第21話 膝枕
「……さん……」
声が聞こえる。
不安そうな、悲しそうな女の声だ。
その声が、何かを必死に叫んでいる。
「バー……バーリさ……」
バーリ?
ああ、俺の名前か……
叫んでいる内容が自分の名だと気づき、世界を闇色に染め上げている瞼を俺はゆっくりと持ち上げた。
「バーリさん!バーリさん!」
「聞こえてるよ」
「――っ!?」
眼を開けると、ウーニャの今にも泣き出しそうな顔が視界いっぱいに広がる。
俺はそっとその頬に触れた。
「良かった……良かった……生きててくれて……」
「勝手に殺すなよ。ていうか、泣くな」
顔をくしゃくしゃにして、ぽろぽろと大粒の涙を零すウーニャの顔を胸元に引き寄せ、頭をぽんぽんと軽く叩いてから撫でる。
子供の時、母がよくしてくれた事だ。
こうして貰うと、悲しい時でも何故か落ち着く事が出来た。
俺はそれを思い出し、泣きじゃくるウーニャを落ち着かせようと頭を撫で続ける。
「ひっ……く……うっ……」
ウーニャの頭を撫でながら、自分の状況を思い出す。
ドラゴンを不意打ちで追い詰めた事。
油断して足をやられた事。
そして最終的に、ドラゴンが逃げ出した事を。
間抜けな上に不完全燃焼極まりない終わり方だったが、こうしてウーニャとの約束を守れたのだから良しとしよう。
「つうっ!?」
左足が動くか確認しようとした所、激痛が走り思わず声が漏らす。
流石に牙で骨や筋肉がぐちゃぐちゃにされていると、少し寝た程度では回復しない様だ。
俺の苦悶の声を耳にして、驚いたようにウーニャが頭を跳ね上げ、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「バ、バーリさん!大丈夫ですか!?」
「ああ、左足が動かないだけだから。大丈夫だ」
「ぜ、全然大丈夫じゃないです!」
「心配ないって」
心配そうにしている、俺はウーニャに笑顔で答えた。
俺にとって、このぐらいの怪我は大した問題じゃないからだ。
死にさえしなければ、寝ていればそのうち回復する。
俺はそういう体質だ。
「待っててください。今使える物が無いか、見てきます」
「だから大丈夫だって」
「大丈夫じゃありません!全身傷だらけで、左足だってこんなに酷い状態なんですよ!大丈夫なわけありません!私が戻って来るまで、ここでじっとしててください!」
やれやれと頭をかいた所で、俺は異変に気付いた。
遠くから翼の羽搏音が聞こえる。
巨体が風を切り、近づいてくる音が。
それも二つも。
「ウーニャ!ここからさっさと離れろ!!」
「ど、どうしたんですか!?」
「いいから早く離れろ!今直ぐにだ!!」
「で、でも」
「ドラゴンが近づいてくるんだ!早くしろ!!」
ありったけの声でウ、ーニャに逃げろと叫ぶ。
早く逃げろと。
だがウーニャは言葉を無視して、俺に手を伸ばしてくる。
「馬鹿野郎!!俺の事なんかどうでもいい!早く逃げろ!」
「こんな状態のバーリさんを置いて、一人で逃げられません!逃げるなら二人一緒です!」
ウーニャが左手を自分の肩にかけ、俺の体を引き起こした。
俺は痛みを堪えて立ち上がり、ウーニャにもたれ掛かる形で歩く。
「ど、どこか建物に……」
ウーニャが身を隠せる建物を探す。
だが殆どの建物は、ドラゴンによって破壊されている。
とても身を隠せる場所などない。
そもそもそれ以前に、鼻の利くドラゴン相手に身を隠してもすぐに見つかってしまう。
時間稼ぎにもなりはしないだろう。
北の空を見上げると、二匹のドラゴンの影が瞳に映った。
此方をもう捉えているのだろう。
その影は、真っすぐ俺達の方へと向かってきていた。
「ウーニャ。ドラゴンの注意を俺が引くから、その間に逃げるんだ。いいな」
「嫌です!置いて行けません!!」
「このままじゃ、二人共死んじまう。だからせめてお前だけでも……」
「嫌です!!」
「頼むよ……」
心の底から声を絞り出す。
死なせたくない。
何故だか分からない。
でもウーニャを死なせたくないと、心から思う。
「逃げて……私一人で……どうしろって言うんですか?皆殺されて……恩人まで見捨てて。それで自分だけ生き延びて。その先に何があるって言うんですか!」
「ウーニャ……」
「ここでバーリさんが死ぬって言うんなら。せめて最後まで一緒にいさせてください。お願いします」
ウーニャの瞳が真っすぐに俺を見つめる。
その眼に迷いはない。
覚悟を決めた目だ。
その真っすぐで綺麗な瞳を見つめていると、胸が熱くなってくる。
「わかった。死ぬときは一緒だ」
「バーリさん」
ウーニャは嬉しそうに微笑むと、その瞳を閉じる。
俺はそっと、ウーニャの唇に自分の唇を重ねた。
何故そんな真似をしたのか分からない。
ただ、そうしたかった。
「来たぞ」
バサバサという羽搏き音と共に、突風が巻き起こる。
二体のドラゴンが俺達を挟み込む形で、地上へと舞い降りた。
一体の指は、歪に折れ曲がっている。
先程の戦いで逃走したドラゴンが、報復の為に仲間を連れて戻ってきたのだろう。
「バーリさん」
ウーニャが怯える様に、俺の胸元に顔を埋めた。
俺はその頭をぽんぽんと軽く叩いた後、彼女の両肩を掴み体を引き離す。
「バーリさん?」
「危ないから、ちょっと離れてろ」
「え?」
「死ぬのはやっぱ止めだ!あいつらをぶっ飛ばす!」
負ける気がまるでしない。
何故か体中から力が溢れ、高ぶりを感じる。
かつてない程の力の高ぶりを。
左足を踏みしめる。
痛みは無い。
怪我はいつの間にか治っていた。
「いくぜぇ!!」
雄叫びと共に、俺はドラゴンに突っ込んだ。
臆せず真っすぐに。
ドラゴンが大きな咢で迎えうってくる。
俺は迷わずその大きく開いた口の中に突っ込み、牙が俺を噛み砕くよりも早く上顎を蹴り上げ吹き飛ばした。
蹴り飛ばされたドラゴンは、吹っ飛んで仰向けに転がる。
俺は宙を蹴ってその剥き出しの腹の上に降り立ち、貫手の形で腕を力強く突きこんだ。
固い鱗を貫く感覚。
次いで肉を抉る感触が、腕に纏わりつく。
俺は肩口まで突き込んだ手を丸めるような形で引き抜き、ドラゴンの腹の肉を抉り取ってやった。
血飛沫が飛び散り、返り血が俺を真っ赤に染める。
「次はてめぇだぜ!」
この一体は痛みで暫く真面に動けにだろう。
その隙にもう一体だ。
暴れるドラゴンの腹から飛び降り、俺はもう一体のドラゴンへと飛び掛かる。
「ぐおぉぉぉぉ!」
「とろいんだよ!!」
ドラゴンの振り下ろした手が迫ってくる。
だがその攻撃を、俺は宙を蹴って加速し難なく躱す。
「おらぁ!」
一気にドラゴンの眼前迄躍り出た俺は、瞳に貫手を突き込み、ひっかく様に抉る。
眼を潰された痛みで、ドラゴンの顔が跳ね上がった。
手を抜き取った俺はドラゴンの顔から首元へ滑り込み、その太い首に貫手を突き込む。
そしてそのまま貫手をフック代わりに、暴れるドラゴンの体に取り付き、空いているもう片方の手も突き込んだ。
両手を突き込んだら片手だけ抜き、少し高い位置に貫手を突き刺す。
それを高速に繰り返してドラゴンの首を駆け上り、耳の裏側に手刀を突き込んだ処で、それまで暴れていたドラゴンの動きがぴたりと止まった。
奴は横倒しに倒れ、そのあまま動かなくなる。
まずは一匹目!
俺は残りの一匹を仕留めるべく、振り返る。
ドラゴンは既に起き上がっていた。
だがその眼に戦意はない。
「ぎゅうぅぅぅぅ!」
小さく雄叫びを上げると、ドラゴンは翼を羽搏かせて飛び上がろうとする。
「逃がすかぁ!!」
一度逃した事でこの事態を招いた。
二度も逃がすつもりはない。
完全に飛び上がるよりも早くドラゴンの背に飛びつき、俺は翼の根元に蹴りを入れる。
その衝撃でドラゴンは体制を崩し、そのまま顔面から地面に突っ込んだ。
「くたばりやがれ!」
俺はドラゴンの顔面に降り立ち、上から眉間めがけて拳を叩き込む。
拳がめり込み、骨の砕ける感触が伝わる。
俺は拳を引き上げ、今度は同じ場所へと貫手を突き込んだ。
貫手が深々と、ドラゴンの眉間に突き刺さる。
その瞬間、ドラゴンの体が一度ビクンと大きく跳ね、そして動かなくなった。
同じ轍を踏まない為にも、俺はもう一発貫手を突き込み中を抉る。
動きが無い事を確認し、次は倒れているもう一匹のドラゴンの頭部にも同じように二度貫手を突き込んだ。
「流石にこれで死んだだろう」
魔物の中には、高い生命力でとんでもないしぶとさを持つ奴もいる。
だが流石にここまでやれば、生きてはいないだろう。
「バーリさん!」
一息ついた所でウーニャが俺の所に駆け付け、飛びついてくる。
反射的にウーニャを抱きしめてから気付く。
「あ!ウーニャに血が付いちまう!」
俺はドラゴンの返り血でべとべとだ。
ウーニャを引き剥がそうとするが、それに反発するかのように彼女は俺を強く抱きしめる。
「構いません。だから、このままでいさせてください」
しょうがないなと思いつつも、顔がほころぶ。
込みあがってくる喜びを表現するかの様に、俺はウーニャの体を強く抱きしめた。
「あれ……急に体が……」
――脱力。
ウーニャを抱きしめ、その温かさを堪能していると突然体から力が抜けてしまう。
立っている事も出来ずに、ウーニャを押し倒す形で俺はその場で倒れ込んだ。
「バ、バーリさん!?あ、あの。その……私」
ウーニャは恥ずかしそうに頬を染めて顔を逸らすが、ピクリとも動けない俺の異変に直ぐに気づき、慌てて俺を抱き抱えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「体に力が入んねぇ。少し休ませてくれ」
「わかりました」
そう頼むと、ウーニャは俺を仰向けに寝かし、自分の膝の上に頭をのせてくれた。
膝枕だ。
子供の頃、よく母親がしてくれたことを思い出す。
「凄く暖かい…………ごめん」
謝るしかなかった。
自分はなんて愚かなのだろう。
「バーリさん?どうしたんです?」
不思議そうに俺の顔を覗き込むウーニャに、もう一度謝る。
「ごめん……」
どうして気づかなかったのか。
更なるドラゴンの羽搏き音に。
夕焼け空の下。
三つの影が此方に近づいて来ていた。
俺の視線の先に気づき、ウーニャの体が強張るのが膝から伝わって来る。
「そんな……」
俺は馬鹿だ。
大馬鹿だ。
ドラゴンなど一々倒さずに、ウーニャを連れて逃げればよかったんだ。
さっきの状態なら、余裕で逃げ切れたんだ。
そうすればきっと生き延びられた。
なのに調子に乗ってドラゴンと戦ったせいで……俺達は此処で死ぬ。
今度こそ確実に。
それはいい。
そんな事はどうでもいい。
「ごめん……」
気づけば、俺の目から涙が溢れ出した。
悔しい。
ウーニャを守ってやれない事が、悔しくて仕方なかった。
「謝らないでください。言ったじゃないですか、死ぬときは一緒だって」
ウーニャのおでこが俺のでこに触れる。
まるでそこから、ウーニャの気持ちが伝わってくるように温かい。
「ウーニャ。ありがとう」
「お礼を言うのは私の方です」
突風が巻き起こり、地響きが伝わってきた。
ちらりと横目でドラゴンの姿を確認した後、そのまま目を閉じ、俺はウーニャと共に最後の時を受け入れる。
「ぐおおおおおぉぉぉぉ!!」
ドラゴンの怒りの咆哮が響き渡った。
――だがその咆哮は、唐突に止まる。
直後、轟音と共に地響きが伝わって来た。
それが2度3度と続いたかと思うと、辺りは静寂に包まれる。
俺は何事かと思い、閉じていた瞳を開けると。
そこには……
「おいバーリ、大丈夫か?」
「勇人!?なんで?」
「いや、なんかドラゴン退治に行ったってウルから聞いて、心配になって見に来たんだけど」
勇人が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「はっ、はははは。ドラゴンを3体も一瞬で始末するなんて、流石俺のライバルだぜ!」
まったく大した奴だ。
心からそう思う。
「ありがとう。勇人」
「いや、別にいいけど。ところでこの子は? 」
勇人が怪訝そうな表情でウーニャを見つめる。
「え、あ。初めまして。私、ウーニャって言います。その……助けて下さってありがとうございます」
「ああ、いや――」
「勇人さん、勇人さん!!このバカップル膝枕してますよ!!」
勇人の顔の横で、羽の生えた人型の小さな生き物が突然声を上げた。
「こいつら絶対ドラゴンが来てなかったら、此処でやってましたよ!!破廉恥極まりないです!猥褻罪ですよこれは!間違いなく!!」
その言葉に、勇人は何とも言えない様な微妙な顔を羽虫もどきに向ける。
「なあ?勇人。その羽虫、何なんだ」
「だぁれが羽虫ですか!この超絶美少女天使に向かって失礼極まりない!そんな不届きな脳筋には天誅です!!」
そう言うと、羽虫は俺に向かって突っ込んでくる。
だが羽虫はキックのポーズで俺の頭をすり抜けてしまう。
え?
となった所で、俺の意識は途切れた。
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