第32話 待機

「くそっ!」


リリーがイラつきから壁に拳を叩きつけ。

ドンっという鈍い音を立て、打ち付けた拳を中心に大きな亀裂が放射状に走る。


俺達は今、市長官邸にある客室でアーリィの情報が入って来るのを待っていた。

闘技場での事件から丸一日。

未だアーリィの行方は掴めていない。


今分かっている事は、アーリィがもうこの街にはいない事――市内は俺の転移魔法とアバターの魔力探知で探索済み――だけだ。


街の外に連れ出されたとなると、俺の探索方法で闇雲に探しても見つけ出すのは難しかった。

そこでせめて相手が向かった方角だけでもと思い。

アーリィを連れ去った者達の痕跡の調査を市長に依頼し、情報が入るのを俺達は待っていた。


「リリー、落ち着いてください」


「これが落ち着いていられるか!!」


ティアースが諫めようとするが、激高しているリリーは拳をプルプルと震わせ、鼓膜が破れんばかりの大声を客室に響かせる。

そんなリリーにティアースは溜息を小さく一つ付き、彼女に近づいておもむろにその拳をリリーの腹部へと叩き込む。


「っ!?」


「落ち着けって言ってんのよ。ベラドンナ家の騎士が無様な真似をしないで頂戴」


「無様だと!主を守り切れなかった今以上に無様な事があるものか!」


「まだ守り切れなかったと決まった分けではないわ。不吉な事を言わないで」


「未だに何の手掛かりも無いんだぞ!このままじゃ…… 」


「今警邏隊が死に物狂いで手がかりを探してる。とにかく今は落ち着きなさい。貴方がそんなんじゃ、アーリッテ様が戻って来られた時に恥をかかせる事になってしまうわ」


「何でそんなに落ち着けるんだ。私は……」


リリーが拳を握り締め、俯き呟く。

普段の何事にも動じない凛とした姿からは、想像できない取り乱し様だ。

アーリィの傍を離れ守れなかった事に、彼女は深く責任を感じているのだろう。


闘技場での事件が発生した時、リリーはクレストン近くに姿を現した魔獣の討伐に出向いていた。

それは本来アーリィの護衛であるリリーがするような仕事では無く、衛兵や警邏隊から人員を募り対処すべき事態だった。

だがそうならなかったのは現れた魔獣が悪かったからだ。


現れた魔獣の名はジャイアント。

体高5メートルにも及ぶ人型の魔獣であり、その怪力は一撃で街を囲う頑丈な外壁を吹き飛ばし、人間など虫けらのように容易く踏み潰す。

魔獣の中でも上位に位置する存在だ。


そんな化け物が3体。


その対処には数百人を超える兵を集める必要があったが、祝祭や闘技場に人員を割いた状態では当然そんな人数を確保できるわけもなく。

その為、魔獣への対処は事実上祭りの中止を意味していた。


祝祭は二年に一度の大きなイベント。

クレストン市としては、それを潰すのだけは避けたかった。

そこで白羽の矢が立ったのがリリーだ。


市長に泣きつかれては強く断る事も出来ず。

またアーリィにはその間十分な護衛を付けると約束され、渋々ながら彼女が討伐に出向いた所で、今回の事件が発生してしまう。


「リリー、お前だけのせいじゃない。そんなに思いつめるな」


「いや、私のせいだ。看破ファインダーできちんと確認さえしていれば……」


リリー達が討伐に出向いたジャイアントは、魔法による幻術の類だった。

当然看破ファインダーならばそれを見抜く事も出来たのだが、完全に相手がジャイアントだと思い込んでいたリリーはスキルでの確認を怠ってしまう。


確かに目視出来た時点できちんと確認していれば、その場ですぐに引き返しアーリィの誘拐は防げたかもしれない。

しかしジャイアントの存在が只の布石で、大規模な誘拐事件の為に用意された幻覚だなどと、誰が予想できだろうか?


ミスはあったかもしれない。

だが誰にも事態の予想ができなかった以上、アーリィが連れ去られたのは決して彼女だけの責任ではないはずだ。


それはリリーも分かってはいるはず。

それでも生真面目な彼女は、自分を責めずにはいられないのだろう。

彼女は沈痛な表情で悔しそうに俯く


「失敗を悔やんでいても仕方ない。大丈夫、アーリィはまだ生きてる。とにかく今は情報を待とう。奴らの向かう先さえ分かれば、必ず間に合うはずだ」


別にこれは気休めで言っている訳ではない。

ティアースが言うには、アーリィを攫った奴らは彼女を儀式の生贄に使うと口にしていたらしい。


相手はこれだけ大規模な誘拐劇を演じたぐらいだ。

行なわれる儀式もそれ相応の、大仰な物になるはず。


だがこのクレストン近辺に、大型の祭壇を設置できるような場所はない。

つまり誘拐した奴らはかなり遠くの場所までアーリィを運び、儀式を行うと言う事だ。

そしてその間、生贄に使われるアーリィは決して殺される心配はないはず。


「猶予はまだある」


数日。

兎に角、数日の猶予はある。

その間に行方さえ掴めれば、どれ程距離があろうとも俺の転移魔法でどうとでもなるはずだ。


「…………」


「リリー。勇人の言う通り、私達にはまだチャンスが残されています。そんな思い詰めて心を疲弊させてしまってたら、いざという時戦えなくなってしまいますよ。私達にはアーリッテ様奪還という、大事な仕事が待ってるんですから。後悔するのは後にしましょう」


「わかった。すまない二人共。今はアーリィの救出の事だけを考える様にするよ」


前向きな言葉を口にしてはいるが、リリーの表情は相変わらず澱んだ空の様に影を纏っている。

無理をしているのは一目瞭然だが、残念ながら今の俺にはこれ以上彼女に掛けてやれる言葉は無い。


「兎に角、待とう。必ず情報は入ってくるはずだ」


何もできない現状が歯がゆくて仕方がない。

待つだけというのは本当に辛い物だ。


だが今は待つしかない。

有力な情報が入ると信じて。

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