第38話 演技
「勇人!」
アーリィが声を上げる。
俺がその声に振り返るより早く、オートガードが反応し体が大きく横に飛ぶ。
「あら、躱されちゃったわね」
先程まで自分が立っていた場所にサキュバスが立っていた。
彼女はその細い指で真っ赤な唇をなぞり、楽しげにこちらを見つめる。
くそっ。
全く見えなかった。
目の前にいたはずのサキュバスが突如姿を消し、気づけば攻撃されていた。
接近する姿すら捉える事が出来なかった事に焦りを感じる。
≪限りなく転移に近い動きです。ここは体内に等しいですから、彼女は自在に動き回れるのでしょう≫
こっちは転移できないってのに、あっちは使いたい放題って訳か。
ふざけやがって。
せめてスキルや魔法であってくれたなら、対処できるものを……
心の中で毒づきながら、ちらりと一瞬アーリィの方を見る。
横に大きく回避したため、今や彼女との距離はサキュバスの方が近い。
サキュバスは変わらず此方を楽し気に見つめ、笑っている。
奴の意識が此方に向いている間は良いが、万一アーリィを狙いだしたら転移しまくる相手から彼女を守り切るのは至難の業だ。
何か手を考えないと。
≪Sランク魔法、
折角手に入れた3つめのSランクだが、元々は無かったものだ。
この際仕方ないだろう。
まずはアーリィに――
「ふふ、彼女の事が心配」
「――っ!?」
言葉と同時に姿が掻き消え、アーリィのすぐ後ろにサキュバスが姿を現す。
そのままサキュバスは彼女を背後から抱き竦め、頬ずりする。
「ひっ」
「あら、すべすべで妬ましいわぁ」
サキュバスの右手がアーリィ頬を撫でる。
やがてその手はゆっくりと喉、胸元を通り、彼女の腹部の中心をまでなぞり降りていく。
「ふふふ、凄く柔らかい。ここを引き裂いたら、ガーベルなんかよりずっと綺麗な赤い花が咲くんでしょうね」
突き付けた指先をくるくると回し、サキュバスは悪戯っぽい笑顔を此方へと向ける。その瞳は紅く輝き、此方の反応を楽しそうに伺っていた。
「く……」
動くべきかどうか迷う。
腹を割かれても、即死さえしなければ天使の施しでどうにでもなる。
だが……
≪ここはダメージ覚悟で突撃すべきかと≫
アバターの言うダメージは、俺ではなくアーリィの事だろう。
実際俺もそうすべきだとは思う。
だが腹を割くだけならいいが、はらわたを引きずり出されでもしたら即死も十分あり得る。
そう考えると動けない。
せめて相手の気さえ引ければ。
反応を一手遅らせられるだけで、結果は全く変わってくるはず。
≪ミスターが死んだふりをするのはどうでしょう?≫
は?
アバターの唐突な案に、思わず間抜けな声を心の中で上げてしまう。
正直言っている意味が分からない。
相手に攻撃された訳でもないのに唐突に死んだふりなどしたら、呆れられ
るか、逆に警戒を強めてしまうだけだ。
≪唐突にするのではなく、アーリッテ・ベラドンナの解放条件として自害を申し出るのです≫
どういう事だ?
≪「彼女を離せ!俺は彼女を愛してるんだ!彼女が助かるなら俺は死んでもいい!だから!」的なセリフで交渉して、相手がオーケーを出したら炎皇剣を腹部にグサッといきます。そして油断したサキュバスに、ダッシュで突進して必殺の一撃を叩き込むという作戦です≫
ちょっと待て。
炎皇剣なんか腹に刺したら、真似どころか俺は確実に死ぬぞ。
≪問題ありません。炎皇剣の炎は刺す瞬間消しますので。それに刺す場所も、私の指示に従って貰えれば致命傷は避けられます。死んだふりに関してもSランクスキルの痛覚無効を使えば問題なく演じられるでしょう≫
そんな手で本当に上手くいくのだろうか?
演技など生れてこの方した事はない。
正直相手を騙すだけの演技が、できる自信など俺にはまるでなかった。
≪どちらにせよ、他に手があるとは思えません。今できるのはそのままダッシュで突っ込むか、相手を死に真似で騙してから突っ込むかのどちらかだけです≫
……わかった。
それでいこう。
他に手が無い以上、それでいくしかないだろう。
少なくとも何もせず突っ込むよりはましだ。
しかしこんな事なら、コスプレイヤーの姉から少しは
まあ今更悔やんでも仕方ない事だが。
俺は心を落ち着かせるため、息を大きく吸う。
そしてゆっくり吐き出し、意を決して決行する。
「サキュバス!アーリィを離せ!俺は死んでも構わない!だから……だから彼女だけは傷つけないでくれ!」
サキュバスは俺の言葉に驚いた様に、一瞬目をぱちくりさせる。
だがすぐにその表情を意地悪そうな笑顔に変え、人差し指を唇に当てて考えるそぶりを見せた。
「ん~、どうしようかしらねぇ~」
「頼む!彼女を愛してるんだ!お前が死ねというなら今ここで死んでもいい!だから彼女だけは見逃してやってくれ!」
「勇人!私の事は気にせず戦って!」
「言っただろ。君を絶対守るって。そのためなら俺は命だってかける!」
「駄目よ勇人!私も……私もあなたを愛してるの!だから……」
ナイス演技だ。
どうやら俺の意図に気づいたらしく、アーリィが迫真の演技で合わせてくれる。
2人が強く愛し合っているとサキュバスに思わせられれば、俺の言葉の説得力が増すという物だ。
俺一人の演技では微妙だったが、これならうまく騙せるかもしれない。
「うふふ、そんなに見せつけられたら焼けちゃうじゃない」
「頼む!彼女の命だけは!」
「勇人!駄目よ!」
「そうねぇ。じゃあ、貴方の思いに免じて彼女は返してあげる」
そう言うとサキュバスはアーリィから離れる。
「は?」
「え?」
何が起こったのか一瞬理解できず、変な声が漏れた。
それはアーリィも同じで、驚いたようにサキュバスを振り返る。
「どうしたの?王子様が待ってるわよ?」
そう言われ、現状を理解したアーリィは俺に向かって駆けだす。
俺も慌ててアーリィの元へと駆け寄る。
「勇人!」
「アーリィ!」
俺は飛び込んでくるアーリィを力いっぱい抱きしめ、その耳元で謝る。
「ごめん。守るって言ったのに危険な目に遭わせちまって」
「いいの。いいのよ、勇人」
俺は抱きしめていたアーリィから手を離し、サキュバスを睨みつけた。
何故すんなりアーリィを解放したのか?
相手の意図がまるで分からない。
一瞬アーリィに何かしてたのかとも思ったが、スキルで確認しても魔法が掛けられた様な形跡はなかった。
「うふふ、そんな怖い顔で睨まないで。2人の素晴らしい愛に胸を撃たれただけよ。ああ、もう一つサービスしてあげる。転移魔法で彼女を逃がしてもいいわよ」
こいつ……何を考えてる?
とんでもなく有難い申し出だが、普通に考えれば罠だ。
だがなんの?
人質を手放してまで駆ける罠など、俺には思い浮かばない。
「何が狙いだ?」
「ふふ、人間って脆いでしょ。愛する相手を目の前で壊すとすぐに発狂しちゃったりするんだもの。せっかっく苛め甲斐がある相手なのに、恋人が壊れて発狂しちゃったら詰まらないもの」
壊す……か。
まるで人間を玩具か何かだと思ってる様な口ぶりだ。
ふざけやがって。
だがまあいい、そのおかげでアーリィを逃がせるのなら喜んで乗らせて貰う。
「ああ、言っておくけど。貴方が壊れたら、ちゃーんと彼女も壊しに行くわよ。精々頑張って、私を楽しませてね」
サキュバスが楽し気にウィンクを飛ばしてくる。
世界で一番胸糞の悪いウィンクだ。
「勇人」
アーリィが不安げに俺の袖を摘まむ。
俺はそんな彼女の頭を笑顔でぽんぽんと軽く掌で叩いた。
「大丈夫。俺は負けないよ。だから先に皆の所で待っててくれ 」
「分かりました。勇人、貴方を信じます」
お互い見つめ合って頷いた後、彼女を転移魔法でリリー達の元へと送る。
≪転移は無事完了しました≫
罠の可能性も懸念していたが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
とにかく最大の懸念材料は無くなった。
後はサキュバスを倒すだけだ。
「もういいかしら?」
「ああ、待たせたな」
俺は剣を握り締め、真っすぐに相手を睨みつける。
「いいわぁ、その自信満々の顔。その顔が絶望に歪むのが楽しみよ」
サキュバスは獲物を狙う様な瞳で、楽しそうに舌なめずりして笑う。
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