09 お金を下ろす方法

 男はナイフを窓口の女性行員に向けてぶんぶん振った。刃の厚い、ごついナイフだ。喉を滑りでもしたら、するっと切り裂かれるだろう。


「さっさとしろ! 客がどうなってもいいのか」

「客? それ、客じゃないでしょ」

 麗人れいとはいつもとなんら変わらない、あっけらかんと軽い口調で指摘した。

「マネキン人形は、客とはいわないんじゃないかなー」

「あぁ?」


 犯人は、人質の麗人をにらみつけた。正確には、自分の左手に捕らわれているはずの人物を。……それは人物ですらなかった。犯人は、露出した目を最大限に引き開け、反射的に腰を引いた。彼は左腕に、等身大のマネキン人形を抱えていたのである。しかもマネキンには、女性行員とそっくりな制服まで着せられていた。麗人はといえば、さっきの女性を助け起こして背後にかばいながら、すでに10歩ほど下がったところへ避難している。


 いつの間に。


 犯人は先ほどから、マネキンを人質にして、金を出せとわめいていたことになる。麗人は確かに、犯人の人質になったのだが、手品師の面目躍如、得意の早わざで人形と入れ替わったのであった。視線の集まる中心にいながらにして、誰も過程に気づかなかったほどの、鮮やかな手並みだった。

「げッ……!」


 しかし、実際にはほんの数瞬で見知った事態にすぎない。じっくりと状況を確かめている暇はなかった。黒川くろかわが、犯人の顔面に真正面からパンチをがつんと見舞っていたのである。犯人はマネキン人形に押し倒される形で、床にひっくり返った。黒いシャツに茶色の上着、迷彩模様のパンツにコンバットブーツと、ガラの悪そうないでたちの高校生は、あっさりと犯人をうつ伏せに床におさえこみ、踏みつけて、自由とナイフを奪い取ってしまった。

「いよっ、きまった!」

 麗人の底抜けの声援に、黒川は表情ひとつ変えず、仏頂面のまま一瞬だけ、空いた片手でピースサインを作って応じた。


「警察に連絡お願いしまーす」

 にっこりと笑いながら、麗人は窓口の奥に呼びかけた。すでに通報されているとは思うが、念のためだ。次に、背後にかばった女性を気遣う。

「怖かったよね。ケガなかった?」

「は、はい……大丈夫です」

 まだ震えの止まらない声で、女性は答えた。麗人はさっと彼女を見て、深刻な外傷はひとまずなさそうだと判断した。

「それはよかった。もう平気だよ、オレがついてるからね。……あ、そーそー、そっちは大丈夫?」

「ついで扱いしやがって」

 サングラスの上で軽く眉を動かして、黒川は苦々しく吐き捨てた。しかし、口調と挙措には余裕があり、負傷もせず、犯人をおさえこむ姿勢に無理もしていないことが容易にわかる。わかるからこそ、麗人の言い方も軽くなるというものだった。


 麗人が人質になると申し出たとき、黒川は麗人の真意を察して、犯人に接近をはかり、一撃をたたき込む隙をうかがっていたのである。当然ながら麗人の方では、黒川がそうしてくれることを期待していたのだった。信頼と連携を土台に、度胸や技量といったものでデコレーションした結果は完璧で、黒川の膝の下でうめき声となって結実している。


「オレ、嘘は言ってないよね。荒事あらごとは専門外だって」

めるのは得意中の得意だけどな。ところで、聞いていいか」

「なに?」

「マネキンって、どうやって持ち歩いてたんだ」

 いささか薄気味悪そうになった黒川の視線を受けて、麗人はにこっと笑った。

「職業上のひ・み・つ」

「つうか、なんでそんなもん持ち歩いてんだよ。まさか、――」

「いやぁねぇ、レディの前で。プライバシーよ、プライバシー」

「……もう聞かねえ。ああ、そこのカウンターから、払出はらいだし伝票ってやつ1枚取ってくれ」

「はいな。どうすんの」

 ぴらり、と麗人が紙片を振ると、黒川は呆れた表情になった。

「金おろすに決まってんだろ。この姿勢じゃATM使えねえし」

「あー、そっか。でも書くのも無理でしょ、オレ書いたげるよ。……ニューヨーク在住、ミッキー・ローク、と」

「ぶん殴るぞ」


 黒川が足に力を込めたので、犯人がその下で「あだだだだだ」と苦悶の声をもらす。ふたりの高校生の即興漫才を、客と従業員と、駆け付けた警察官たちが、唖然となって聞いていた。おそらく犯人も不本意ながら。

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