06

 突如として大猿が現れた。床に臥せていたはずの母が大猿から俺を助けてくれて、その隙に兄弟たちは逃げ、今俺と母は大猿に追い詰められていた。

 俺のせいで大猿からの攻撃をまともに食らった母は倒れ、俺は俺で足を怪我したせいでまともに立ち上がることもできない。

 まさに絶体絶命。

 しかも大猿は標的を俺に絞っている。今も俺をあざ笑うかのようにゆっくりと俺に近づいてくる。


『く、そぉ』


 何とか逃げようと四肢に力を籠めるが、さっきまで逃げつつけていたおかげで体力は殆ど残っていない。それに加えて足にけがまでしているからどうしようもない。

 唯一の希望の母は未だ倒れて動かない。

 一瞬死んでしまったかとも思ったが、浅く息をしているのが見て取れた。よかった、母は生きてる。

 しかし、だからと言ってこの状況が好転するわけでもない。

 一体どうしたらとパニックに陥っていると、大猿がついに俺の下までたどり着いた。


(まずい、何とかしないとっ⁉)


 そうは思うものの、まったく体が動いてくれない。

 情けないことに、俺は恐怖している。

 それは死が目前に迫っているせいなのか、それとも大猿から放たれる強者の圧なのか。

 その強者はゆっくりとその丸太のような太い腕を持ち上げる。

 どう考えてもそのまま振り下ろして俺を潰すきだ。


(動け、動けよっ‼)


 それから逃げようと藻掻くが、腰を抜かしたように俺の体は動いてくれない。

 ついに大猿の腕が天に到達する。

 それを見て、俺は来るであろう痛みを我慢するかのように目をつぶった。

 が、想像していた痛みは一向に来ない。不思議に思って恐る恐る目を開けると、そこには倒れていたはずの母が大猿の首根っこ噛みついている姿が映った。


 グオオオオオオオ⁉


 深く牙を食いこませたことで絶叫を上げながら母を振りほどこうと暴れる大猿。そんな大猿を絶対に離さないというほどの気迫で母は牙を更に食い込ませる。

 懸命に食らいつく母。しかし、大猿も只では倒れない。

 大猿は何を思ったのか、その体を近くの木に激突させたのだ。おそらく狙いは食いつく母を潰そうとしているのだろう。それを察したのか、母はすぐさま大猿から離脱する。

 離脱したタイミングが丁度大猿が木に体当たりする寸前と、その勢いもあってか、大猿は木をなぎ倒した勢いで転ぶように吹っ飛んだ。

 それをチャンスと見て、母は俺に近づくとすぐさま首根っこを咥えて走り出す。


『母っ⁉』


『黙っていなさいっ‼』


 喋る余裕などないと言わんばかりに母は速度を上げて大猿から離れようと奔る。

 が、大猿は俺たちをそうやすやすとは見逃してはくれないみたいだ。


『っ、母‼』


 走っているはずの母と俺の真上から何か巨大な影が覆いかぶさるように現れる。

 それは―――――――


『岩だ、避けろ母っ‼』


『っ⁉』


 あろうことか大猿は近くにあった岩を俺たちに向けて投げたきたのだ。

 母はかろうじて横にそれることで飛来してきた岩を回避。が、残念なことに投げてきた岩は一つではなかった。


『あいつ、手当たり次第にッ』


 大猿は続けざまに一つ二つと岩を投げ飛ばしてくる。影が差し込むことでどの地点に岩が落ちてくるのか予測はできるが、これだけの量を投げられれば逃げ道も塞がれてしまう。

 辺りに隕石のように岩が落ちてきて木々や地面を破壊していく。その一つがある場所に落ちる。


(今の場所、リンゴのッ)


 落ちた場所は丁度俺がリンゴを食いに行く場所だった。落ちた場所から考えて、おそらくリンゴの木があった場所付近。もしかしたら今のでリンゴの木はダメになったかもしれない。


(クソっ、貴重な俺の食料が!)


 などと言っている暇はない。気づけば岩が降ってこなくなっていた。どうやら手頃な岩はすべて投げつくしてしまったようだ。

 これで安心、とはいかない。

 後ろから轟音を立てて木々がなぎ倒されていく。その破壊の波が徐々にこちらに近づいている。

 大猿だ。

 逃げる俺たちを追いかけてきてるのだ。しかもそのスピードは尋常じゃない。こちらも結構な速度で走っているのだが、大猿はそれを上回る速度でこちらを追跡している。

 その原因は母の体力だ。

 森の中、加えて先ほどの投擲を避けるために使った体力。何より大猿からもらったダメージが相当きている様子だ。もともと床に臥せているほど体調がよくなかった母。そんな母があんな攻撃をまともに食らった上に、俺を抱えて逃げていれば当然体力の消費は激しいだろう。


(結局俺が母の脚を引っ張ってるってことかよ‼)


 俺のせいで母は窮地に陥っている。それが俺には悔しくて悔しくて堪らない。

 だが、いくら悔しがったところで俺にできることは何もない。

 不毛な鬼ごっこの終わりはそんな無力を嘆いている時に訪れた。


『っ⁉』


 母が急ブレーキをかけるように慌てて止まった。

 何かと思ったら、なるほど、これは止まるざる負えない。

 俺たちの目の前には滝があった。

 足を止めた場所は滝の上、しかも崖のように高い場所。向こう岸はジャンプをしても届きそうにないほどの距離。

 詰んだ。

 俺はそう思ってしまった。それほどまでに現状は絶望しかなかった。

 さらに―――――――


(もうすぐそこまで来てるッ‼)


 大猿は俺たちのすぐ後ろまで迫ってきていた。


(もう、ダメなのか⁉)


 俺が諦めかけたその時、母は何を思ったのか、俺を地面におろした。

 何を? と思うって母を見上げると、母はまっすぐに俺の瞳をのぞき込むように顔を近づけてきた。

 母の鼻先が俺の額に触れる。すると次の瞬間、頭の中に聞き覚えのある声が響いた。


『系譜への回廊により、スキルの譲歩が開始されました』


 は? と思った時には声は次々と頭に響いてくる。


『系譜への回路により、スキル『俊敏』を継承しました』


 系譜への回路? 俊敏? 継承?


『系譜への回路により、スキル『爪撃』を継承しました』


『系譜への回路により、スキル『牙撃』を継承しました』


 待て待て待てッ! 一体何がどうなってる⁉


『系譜への回路により、スキル『気配察知』を継承しました』


『系譜への回路により、スキル『真眼』を継承しました』


『系譜への回路により、スキル『スラッシュクロウ』継承しました』


『以上で、スキルの継承は終了になりました』


 頭に響く声が途切れる。

 一体何が起きた? 今の声はリンゴを食った時にも聞こえたあの声と一緒だったように聞こえた。それがいきなり頭に響いたと思ったら訳の分からないことを言ってきた。それだけでも意味不明なのに、その内容も意味が分からん。なんだよスキルの継承って。てか、その前に譲歩って言ってなかったか? それってつまり、母が持っていたスキルとかいうやつを俺に譲ったってことか?

 ・・・・・・・・ダメだ、情報量が多すぎて訳が分からん。


『母、今のは・・・・・・』


 俺が母に尋ねると、母は優しげな眼を、それでいて、どこか悲しそうな眼を俺に向けた。


『私ができるのは、これくらいしかない』


『母?』


『あなたなら、大丈夫』


 母は俺の疑問に答えになっていない答えをよこした。

 混乱する俺をよそに、母は俺の頬にそっと自分の頬を押し付ける。




『生きなさい』




 母がそういった瞬間、俺の体が宙を舞った。


『え?』


 母が俺の体を突き飛ばしたのだ。

 宙を舞う俺の体が重力によって下に落下していく。その先は激臭と言いて差し支えないほどの川。その行先は勢いよく流れ落ちる滝。


『な、なに――――――』


 何をするんだっ‼ そう叫ぼうとしたが、それはできなかった。なぜなら、その光景を見てしまったから。

 混乱していたから気づかなかった。母の背後に大猿がいた。

 その光景はスローモーションのようだった。

 母の背後に立つ大猿が腕を振り上げていた。

 その腕が母に向けて振り下ろされる。


『‼』


 スローモーションのように映るその世界で、母の体は、振り下ろされた大猿の腕に、潰された。


『母あああああああああああああああああああ‼』


 視界から大猿と母が消えた。俺の体が崖下に落ちたからだ。

 そして、すぐに俺の体は激流の中に落ちるのであった。

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