第12話――見えるもの


山下やましたさん。世田谷署の九十九つくもといいます」


 病院の個室の中で彼は警察手帳をかざして見せた。

 

 が、上半身だけを起こしている目の前の女性は、まぶたをずっと閉じたままだった。

 

「あの……山下さん?」


 反応がなかったので、もう一度呼びかけた。

 

「ええ……」


 正美まさみは頭を動かさずに目を閉じたまま答えた。


 九十九は隣にいる松村まつむら怪訝けげんな表情を見せ合うと、また彼女に向き直った。


「……あの由良一之ゆらかずゆきという男とは、どういうご関係で?」


 すると、それまで無表情だった彼女の顔つきが途端に崩れ始めた。


「彼は私が依頼した探偵です。由良さんは何処にいるんですか!? 今すぐ彼をここに呼んでください!」


 突然、泣きそうな声を上げた。


 刑事二人がまた思わず向き合った。


「……あの探偵を呼ぶ? あなたは被害者では? 現場に駆け付けた警官によれば、彼があなたを襲ったと」


 九十九は眉をひそめながら問い返した。


「違います! 襲ってません!」


 間髪入れず正美は語気を強めてその事実を否定した。

 

「……襲ってない? じゃあ、誰があなたを?」


 予想外の彼女の返答に少し戸惑いながら九十九がき返した。


「……」


 途端に正美は口を閉ざしてしまった。


「……山下さん?」


 九十九がいぶかしげに呼びかけた。

 

 をおくと、正美は言った。


「……彼女です」


「……彼女? ……彼女とは……誰のことです?」


「……」


 また正美は黙り込んだ。

 

「……山下さん?……あの……さっきから目を閉じてらっしゃいますが、もしや、後遺症か何か……?」

 

 九十九は正美の顔をマジマジと見つめながら尋ねた。

 彼女の鼻息を立てる音が聞こえた。 

 息遣いからも、動揺している様子がはっきりとわかった。

 長く感じる数秒間の後、彼女はつぶやくように言った。

 

「……見えるんです」


 九十九は訳が分からず、思わず目をしばたたかせた。

 

「……見える? って、……何が?」


 遠慮がちに首を少しかしげながら問い直した。

 

 正美はゆっくりと唾を呑み込んで言った。

 

が、見えるんです」


 九十九はまた隣にいた松村と目を合わせた。

 彼も全く意味がわからないといった様子だ。


 九十九は再び正美の方を向き、気を取り直すように少し語調を明るくして言った。


「あぁ……じゃあ、目を閉じたままで」


 彼は質問を変えることにした。

 

「今、かばんをどちらに?」


 するとその問いに鋭く反応するように、正美の表情が引きったのがわかった。

 

「何で……そんなことを?」


 今度は正美が怪訝な表情を返してきた。

 九十九は彼女を安心させるように優しい口調で言った。

 

「容疑者……いや……の話によると、どうしてもあなたの鞄の中が気になると言っていました。『それが邪魔をしてる』と。私には何の事だかさっぱりです……。失礼ですが中身を教えていただいていいですか?」


 質問の内容に安堵したのか。正美は表情を緩めながら、

 

「ええ。確か、たなにあります」


 包帯で巻かれた左手を上げ、人差し指を立てた。

 尚も目は閉じたままだ。

 

「看護師さんがボックスに入れてます。開けて見てもらって大丈夫です」


 正美がそう答えると、

 

「いや……ただの確認なので、ご本人に見てもらった方が」


 九十九は思わず両手を前に出し遠慮がちに返した。

 すると正美は言った。

 

「目を開けたくないんです。すいませんが、開けて見てもらえませんか?」


 想定していなかった返事に戸惑いを隠せない。

 

「……わかりました」


 九十九は松村と目を合わせると、少し面倒臭そうにベッド傍らにある床頭台しょうとうだいに近づいた。


 棚は二段あった。

 見た目からもかばんは入りそうにない。

 九十九は腰を屈め、一番下にあったマグネット式の小さな開き戸を開けた。


 見ると、白い皮製の可愛らしい手提げ鞄が入っていた。


 九十九は内ポケットから白の手袋を取り出し、両手にはめた。

 そして目には映っていないとわかっていながらも、正美の方を向いて軽く頭を下げた。

 

「……それでは、少し失礼します」


 九十九はカバンを開け中を取り出し始めた。

 入っていた物を一個ずつ床頭台の上に、丁寧に置いていく――


 大きめの黄色の財布、スマホ、顔剃り用の安全カミソリ、化粧セット――

 それらを見て、九十九は途中で面倒に感じ、取り出すのを止めた。


 ふと、鞄の底の方に、黒茶色の何かが見えた。


 取り出さず、顔を近づけた。


(……小石?)


 九十九は鼻で溜息をつくと、一旦出したものを全て中に戻した。

 鞄を元の位置に置いて小さな戸を閉じると、


「ありがとうございます。特に気になる物は、ありませんでした」


 立ち上がりながら言った。


「……」


「……山下さん?」


 九十九は咄嗟に呼びかけた。

 

 正美は何かそわそわして、落ち着かない素振りを始めた。

 

 すると彼女は表情を強張らせながら言った。

 

「その人を、追い出してください」

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