07 古典的な手法
……まだ、街が桜の花に色づいていたその日は、春休み期間も終わりかけという時期だった。遊びにでも行こうと考えたのか、木坂麗人と黒川遥は連れだって、とある銀行の支店に入った。昼前という時刻である。年度が新しく変わって間もなかったため、支店の内部はたいへんな混雑でごった返していたという。黒川はATMを利用するために、行列のしっぽにぶら下がった。麗人は邪魔にならないよう壁際に寄って、女性の利用客や従業員をにこにこと眺めていた。ほんのわずか目を離しただけで、黒川の後ろにもさらに人が並んでいる。えらく長く待ちそうだから、その間に誰かひとりくらいはお近づきになれるといいな、などと、いかにもナンパなことを麗人は考えていたらしい。
ふと、たまたま目の前を横切ってカウンターに向かう女性客に、麗人はなんとなく引きつけられた。後で麗人が語ったところによれば、その女性は「大学生くらいじゃないかな。髪はショートで、茶色っぽくして、ややくせ毛かな? 身長は160くらい、アナウンサーの
口説く時間はあるかしら、と麗人は、ちらっと黒川の進捗状況を確かめた。いけそうだね、と思ったときに、窓口で悲鳴とざわめきが上がったという。麗人のナンパ本能をくすぐった例の若い女性が、カウンターのすぐ近くで、男の左腕にからみつかれている。男の右の手にはナイフが握られていて、窓口と捕えた女性の喉元と、交互に向けられていた。
「金を出せ、早く、金を!」
目出し帽をかぶっていて、顔立ちがわからないにもかかわらず、なぜ男とわかったのかといえば、やはり声と体つきだろう。かぶってから、店に押し入ってきたのか。それとも、混雑を利用して店内でさっとかぶったのか。どちらにしても、男の人相をぱっと言える人は、居合わせた人々の中にはいないだろう。数瞬のタイムラグとともに、人々は事態を理解し、何本もの悲鳴が交錯した。男と女性の周囲に、渦のような無人地帯が広がった。従業員たちがカウンターの内部で硬直している。
「うわーお」
騒ぎの中で麗人は、いささか緊迫感に欠ける声を小さく上げた。
「えれえ古典的だな」
さすがにATMどころではなくなり、黒川が麗人の隣に寄ってつぶやいた。
「オレ初めて見ちゃった、銀行強盗ってヤツ。人生初体験」
「初にして見納めにしてえもんだな、1回見れば十分だ」
好き勝手なことを、麗人と黒川は小声でほざいていた。
客たちはそれぞれに、恐怖と狼狽に支配されていた。後ずさったり、姿勢を小さくしてしゃがみこんでいる者もいる。防衛本能なのだろう。出入口近くにいた人なら、とっさに脱出を果たしているかもしれない。
「テレビのドキュメンタリーで見たことあるけど、あれが本当なら、もう誰か警察に通報するボタン押してるよね」
「たぶんな。あとは、人質を盾にしてどこまで粘るか」
「あんなきれいな女性を?」
……黒川は、あきれたような目線を麗人にそそぎながら、あきれたように沈黙していた。
「なんなら犯人に確かめてみたらどうだ」
「わかった、そうする」
麗人はさっさと歩き出した。
窓口だけで8つもある、支店としては大きなフロアだ。犯人からすれば、警察が踏み込んできても不意打ちを食らいにくいという利点は、あるだろう。しかし、人質を利用して金を受け取ったとして、その後どう脱出するつもりなのか。単独犯か、仲間がいるのか。この男を逃がすために、仲間が支援行動をとっているのだろうか。麗人や黒川が犯人の心配をしてやる義理はないとはいえ、もし犯人が心理的に追いつめられて破れかぶれになってしまうと、もっとも危険なのは当然ながら、人質にとられた女性なのである。
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