第36話 魔人サキュバス

魔人の体内。

つまり俺達は、完全に敵の手の内にあるという事になる。


≪人が魔獣に変わった時点で魔人の存在は想定できたはずなのに……すいません、迂闊でした≫


謝る必要はない。

どちらにせよ時間が無かった以上、ここに来ないという選択肢は無かったのだから。


等価交換で辺りを見回す。

此処が魔人の体内に等しいというならば、相手のスキルが見えるはずと思い確認したのだが、何も俺の目には映らない。


スキルが見当たらない?

強力な魔人がスキルを所持していないとは思えないのだが。


≪十分にあり得ます。魔人にも強弱は当然ありますので≫


てことは、それほど強い魔人ではないという事か。

正直関わっている魔人がズィークラスだとお手上げな事を考えると、それは朗報と言える。


≪ですが油断はしないでください。これだけ広範囲に魔力を拡散出来る以上、スキルが無くとも決して弱い魔人という事はあり得ませんから≫


勿論、油断はしていない。

だが弱ければ弱い程嬉しいのが人情って物だ。


兎に角、まずはアーリィを救出する。

まずはそれからだ。

人質にとられている様な状態では、まともに動く事も出来ない。


だが俺が動こうとするよりも早く、台座に眠るアーリィの胸元にガーベルのナイフが突きつけられる。


「さて、どうかね?君も彼女には生きていて欲しかろう?」


何が生きていて欲しかろうだ。

生贄として使う気の癖に、良くもそんな台詞が言えたものだ。


「ああ、心配しなくとも良い。別に生贄は彼女でなくとも、王家の血筋で強い力を持つ者ならなら誰でも構わないのだ。君が我々に協力して代わりの者を連れてきてくるのならば、彼女は解放してやってもいい。勿論、念のため君には首輪を付けさせてもらうがね」


「首輪?」


ガーベルはにやりと笑うと、ローブの懐から赤黒く流線型の形をした結晶を取り出し、此方へと見せつける。


悪魔の心血エヴィル・ブラッド

形態は違うが、かつて魔人ズィーが手にしていた物と同じものだ。


「それは?」


俺は素知らぬ顔をして尋ねる。

上手くすれば、それをガーベルに手渡した魔人の情報が少しでも引き出せるかもと思ったからだ。


「これは悪魔の心血エヴィル・ブラッドと言って、人に巨大な力をもたらす物だ。これを口にする事で、貴様は今以上の力を手にする事になる」


「今以上の力だと」


興味は無いが、興味あり気に食いついて見せた。

そんな俺の反応に好感触を得たのか、奴は悪魔の心血を顔の前に掲げる。


「そう、力だ。貴様程の腕の持ち主ならば、人間の限界は既に理解していよう?これはそれを打ち破り、更なるステップへと導くアイテムなのだ」


何が更なるステップだ。

完全に別の生き物になるだけじゃねーか。


そう反論したいのをぐっと堪え、まるでさもそれが魅力的であるかのように反応して見せる。


「限界を、超える……」


くだらない茶番に付き合うのはうんざりだが、流石にアーリィの胸元にナイフを突き付けられている状態では動けない。

最悪胸にナイフを突きつけられても、息絶える前なら天使の施しで何とでもなるかもしれないが、流石にそれは最後の手段だ。


今はとにかく、相手を油断させることに集中する。


「我らに協力すれば愛する女を救うだけではなく、強大な力まで手に入れる事が出来る。悪い話ではあるまい?」


愛する女?

何言ってんだこいつは?


「このような所まで、わざわざ一人で乗り込んできたのだ。愛しているのであろう?この女、アーリッテ・ベラドンナを」


成程。

あいつにはそういう風に見えるのか。


護衛として。

いや、友人として助けに来ただけなのだが。

勘違いしてくれているのなら、便乗させておらうとしよう。


「本当に……彼女に危害は加えないんだろうな?」


「無論だ。邪神を使って魔王を倒すとは言え、より確実な勝利を得るため我々には少しでも戦力が必要となる。貴様程の強者を、みすみす見逃すのは余りにも惜しいからな」


「わかった」


敵意はもうないという事を示すため、俺は炎皇剣を腰に掛けてある鞘へと収める。

実際はこれから泳ぐ事になるので、手に持ったままだと邪魔になるから仕舞っただけなのだが。

まあ相手に分かりはしないだろう。


「ベーロウ。これを奴へ」


「は」


ガーベルに命じられ、ベーロウと呼ばれた大男がエヴィル・ブラッドを受け取る為に台座の前へ立った。

ベーロウの大きな体が俺とガーベルの視線を遮る。

その直前、ガーベルが台座にナイフを置くのが見えた。


ここだ!


俺は足元の地面を水へと変える。

途端体は重量に引かれ、飛沫をあげて水中へと滑り込む。


そのまま俺は10メートル近く潜る。

地面を変換しながら進むため、浅い位置だと此方の動きが容易に把握されてしまうからだ。


光の刺さない暗闇の中、俺は地中を変換しながらアーリィの真下めがけて泳ぐ。

水の中だというのに水神の加護のお陰で全くと言っていい程負荷を感じず、呼吸も問題ない。

まるで空を飛んでいるかのような気分だ。


≪この上です≫


アバターのガイドに従い俺は勢いよく浮上した。

そして変換の影響で真上から落ちてくるアーリィを抱き止め、ついでに奴らの持つ武器やスキルを無害なアイテムへと変換しておく。


「な!?」


「ひっ!?」


何が起こったのか分からず、驚愕の声を上げながら2人の男が俺と入れ替わる様に水中へと落ちていく。


地面から空高く垂直に飛びあがった俺は、着水する直前に自ら開けた水穴を石へと変換し着地する。

これで水中に落ちた二人は、石の中で息絶えるだろう。


だが……


「良く躱せたな」


ガーベルを睨みつける。

どうやら奴だけは足元の異変に気付き、咄嗟に回避したようだ。


「貴様……一体何者だ?」


当然の疑問だが、答える積もりは更々ない。

俺は後ろに数歩下がり、ガーベルから間合いを開けて天使の施しでアーリィを回復させる。


「ぅ……ん、ここ……は?」


「目が覚めたか?」


「勇人!?そうだわ、私……」


「話は後だ。立てるか?」


「え、ええ」


両手で抱きかかえていたアーリィをゆっくりと降ろし、俺は炎皇剣を鞘から引き抜いた。


「俺の傍にいろ」


危ないから離れてろと言いたいところだが、この辺りにはまだ魔獣が潜んでいる可能性があった。

何より、ここは魔人の中である。

いつ襲われるかも知れない以上、離れる方が危険だ。


「わかりましたわ」


答えるとアーリィは、ガーベルの視線から隠れる様に俺の背中へとしがみ付く。


うん。

傍にいろとは言ったが、流石にしがみ付かれると戦えない。

アーリィの行動は正直何かの冗談かと思ってしまう。


≪いきなり攫われ、気づけばこんな場所です。気丈にふるまってはいますが、怯えているのでしょう≫


言われアーリィが、微かに震えている事に気づく。


確かにアバターの言う通りだ。

こんな理不尽な状況で怯えるなと言う方が無理という物。

仮に俺が同じ立場だったとしたら、きっと同じようにビビりまくるに違いない。


とは言え、彼女を安心させるため、このまま戦ってやられてしまったのでは本末転倒もいい所だ。


「アーリィ。このままじゃ戦えない。ほんの少しだけ離れててくないか」


「ご、ごめんなさい」


「安心しろ。お前は俺が絶対守って見せる。だから、俺を信じてくれ」


気休めでしかないが、今俺が彼女にしてやれる事は誓いを立てる事だけだ。

そして誓った限りは全力で実行するのみ。


「わかりました。貴方に私の命を預けます」


アーリィの手が背中から離れたかと思うと、唐突に首に手が回り、唇に柔らかい感触が押し付けられる。


「……」


――それはアーリィの唇だった。


一瞬何が起こったのか分からず俺は固まり、思考が止まる。


「ふふ、私のファーストキスを捧げたのですから。絶対に負けないでくださいね」


アーリィは唇を離し、照れくさそうにはにかんでそう言うと、さっと俺の後ろに回り込む。


……

…………


≪いつまでも固まってないでください。これからが本番なのですよ≫


はっ!!

そうだった!!


俺は首をぶるぶる振るい、雑念を振り払う。

何故キスしたとか、そういった事は後だ。

今は状況に集中する。


「あらあら。見せつけてくれるわねぇ」


唐突に、妖艶な女の声が何処からともなく響いた。


「うふふ。若いって本当にいいわぁ」


声はガーベルから聞こえる。


いや、正確にはその腹の辺りから……


ガーベルの腹部から、ほとんど裸同然の女が出て来る

その姿は妖艶で、思わず目を引きつけられてしまう。


≪魔人です≫


魔人はまるで楽しい玩具でも見つけたかの様に、その瞳を怪しく輝かせる。

そんな目を見て、俺の背筋に冷たい物が走った。


「初めまして。私はサキュバス。よろしくね」

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