第7話 幼ナーガのささやかな決断
「貴様は一介の平民に過ぎぬのだろう? それほどの信用があるのか?」
「ありますよ。少なくとも魔物のあなたよりは」
竜人が不思議そうに尋ねると、女はやはり胸を反らしながらなんとも頼りにならない答えを返した。
「……それで、見返りは何とする?」
「見返りですか? 別に、そんなのいりませんよ」
「何? では何故我らに助力せんとする?」
竜人が虚を突かれたように気の抜けた声を出す。女は彼の後ろからほんのわずかだけ顔を覗かせる少女に目をやって微笑んだ。
「だから言ったでしょう、私、子ども好きなんです。その子の笑う顔が見られたら、それが私の報酬です。人間だって、魔物だって、子どもは等しく愛されなければならないと思うのです」
男はしばしの沈黙を置いて後ろに隠れる少女に問いかける。
「其方はどう思う?」
「え」
少女は自分の意見を聞かれることなど想像もしていなかったらしい。竜人と女を交互に見やって、何と言ったらよいか分からず狼狽えている。
やがて彼を見上げておずおずと小さな唇を開いた。
「わたし……わたしは、ガレディアの決めた通りにする」
「そうか」
竜人は女に目線を戻して告げる。
「よかろう。其方の力を借り受けることにしよう。世話になる」
女は満足そうに一つ頷くと、興味津々な瞳で彼に尋ねた。
「その子、なんていう名前なんですか?」
「セレンだ」
女は結んだ金髪をふりふりさせながら、早速竜人の後ろに回り込む。抑えていた好奇心が溢れ出したようである。
女は屈みこんで少女に目線を合わせるとにっこり笑う。
「セレンちゃん、よろしくね」
少女は瑠璃色の瞳を逸らすと、恥ずかしがるようにして男の前側に回り込んでしまった。ずるずる動く尾っぽの先だけが女の視界に残される。
「あ」
女が前側に戻る。すると少女は反対側に逃げてしまう。
「ふっ。分を弁えるが良いぞ小娘。こやつは人間になど早々懐かぬのだ」
竜人が勝ち誇った笑みを浮かべて女を見下ろすと、女も意地を張って言い返す。
「何とでも言えばいいです。きっと仲良くなって見せますもん」
立ち上がった女がふと思い出したような顔をする。
「そう言えば、あなたの名前、ガレディアさん、であってますか?」
「うむ」
「私はエルシィです。よろしくお願いしますね、ガレディアさん」
エルシィはダークブルーの瞳に温かい光を灯して口元を緩めた。
*
「セレンちゃんに服を着せましょう!」
エルシィが嬉々として竜人に提案する。
彼らは始めに出会った森の中で話している。
「綺麗な服を着せたらきっと可愛いですよ」
ダークブルーの瞳が竜人の後ろから彼女を窺うあどけない顔に向けられる。ちょこんと除く少女の華奢な肩は白い肌を惜しげもなく晒して全く無防備そうである。
「駄目だ」
竜人はピシャリと言い放つ。
エルシィは不服そうに頬を膨らませる。
「何でですか?」
「うむ。衣などは童の美しさを隠す余計な殻に過ぎぬ。裸体こそ至高である! この
「何言ってるんですか!? 大体、あなた達にも文化があるからと黙ってましたけど、人間の世界では女の子を裸で連れ歩くなんてとんでもないことなんですからね!! 街に入る時は絶対に服を着せます!」
顔面を上気させて頭頂から何か吹き出しそうな勢いでエルシィは宣言する。
話題の少女は勢いに気圧されて頭を引っ込める。
一方の竜人は益々意思を固くする。
「要らぬと言っておろう!」
「だ・め・で・す!!」
二人の口論は続く。
竜人がもし人間であったなら、その様相は愛娘の養育方針について延々と痴話喧嘩の終わらない夫婦のように見えたかもしれない。少女は我関せずとばかりに竜人の後ろで影を潜めてじっと成り行きを見守る。
「
竜人が堂々と宣言する。
「え、そうなんですか?」
エルシィは目を丸くして問い返すが、すぐに勢いを取り戻す。
「それはそれです! 人間は服を着る種族なんです! ずっと裸のままだと野蛮な印象に見られてしまうかもしれません。服を着せた方が絶対に交渉を有利に進められます!! どうですか!?」
綺麗な顔をずいっと近づけて進言する彼女の言葉に竜人は苦々しく顔面を歪めた。
「ぬぅ。それは一理あるかもしれぬ」
互いに意見は出し尽くしたらしい。
場は膠着する。
「熱くなり過ぎました。ガレディアさん、本人の気持ちはどうなんですか?」
「ふむ。セレン。其方はどう思う?」
振り返って尋ねる竜人の背から少女はひょっこり顔を出した。
先日は突然意見を尋ねられて困ってしまったので、今回は狼狽えないようにきちんと考えを巡らせていた。
少女はどこへゆくにも生まれたままの姿で一向にかまわない。何か身に纏うと体に泥を擦りつける時に邪魔になる。
水に潜る時も不便だし、それに窮屈そうである。
しかし少女の小さな胸の内を占める目下の最重要事項は獰猛な人類から我が身をいかにして守るかということである。
人間の真似をして肌に布を被ると彼らの気質が少しでも温和になるのなら、少女にとっては安いものである。
少女はほんの少し後ろめたげに竜人を見上げる。
「わたし、服、着る」
「聞きましたか!? 今回は私の勝ちです!」
竜人は少女の頭に大きな掌を乗せた。深緑色の瞳を細めて語り掛ける。
「そうか。世の財宝に劣らぬ美貌を余すところなく人間共に知らしめてやれぬのは残念であるが、其方が受け入れると言うなら仕方あるまい」
彼はエルシィに目線を戻す。
「小娘。衣類の用意は任せられるか?」
「いいですよ。
人使いの荒い注文にも彼女は気前よく応えてくれるのだった。
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