第18話――礼状
「すいません、警察ですが。先日こちらのアパートにお住まいの
白髪で細身で背が高く猫背で七十代ぐらいに見える。
「ええ? ……そうだったんですか……! お気の毒に……。何も知らなくて……今初めて聞きました」
男性は驚いた様子で言った。
「ただ事件性がありまして、アパートの部屋に捜索令状が出ています。部屋を開けていただきたいのですが」
その書状を老人の目の前で広げて見せた。
「……わ、わかりました。ええっと……ちょっと待ってください。鍵はどこだっけな」
突然の捜索令状に少し動揺しながら、慌てて中に鍵を探しに行った。
「……あったあった! どうぞ案内します。二○一号室です」
一分足らずで戻ってくると、老人は靴を履いてすぐ隣に建っている二階建のアパートに捜査員達を案内した。
歩きながら九十九は尋ねた。
「山下さんはこちらに独りでお住まいに?」
「いえ、確か……越して来た頃はお姉さんと一緒でしたね。私もたまに挨拶程度でしたが、話をしたことが何度かあって」
先にアパートの錆びた階段を上りながら大家は言った。
九十九は彼の背中に向かって問いかけた。
「なぜ、お姉さんは出て行かれたんですか?」
階段を上がり切ってすぐのところにあったドアの前で立ち止まり、大家はポケットから鍵を取り出しながら答えた。
「私も詳しくは知らないんですが……。ここ数ヶ月かな。急にパタッと姿を見なくなって引っ越されたのかなと。まぁ、姉妹だといろいろ窮屈な部分もあったんじゃないですかね」
大家はドアを開けると言い添えた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
九十九は玄関の壁にあった明かりのスイッチを入れた。
吊り下げ式の電球が中を薄暗く照らした。
短い廊下が向こうへとのび、左側にキッチンが見える。
九十九達はそこを通り過ぎリビングに足を踏み入れた。
八畳ほどだろうか。
床はベージュ色の
ここも吊り下げ式だった。
九十九は電灯の紐を引っ張った。
点灯管が鈍く反応すると、
よく見ると二重あるはずの円形蛍光管が一つだけしかなく、青白く弱々しい明かりが室内を
九十九は部屋を見渡した。
黒革のソファがあり、その手前に
「やはり薬だと思うんですけどね」
相棒の
九十九は確信していた。
薬のはずがない。
山下正美は、ものの数秒で天寿を全うしたのだ。
何の疾患もなしに。
それを、ありきたりな白い粉や錠剤で再現できるはずもない。
鑑識はもう指紋を取り始めていた。
「……」
奇妙な感じだ。
「九十九さん……? どうかしました?」
じっと立ったまま視線を泳がせている彼に気づき、松村が声を掛けた。
「いや……」
思わず言葉を濁した。
あらためて室内を見回してみる。
この部屋にいるのは、自分と松村。そして、捜査員数人だけだ。
しかし、はっきりと感じていた。
誰かに見られているような感覚。
あたかも、捜査員の中に紛れて、もう一人そこにいるかのごとく。
「最近の若い子の部屋って、こんな感じなんですかね?」
松村は部屋全体を見渡しながら言った。
見た感じ、必要なものだけが置いてあり、女性の部屋と表現するには確かに物足りない気はする。
九十九はまだ捜索が始まっていない隣りの寝室に足を踏み入れた。
壁にあったスイッチを押し、電気をつけた。
「……でも、信心深くはあったみたいだな」
室内のベッドの脇を通り、枕元の頭上に見える神棚の前で足を止めた。
壁際に窓があるが、茶色のカーテンで光が完全に遮られている。
その二本のカーテンレールの上に強引に備え付けたのか。
木の板が乗っかり、その上にその御神体が据え置かれていた。
脇下から見上げると、茶色の布テープらしきものがはみ出ているのが見え、それらで板と壁が不安定に固定されているのがわかった。
「……えらく雑だな」
神棚にはお
『天照大神』
九十九はペンとメモ用紙を内ポケットから取り出そうとした。
思わず手を滑らせボールペンが落ちた。
床に手を伸ばし、それを取ろうと屈み込んだ。
ペンを拾って立ち上がりメモ帳を広げようとした。
その時だった。
視界の
さっきと変わらぬ光景だ。
一瞬だが、今、人の気配がした。
九十九は安堵したように、溜息をついた。
再び、メモ帳に向き直った。
が、また何かに気づき、神棚の方に顔を戻した。
中央の『天照大神』というお札。
その前に置かれている黒茶のものに、彼は気づいた。
少し背伸びして、顔を近づけた。
九十九は、山下正美の病室で見たそれを思い出した。
見た目はほぼ変わらない。
思わず手を伸ばそうとしたその時だった。
ふと、由良の言葉が甦った。
『決して触れないで下さい』
咄嗟に手を引っ込めた。
九十九は少し惑うと、ポケットからスマートフォンを取り出した。
搭載されたカメラで、その全容を撮影した。
写した写真を確認するためにデータを呼び起こした。
何の変哲もない神棚が写っているだけ。
のように見えた。
よく見ると、神棚の前に置いてあった小石の辺りに、何かが写っていた。
「……!」
人の目のようだった。
それは閉じられていて、片目だけの
目尻が下がっていて、笑っているように見えなくもない。
「なんか、暗いすね」
「うわぁ……!」
思わず九十九は背中をビクつかせて、後ろを振り返った。
「どうしたんすか……?」
松村が
「いきなり後ろから、
九十九が上ずった声を上げた。
思わず反射的に、今撮った写真を見られないように携帯をポケットにしまった。
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