第8話-1

「あのー、そのー……き、今日は作業、休みにするか」


「え、ええ、そうね」


 お義父さんに「似合っているよ」と髪型を褒められ、掃除も終わり、お義父さんお義母さんが仕事場へ移った頃、私は縁側でお茶を啜っていた。春夢はダイニングの自分の席で。


 ダイニングとリビングは併設されていて、どちらも戸を開ければ廊下、そして縁側に繋がっているのだ。


「まあ、あんたが色々考えて色々やってたのは知ってるつもりだし、その……ドンマイ」


「慰めてるつもりかそれで。……俺だって自分が回りくどい道ばっか選んでる自覚はあるし、あの、さっきのことは忘れろとは言わないけど反芻しないようにはしていただきたいです」


「……努力はします」


「努力て。……じゃあ、これやる」


 「何? 賄賂?」と春夢の方を向くと、春夢は一枚の呪符をこちらに差し出していた。


 とりあえず貰えるものは貰っておこうとダイニングの方へ行きそれを受け取る。


 しかし当然私には呪符の知識がないため、これが何の効果を持っているかは全く分からない。


「それ、俺がお前に水掛けたときのやつ」


「ああ、バケツの」


「そっちじゃなくて、水鉄砲みたいに飛ばしたやつ」


「あー」


「……水を司る神獣は玄武っつう亀だ。だから使うときは」


「慎みて玄武に願い奉る?」


「おお、正解正解」


「ちっちゃい子を褒めるときの褒め方ね」


「そんなつもりはそこまでなかったんだが……」


「ちょっとは あったってこと?」


 いつものちょっとした言い合い。


 普段ならギスギスするところだが、今は気まずさは薄れ、元の空気も戻ってきた気がする。


 春夢も同じことを思ったのかフッと笑うと、何かを見つけたらしく立ち上がって縁側へ。


 ひょいと屈んだ春夢。

 「どうしたの?」と私は近づき声を掛けた。


「……かわいいぞ」


「ふぇ?」


 何、急に。


 春夢は立ち上がりくるっとこちらを向くと何かを差し出し……。


「見ろ、この蛙、かわいくないか?」


「慎みて玄武に願い奉る、急急如律令!」


 ビシャアアア


「何すんだお前えええええ!!!」

「ギャアアアアアア!!!」


 春夢が水を被り、それに驚いて春夢の手から抜け出た蛙が私にピョーンと飛びかかってきた。


 そのまま蛙は中庭に帰り、残ったのは濡れた二人と濡れた縁側。


「……」


「……」


 前もこんな風になったわね。


「桜さん!? 春夢さん!? 遊ぶなら室内で遊びなさい!」


 お店の方からお義母さんの声。


 まずい、お義母さんにこのビショビショの縁側を見られるわけにはいかない!


 私は春夢と目を合わせ頷き合うと


「俺あっちに干してある雑巾取ってくる」


「じゃあ私はあっちのタオル持ってくる!」


 共同戦線を開始した――。






 またじゃんけんに負けた私は春夢がお風呂から上がるのを待っていた。


 ……ひまー……てか自分も掛かる距離で水出すんじゃなかったなー蛙もこっち来るし……。


「……ん? てか、……あ、あれ?」


 さっきは色々必死だったから考える余裕はなかったけど。


「私……術使えた!?」


 私、水 出したよね!?


「え、うそウソ嘘。え、やったー!!!」


「どうしたーまた何かやったかー?」


 お風呂場から春夢の声。


 私はダダダーっと脱衣所の戸の前に行く。


「あのね、使えたさっき私水初めて玄武が術で」


「なんて?」


 ああ、落ち着け私。こういうときは一旦深呼吸。


 私は「ふうう」と息を吐いて戸をガラッと開けると


「あのねきゃあああ!!!」


「ギャアアアアアアアアアア!!!」


 閉めた。


「ごめんパニックになってた」


「だろうな。パンツ履いてて良かったわ。……で?」


「ほんとごめん。……あ、あのね、さっき私、術使えてたよね? あんたから貰った呪符で、水飛ばしたよね?」


 シーン


 あれ。

 と思った瞬間戸がガラッと開き


「マジじゃん」


「きゃあああああ!!!」


「ごめん」


 閉まった。一瞬見えた春夢の顔は真顔だった。




 そして一瞬見えた春夢のお腹には……。




「……と」


「……。……あ、え、ごめんなんか言った?」


「っ、だから! おめでと……って!」


「…………。ありがと」


 春夢がそんなことを言うのは珍しいと分かっていながらも、私の心はのせいですっかり冷え切っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る