第14話――音声


 

 正美まさみは、をはっきりと聞いた。


 咄嗟に彼女は両耳をふさいで震えながら更に目を強く閉じた。


「……山下やましたさん? 大丈夫ですか?」


 急に様子が変わった正美を心配し、九十九つくもは近寄ろうとした。


 ふと、彼の目に映ったものがあった。


 何かが、正美の右肩に止まっていた。


 今、彼女は、両手で両耳を塞いでいるはずだった。


 だった。


「……!」


 思わずまばたきをして、もう一度見直した。


 彼女の肩が見えるだけだった。


 九十九は溜息をついた。


 次の瞬間だった。


 正美の体がフッと、ベッドに倒れた。


「……山下さん?」


 呼びかけたが、何の反応もない。


 見ると、正美は顔を横向けにして目を閉じていた。

 鼻から血が出ているのが見えた。


「山下さん……! ……看護師を!」


 九十九は慌てた様子で相棒に向かって声を上げた。松村まつむらは急いでドアを開け、看護師を呼びに行った。

 

「山下さん!」


 九十九は正美の耳元で呼び掛けた。


 その時だった。


 再び目を疑う。


 さっきは錯覚だと思った。


 倒れた正美の両肩に垂れ下がった髪の毛。

 

 それをき分けて、ゆっくりと出てきた。


 青白いそれは、正美の両肩にそっと置かれた。


 手だ。


 九十九は咄嗟に仰け反った。


「ねぇ」


 彼の耳にも、聞こえた。


 両肩に乗っていたその手が、正美の首をすべり始めた。

 彼女のほほでるように伝うと、それは両蟀谷こめかみ辺りで止まった。


 九十九は声を出すこともできず、口を開けたままだ。


「ねぇ、こっちを向いて」


 低い女の声だった。

 

 蟀谷こめかみに止まっていたその指が動き、閉じられた正美のまぶたを強引に開けた。

 

 白目の部分が、くっきりと見えた。

 

「ねぇ……正美まさみ……」


 その声に、気が付いたのか。

 白目の部分に、黒い瞳孔どうこうよみがえった。

 

 開かれた目のまま、正美は首をゆっくりと右方向に動かした。

 

 がそこにあった。

 

 女性らしき顔が。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!」


 悲鳴が病室に響きわたった。


 その信じられない場景じょうけいに、九十九はそこから動くことができなかった。

 

 その時だった。


「失礼します!」


 看護師が彼の前に、割って入って来た。


「山下さん? 大丈夫ですか? 少しお薬を打ちますね」


 なだめるように言うと、もう一人の女性看護師が正美の体を抑えた。


「少しチクリとしますよ」


 手に持った注射を、正美の腕に打とうとした。


 すると、正美が首を小刻みに震わせ始めた。


「あああああああああああああ」


 次の瞬間だった。


 正美が看護師二人をものすごい力で突き飛ばした。


 彼女達は後方によろめき、床に倒れた。


 注射器が床に落ち、割れて中の液体が飛び散った。

 

 九十九は目を見開いた。

 

「ううぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁあああああああ――――――――!」


 低い唸り声が急激に音階を飛び越えて、甲高い悲鳴に変貌へんぼうした。

 

うそだろ……」


 九十九はその変化を、ただ見ることしかできなかった。

 

 またたく間に、正美の顔に無数のしわが刻まれていき、髪の毛の色が色褪せていくのが、はっきりとわかった。


 倒れた看護師達も目をいて、茫然と床に手をついたままだ。

 

 その時だった。


「キキキキキキィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイ――――――――――――」


 突然、機械が壊れたような高い異音が、病室全体に響き渡り、全員が思わず耳を塞いだ。


 十秒程だった。


 音が止まった。


 と同時に、正美の体が、まるでベッドに沈んだ。


 彼女は目を開いたままだった。

 

 髪の毛は、完全に真っ白に変わっていた。


 一人のが、そこに横たわっていた。


 九十九はその光景を見つめながら、息を震わせるだけだった。


 何が起きたのか全く理解できなかった。


 ほんの一瞬、しわが刻まれた彼女の口元が動いたように見えた。


 九十九は目を見開いたまま、恐る恐る正美に近づいた。


 すでに、彼女の体は微動だにしていなかった。


 その時だった。


 ハッと何かの気配を感じ、ドアの方を振り返った。


 が立っていた。


 髪は肩まであった。


 背丈は低く、真白な着物を着て、こちらに背を向けている。


 九十九はまばたきを繰り返した。


「……!」



 見ると、その人物は消えていた。


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