 強引に話題を振ると、明るい声が返ってきた。


『うん、まぁ。ようやく見習いを卒業したばっかりで、まだまだこれからが大変。あっ……! 最近、おばあちゃんの所へ行った? あまりに急で、吃驚びっくりしてたよ』


「ああ……。まぁ、たまたま仕事が早く終わったもんでな」


 会話が途切れ、彼は頭の中で必死に話題を探した。


「……母さんは、元気か?」


『うん。相変わらずだけど』


 娘は同じ明るい口調で返してきた。

 その淀みなさに、こちらを気遣っている様子を感じなくもない。

 互いに言葉を選ぶように、があった。

 

 九十九泰章つくもやすあきは八年前に離婚していた。


 彼は元々、暴力団犯罪を専門とする、通称『マル暴』の所属だった―――

 一時期、世間を賑わせた有名女優の覚醒剤所持による検挙で、大物を釣り上げるチャンスだった。

 班をまとめる存在だった彼は、ある組から標的にされた。

 自身の家族の居所を突き止められ、脅迫じみた電話や書面が送られてきたのだ。


『手を引かなければ、どうなるかはわからない』


 彼は脅しに屈しなかった。

 その元締めを逮捕し、徹底的に追い詰めた。

 

 当時、むすめ春花はるかは十四歳で中学二年生だった。


 下校途中だった。

 青信号を渡っている彼女に、乗用車がブレーキをかけずに突っ込んできた。

 轢き逃げの犯人は、行方をくらました。

 

 意識不明の重体だった。


 彼は救命室の前で、ひたすら祈り続けた。

 人通りの多い場所で起こった事件で、数分でも救急隊が遅れていたら危なかった。

 六時間というもの長い間、彼は生きた心地がしなかった。

 

 手術は無事に終わった。

 彼女は奇跡的に意識を回復した。


『……お父さん?』


 娘の呼びかけに泰章やすあきは我に返った。


「……ああ」


 少しを置いて、春花は言い直した。

 

『……いや、何でもない。なんかそっちから電話かけてきて、ついでみたいだから、また後日……』

 

 その言葉に彼は思わず眉をひそめた。


「何だよ……? 余計に気になるだろ? 何か相談事か?」


 沈黙が流れ、彼は再度問い返そうとした。

 すると、


『……一度、会って欲しい人がいて』


 その言葉に思わず目をしばたたいた。

 言葉が出て来ない。

 唖然としながらも、娘の言わんとしていることはすぐにわかった。

 だが、は、まだまだ先だと自分では勝手に思い込んでいた。

 

 いや、そんなこと言っても……。

 お前は、まだ二十三じゃないか……。

 

 咄嗟にその言葉を呑み込むと、先に春花が被せるように口を開いた。


『いや……! ただ、前提で付き合っているということを伝えたいだけで』


 娘の言葉からは、明らかに遠慮というものが感じられた。

 でなければ、わざわざ報告はしない。

 刑事でなくても、それはわかる。

 どう言葉を返せばいいか惑い、彼は口ごもった。


『……お父さん?』


 娘の呼びかけに、泰章はつい言葉を急いだ。


「……あ、ああ! そうか……。わかった」

 

 また、があった。

 こちらが反対していると誤って伝わった事に気づき、彼はすぐに言い直した。


「あぁ……それじゃあ、……いつ?」


 父親のその答えに、春花が声を高くした。


『……本当に?』


 娘の緊張が解けたのがわかり、彼は溜息をついた。

 あまりの父の即答に、逆に春花が返事に困るように言い淀んだ。

 

『あ……ああ! ええっと……! ……じゃあ、来週の月曜日って、空いてる? 別に夜遅くでもいいよ。お父さんの仕事終わってからでも』

 

「……ああ……わかった」

 

 後に続ける言葉が見当たらず、

 

「……じゃあ……。時間がわかれば、また連絡するよ。母さんによろしくな。それじゃ」

 

 静かに電話を切った。

 携帯を手に持ったまましばらく茫然としていた。

 

 嬉しさ?

 

 いや、違う……。

 

 寂しさか?

 

 その双方が何度も入り混じり、素直に喜んでいいのかがわからない。

 

 急に、緊張が沸き起こってきた。

 

……相手は、どんな男性なのだろうか?

 

 月曜日に会う約束をするということは、共に時間の都合がつく美容師か?

 その容姿を勝手に想像してみた。

 自分に馴染なじみのない出で立ちに、また胸の内から緊張が沸き起こった。

 

 すると、着信音が鳴った。

 まじろぎながら、手に持っていたスマホの画面を見た。

 

 高倉たかくら刑事からだった。

 彼は我に返り、電話に出た。

 

「……何かわかったか?」

 

 ハキハキとした彼女の返事が返ってきた。

 

半田義就はんだよしなりの行方は依然として不明ですが、彼が以前、師事していた人物がわかりました』


「……師事?」


石原高次いしはらたかつぐという考古学の教授です。……今、どちらに?』


 その言葉に急き立てられるように、彼は車のエンジンをかけた。


「近くにいる。わかった。すぐに署に戻る」


 そう言って電話を切った。

 スマホの履歴を見つめ返した。

 

『高倉』

 

 当たり前だが、同じ部の者として彼女の経歴は聞いていた。

 高校で射撃部に所属し、その腕は全国総体で優勝するほどだという。

 ただ課の中では一番若い。若すぎると言ってもいい。

 それでも、たった二年で刑事部に配属になったのは、自身の努力と功績の賜物に他ならない。

 彼女も二十三だと言ってた。

 春花と同い歳だ。

 

 ようやく彼は、自分が思っている以上に、娘が大人になったことをあらためて実感し始めた。

 

 途端に肩の力が抜けていくのを感じた。

 安心とも諦めとも言い難い脱力感。


 離婚してからというもの、徐々に会う機会は失われていった。

 今は、半年に一度程度しか会っていない。

 年に数回だ。

 

(そんな父親が、娘の結婚相手と会ってもいいのか?)

 

 そう思いながらも、春花が勇気を振り絞って『会わせたい』と言ってくれたことに嬉しさを感じている自分に気づき、少し笑みを浮かべながら前を向いた。

 辺りはもう暗くなっていて、ヘッドライトをつけた。

 

 心臓が止まるかと思った。

 フロントガラスのすぐ向こうに、人が立っていたからだ。

 

 肌寒い中、シャツ一枚だけのその姿を見て、彼は即座に気づいた。

 

 ……あの子だ。

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