03 問題児その1

木坂きさか、タキシードはやめろ」

「これ、手品師の正装なのよ」

「今はまだ高校生だろうが」

「将来を見据えてんのよぉ、将来を」

「服装を見据えるには早すぎるだろう」

「そんなことないよぅ。オレ卒業したらすぐヨーロッパ行くんだもん」

「卒業するまでは校則を優先させろ」

「だって、学生時代は一瞬だけど、仕事はその先ずっとだよ。今からいろいろ考えて準備しておくのは当然のことじゃないんでしょーか」

「服装は後回しでいいんだ」

「タキシードが似合ってなかったら、手品に説得力持たせられないよぅ。実力勝負の世界だし。センセ、経験ない? たとえば冠婚葬祭の席とかで、普段着なれないもの着なくちゃいけなくて、自分でもあぁ~このカッコ浮いてんなぁ~なんて思って、悪いことしてるワケじゃないのになんとなく肩身狭くて居心地悪いなぁ、なんて」

「まあ、それはな」

「ほーらね。だからオレは、卒業したら即、いつでもマジシャンとして活動できるように、常日頃からタキシードを着こなす修業を……」

「話をすり替えるな」

 しまった。より一層にこにこした麗人れいとの表情で、余村よむらは1点取られてしまったことに気づいて、苦虫を奥歯でがしっとかみ潰した。麗人とのやりとりは速射砲の応酬のようで、すでに余村は疲労困憊している。が、目の前にはまだ、問題児がもうひとり立ちはだかっているのだ。ここで力尽きるわけにはいかない。余村は心の中で踏ん張った。


 木坂麗人は、普段から手品師志望を公言している。明洋めいよう高校に入学して間もなく、進路希望調査の用紙に堂々と「手品師になってヨーロッパで成功し、各国の女性のもとを泊まり歩いて暮らす」と記入して提出し、生徒指導室(進路指導室ではなく)へ呼び出しをくらった、という伝説を築き上げた男なのである。感心にもというべきか、かえって面倒なことにというべきか、麗人は公言している進路について、それなりに準備を進めているようなのだ。もっともわかりやすいのは、彼の英語能力である。科目としての成績がいいばかりでなく、英語を自分の言語として使いこなしていることが、ちょっと注意すれば見てとれるのだ。ある日、4組で英語の授業が行われているときに廊下を通りかかった余村は、たまたま麗人が指名されてテキストを読み上げているのを耳にしたことがある。バイオリンを思わせる、滑らかで光沢のあるテナーが、一瞬のよどみもなく英文を独奏したのを聞いて、余村は歩調をゆるめたほどだ。教室のどこかからため息が、いくつももれていた。とはいえ、その直後の和訳で麗人はしっかり笑いを取っていた。「彼の主張はもっともだが、私としては、美しい女性の意見が尊重されることを願う」……途中で麗人は意識して声の調子を変えていたし、くすくす笑いもわき起こっていたから、たぶんそんな内容は原文になかったのだろう。その後余村は、麗人の言語能力が英語だけでなく、フランス語やドイツ語にも及んでいることを知るに至った。それだけ器用にいろいろ話せれば、卒業後どころか今すぐヨーロッパに渡っても、日常生活にまず支障はないだろう。が、こと成績という話になると、せめて卒業くらいしてくれと言いたくなる。英語と物理が突出して好成績で、古文と日本史は逆方向への突出を示している。なのに、女性を口説く和歌や源氏物語のエピソードなどは、ピンポイントで把握している。そのほかの、基本的に過ぎ去った時代には興味はない、という生きざまが現れているようで、去年の成績を確認した余村は吹き出しそうになったものだ。ここまでくるといっそすがすがしい。いやいや、今はそんな場合ではない。


 余村はひとつ咳払いをすると、ターゲットを一旦切り替えることにした。

黒川くろかわ……」

「……はるかちゃん、呼んでる」

「ん」


 麗人に肘をつつかれて、ぴくんと黒川は頭を起こした。余村は手を伸ばし、どう見ても眠っていた黒川の顔からサングラスを引き抜いて、机に置いた。今にもかみつきそうな黒川の目つきは、10回見たうちの8回は眉間にしわが入っているという具合で、彼のことをよく知っている者でなければ、声をかけるのはためらわれてしまう。実態は、単に眠たいだけでしかないということを、余村も最近わかってきたところだ。中学ではかなり荒れていたそうだが、高校に入ってからは、これでもかなり「丸くなった」といえるだろう。遥という名前は本名であるが、完全に男であり、当人も名前で呼ばれることをひどく嫌がる。彼を堂々と名前で呼べるのは麗人くらいのものだ。いつも不機嫌そうにしているので、ほとんどの生徒から敬遠されているのだが、それもやはり、眠くてだるいだけなのかもしれない。麗人とは別の意味で、緊張感が欠如している。


「お前の恰好はなんだ」

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