第12話 幼ナーガ、初めて人の街を歩く


 ***


 大きな石の門を抜けた蛇尾族の少女は街を一目見てあっけに取られた。


 立ち並ぶ三角屋根の家々、ごつごつ硬い石畳、遮るものもなく天から降りしきる陽光。それから街中を縦横無尽に走る整備された水路。

 空は一面青く染まって、遠くを見やれば峻厳な岩山が聳え立っている。


 そこは少女がこれまで暮らしてきた泥地とは何もかもが異なっていた。


 交渉日から三日後、彼らはようやく璧門の向こう側へ足を踏み入れることを許された。


 二人は本日もきちんと衣類を身に付けている。


 竜人のシーツは何度か纏ううちに鱗や角にひっかかってぼろぼろとなり、過酷な旅を共に過ごしてきたような渋い雰囲気を更に醸成させていた。


 少女はエルシィにもらった白いワンピースに、肩からベージュ色の鞄を提げている。ワンピースは先日の件で砂まみれになったのがわずかに落ち切っていないが、まだまだ綺麗である。


 衣類の扱いについてはエルシィにしっかり教わった。

 交渉結果を聞いたエルシィは投票の時まで協力すると竜人達に約束してくれた。


 肩掛け鞄は交渉成立の記念にとエルシィが与えたものだった。

 黒いボタン一つで留める横長ので、中には革の水筒を入れている。


 蛇尾族は人間と比べて気温の変化に弱い。

 水に潜る習性だから寒さには耐性を持つが、熱は苦手だ。街は本来の住処よりも気温が高いから、いつでも水分を補給して体温を調整できるようにしておかなければ心配なのである。


 二人は衛兵達に囲われて舗装された道を歩き出す。


 少女は真っ直ぐ前を見る竜人の後ろにぴったりくっついて、大切そうに紅い片手を握って、きょろきょろと辺りを見回しながら這いずる。ワンピースの裾がひらひら揺れる。


 太陽は真南を通り過ぎて西に近づきつつある。

 人通りはほとんどない。


 一行の傍らを流れる水路は船を浮かべられるだけの幅があり、実際そこここに木製の小舟が繋がれているのだが、やはり櫂の漕ぎ手は見当たらない。


 市民は魔物がやって来るという話を聞いて閉じこもっているらしかった。


 ここ百年程人間と魔物の戦争は行われていないので、夜の地ノクティスに近いシルトの街でも魔物を見たことのある人間は少ない。

 事情は彼らを囲う衛兵達もそう変わらない。


 案内役の衛兵達は体の大きく屈強な竜人を間近に見て恐れおののいた。体はシーツに隠れているが、鱗に覆われた顔面だけでも強烈だ。

 頭の骨格が人間に近く、顔立ちは人とそう変わらないのが余計に恐ろしく見えるのかもしれない。


 竜人の顔面は見ることが憚られるから、ひ弱そうな少女の尾っぽに衛兵達の視線が吸い寄せられる。

 少女はちらちらと周囲の目線が自分の尾っぽへ向くのに居心地悪そうである。


 二人の外見に慣れてくると衛兵達は小声で囁き合った。


「魔物がリボンなんかついた洒落た服を着て歩いているぞ」

「まるでピクニックに行くみたいじゃないか」

「呑気な奴らだ」


 彼らの軽口に反して少女の胸中ははち切れんばかりの不安で一杯だった。


 少女らを囲う人間の衛兵達は武装しておりいつでも剣を抜ける。

 それがまず恐ろしい。


 少女の暮らしたところの地面は大抵柔らかい泥か土であるから、硬い石畳みなど慣れなくて這いづらい。


 少女を最も鬱々とさせるものは三角屋根の家々である。石造りの家の多くは壁が白やクリーム色に塗装されていて、天辺に茶色や赤銅色の三角屋根が乗っかっている。これがずらりと並んでいる光景は中々壮観である。


 しかし蛇尾族ナーガの少女にとってみれば、武器を蓄えておける石の家は小さな要塞と言っても相違ない。その中に籠る人間達がいつ何時凶器を手に飛び出して襲ってくるか分かったものではない。

 

 少女はそれが怖くてずっときょろきょろしていた。


「セレン、あまり怯えずともよい。人間共は臆病だ。今日は出てこぬだろう」


 竜人が穏やかな声で少女を励ました。少女は頷いたが、頻りに首を巡らせて辺りを見回すことはやめられないようだった。


 アーチ状の橋を渡ってしばらく行くと、一際大きな四角い建物があった。

 塗装されていない剥き出しの石壁が特徴的だ。宿らしい。


 宿を通り過ぎた隣に暗い灰色の、やはり石壁が剥き出しになった小さな建物がある。二階はなく赤銅色の三角屋根が乗っかっていて、煙突が突き出している。   


 衛兵達が足を止める。


「ここだ」

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