第13話 ドラゴン
通常ベラドンナ家では、男性が家を継ぐ事になっている。
その為女性が成人の義を行う事は、まずない。
だがアーリッテは女にも関わらず、成人の義を受けていた。
それは現当主ハーゲンが息子達ではなく、娘のアーリッテに家督を継がせようと考えていたからだ。
当然その父親の考えを、アーリッテの兄弟たちは快く思ってはいない。
―――スチール領・モストーン市(市長邸)―――
「お久しぶりですわ、ガデッサ市長」
「おお、アーリッテ様。これはこれはようこそ御出で下さいました。さ、どうぞおかけください」
アーリッテは市長に促され、客間のソファに腰を下ろす。
その動きに合わせ、ティアースがスッと音もなく右後ろへと控えた。
護衛騎士であるリリーは扉の前に立ち、外の気配へと意識を集中させる。
白昼堂々市長邸へ暗殺者が押しかけてくる事など通常ありえない事だが、万一に備えての行動だ。
「いやはや。あの幼かったアーリッテ様が、今やこんなにも美しい御婦人に成長されるとは。ベラドンナ卿もさぞや鼻の高い事でしょうな」
「ふふ、ありがとうございます」
それがさも当たり前であるかの様に、アーリッテは照れ一つ見せずに賛辞を受け止める。
こういった台詞は例え言われ慣れていても、照れた振りや謙遜を入れるものだが、彼女はそういった可愛らしい真似は一切しない。
――何故なら彼女はベラドンナ家の次期当主として、悠然とした態度を示さなければならないからだ。
「ハーゲン卿や、お兄様方はお元気にされておられますかな?」
「父は壮健で、兄達もすこぶる元気ですわ」
兄達に到っては元気すぎて、連日妹に暗殺者を送り込む始末。
アーリッテは心の中で、兄達にはもう少し大人しくなって欲しいものだと心から願っていた。
「そうですかそうですか」
ガデッサがうんうんと嬉しそうに頷く。
「私などはもう、全身ガタガタでしてな。そろそろスチール卿に頼んで、後任の方を送って頂こうかと思ってまして」
市長職は貴族が就くものであり、基本世襲となる。
その為、本来ならば領主から後任を送って貰う必要などない。
だが市長は親族や妻を、40年前の魔王との戦争で全て亡くしている。
亡き妻を忘れる事が出来なかった彼は、その後再婚する事も無く独り身を貫いたため、子共がおらず後継者が存在していない状態だ。
そのため、彼が引退するには後任の貴族を領主に送ってもらう必要があった。
実の所、彼はもう何年も前から後任を送って貰う様に領主スチールに再三申請をしているのだが、なかなかスチールから良い返事は返ってこず。
そのため齢78という高齢になった今も、現役を続ける破目となっていた。
「まあ、ガデッサ市長ったら。まだまだお若いのですから、引退など寂しい事をおっしゃらないでくださいな」
「ははは、そうですな。アーリッテ様にそうおしゃって頂けるのなら、何だか後10年20年とやれる気がしてきましたな」
「まあ、ガデッサ市長ったら」
応接室に2人の穏やかな笑い声が広がる。
そんな穏やかな雰囲気の中、アーリッテは本題に入るべく口を開く。
「ガデッサ市長、噂によるとこの街の近くにドラゴンが出たとか」
「む。御存知でしたか。さすがはアーリッテ様、御耳が早い」
「たまたま小耳にはさんだだけですわ」
ガデッサは小さく溜息を吐く。
アーリッテの旅の目的を考えれば、彼女は間違いなくこの件に首を突っ込んでくるのが目に見えていたからだ。
「東の山間部に住み着いているとか」
「ええ、とは言え山三つ程向こうの事です。余程の事が無い限り、街に被害が出る可能性は低いので御安心下さい」
「町の方々は不安に思われているのでは?」
「それは、まあ……」
ガデッサの歯切れは悪い。
山三つ分といえば相当な距離ではあるが、それはあくまで人間にとっての話。
ドラゴンにとっては、軽くひとっ飛び程度の距離だ。
当然その事を街の住民たちも理解しており、街の雰囲気は暗く沈んでいた。
ドラゴンの気まぐれ次第で街が襲われる可能性がある事を考えれば、住民が怯えるのも無理からぬ事だ。
このままドラゴンを放置すれば、街から逃げ出る者も出てくるだろう。
それにドラゴンの噂が広がれば、他の都市との交易が途絶えてしまう可能性もある。
誰も好き好んで危険地帯と思われる場所に、荷を運ぶ行商などいないからだ。
その為市長としては早々に手を打ち、ドラゴンをなんとかしたい所ではあるのだが……
「領軍への討伐申請はされているのですか?」
「ええ。ですがスチール卿は被害が出る可能性は低いとし、派兵は出来ないとおっしゃられていまして」
「スチール様らしいですわね」
領主であるスチールは、質素倹約を標榜とする人物だった。
コストを削減する事に生きがいを持ち、支出をとことん嫌う。
その癖は私生活にまで徹底されており、領地を持つ大貴族にもかかわらず、まるで貧乏貴族の様な質素な暮らしを送っている程だ。
そんな人物であるため、コストのかかる領軍の派兵も当然出し渋る。
「小金を惜しんで大金を失う。そういった格言をあの方は、御存じないのですわね。ドラゴンが本格的に街を襲った場合、派兵の比では無い程の額が復興の為に必要になると言うのに……」
結果的に大量出費に繋がる可能性があるというのに、目先の小銭に拘るその愚かさに、アーリッテは呆れはてる。
だが愚かだからこそ、アーリッテにとっては有益な相手であるとも言えた。
「差し出がましいかもしれませんが、もしよろしければ私の方でドラゴンを討伐いたしましょうか?」
「なっ!御冗談を……」
「冗談などではありませんわ」
そう言うと、アーリッテは視線をリリーへとむけた。
つられて市長もそちらへと顔を向ける。
「私の護衛を務める彼女の名は、リリー・アッシャー。
「
巨人はその名の通り巨大な体躯を持ち、圧倒的なパワーを誇る魔獣だ。
その強さはドラゴンにも匹敵すると言われている。
リリーは以前ベラドンナ領に住み着いた
「ええ」
体躯こそ大柄だが、見目麗しい女性が高名な騎士だと聞かされ。
ガデッサは信じられない思いで食い入るように、リリーを凝視する。
ガデッサの中では
「まさかかの高名な御仁が、このように美しい女性であったとは……いやはや、驚きの一言です。しかし、本当に美しい方ですな」
ガデッサが余りにも大絶賛する為、リリーは恥ずかしさの余り頬を赤らめた。
そう言った言葉に余り慣れていない。
むず痒い思いをしながらも、彼女はその場から逃げ出したくなる気持ちをぐっと堪える。
「如何でしょう?」
「そういう事でしたら。是非こちらからお願いしたいぐらいです」
「お任せください。彼女の武勇と私の魔法があれば、ドラゴン等物の数ではありませんわ」
私の魔法。
その言葉に、ティアースの方眉がピクリと反応する。
アーリッテは安全な市長邸に滞在し、リリーが単独、もしくは都市の警邏隊と協力してドラゴン討伐を行う。
そう考えるのが普通の流れだ。
だが今の口ぶりでは、まるでアーリッテが同行するかのように聞こえた。
その事に、背後で立つティアースが顔色を変える。
「まさかアーリッテ様も同行されるおつもりですか!?」
「勿論です。従者だけ行かせて安全な場所から高みの見物など、誇りあるベラドンナ家の人間がする行動ではありませんわ」
「アーリッテ様――」
彼女を止めようとするティアースを、アーリッテは片手で制した。
そこで初めて、ティアースは自分の失態に気づく。
今、アーリッテは市長との会談中だ。
従者が邪魔をしていいはずもない。
「お騒がせして、申し訳ありません」
彼女は謝罪の言葉と共に、二人に向かって頭を深く下げる。
「ああ、頭を上げてくれ。気にしなくても構わないよ。私は気にしていないから」
「ありがとうございます」
ガデッサの寛容な言葉に感謝の言葉を返し、ティアースは再び頭を上げた。
「しかし、ドラゴン討伐に同行とは。いかにリリー・アッシャー殿が付いておられるとはいえ、それは余りにも危険では……」
「無論覚悟の上です。ガデッサ市長もこの成人の義で、私が成すべき事を御存知でしょう?」
「それは、まあ……」
アーリッテは規定道理儀式を行えば良い分けでは無かった。
彼女は将来ベラドンナ家の家督を継ぐ事になっている。
だが長子、ましてや男ですらないアーリッテが家を継ぐとなれば、当然揉めるのは目に見えていた。
現にまだ正式に決まった訳でもないというのに、アーリッテの兄達は暗殺者を妹へと送りつける始末だ。
「私はこの旅で、功名を立てなければなりません」
自らの優秀さを証明し、自身こそが後継者に相応しい。
そう内外に知らしめるため、アーリッテはこの旅で多くの功績を積み、名声を得なければならなかった。
継承の際、兄達やその取り巻きが口出しできない程の名声を。
「従者にドラゴンを討伐させた、と。従者と共にドラゴンを討伐した、では。その実績に天と地ほどの開きが出来てしまいます。ですからた、とえこの身を危険に晒す事になろうとも私は行かなければならないのです」
これはガデッサだけではなく、従者であるリリーやティアースに対する言葉でもある。
護衛である彼女達は、アーリッテがドラゴン討伐に参加しその身を危険に晒す事を良くは思わないだろう。
だがリスクを排除した安全な旅では、彼女の目的の達成は難しい。
「どうか、認めてはいただけないでしょうか?」
アーリッテが、がでっさに向かって頭を深く下げる。
ガデッサに、アーリッテを止める権利などない。
それでも彼女が頭を下げるのは、もし万一自分が死ぬことになれば、間違いなくガデッサの責任問題となるからだ。
大貴族と呼ばれるベラドンナ家の令嬢が、自らの管理する区画で亡くなれば大問題となるだろう。
知らぬ存ぜんで通る問題ではない。
ましてや、こうして会談してしまっている以上尚更だ。
「頭をお上げください。アーリッテ様」
ガデッサは軽くため息を一つ吐いてから、口を開く。
「わかりました。本来なら断固として御止めする所なのでしょうが、此方としてもドラゴンの問題は早急に対処すべき案件。なんのリスクも背負わずに、池の観賞魚の様に口を開けて餌を待つなど虫の良い話でしょうから」
「ありがとうございます」
「ただ……スチール卿にお伺いを立ててからという事になりますが、宜しいですか?」
アーリッテが亡くなれば、当然領主であるスチールにも迷惑が掛かる。
彼の下で働く以上、ガデッサはこの事をスチールに報告しなければならなかった。
「勿論ですわ」
「後、報酬の事なのですが……」
「名誉こそ、今の私にとっては最大の報酬です。それ以外を望む気は御座いません」
無報酬はスチールから許可を取る為の絶対条件。
普通の領主ならまずその行動を認めず、強く引き留める様ガデッサに指示するだろう。
だがスチールは経費を節約する事で、頭がいっぱいだ。
無報酬で将来発生するかもしれない出費を0に出来ると聞けば、一も二もなく飛びついてくる可能性が高い。
「アーリッテ様。どうか御無理だけはなさらないでください」
ガデッサがそう言う。
この言葉は保身の為ではなく、幼い時分から知る、アーリッテを純粋に思っての心からの言葉だ。
「私なら大丈夫ですわ。どうか御心配なさらずに」
「では、私はこれからスチール卿へ連絡を取って参りますので。少々お待ちください」
そう言うとガデッサは席を立ち、客間から出て行く。
扉が閉じ。
完全な静寂が訪れた所でティアースが口を開いた。
「アーリッテ様。ドラゴンは危険な魔獣です」
「勿論、知っているわ」
「であるならば――」
「夢見では、私は生きて成人の義を終わらせていました」
ティアースの言葉を遮り、夢見の結果があるから心配ないとアーリッテは告げる。
「仮に命を失わなくとも、大怪我をしないとも限りません!」
「命さえ失わなければ、何も問題ありませんわ。ティアース、これはそういう旅なの。貴方も分かっているでしょう?これからも色々と。相当無茶をする事になるでしょうけど。どうかよろしくね」
声を荒げるティアースに対し、アーリッテは微笑みながら無茶を押し通す発言をする。
もはや主に自分が何を言って無駄だと悟り、ティアースはリリーの方へ声をかける。
「リリー、貴方からも何かおっしゃってくださいな」
アーリッテとの付き合いは、リリーの方が長い。
彼女の言葉になら、耳を貸すかとも思いティアースは声をかけたのだが……
「安心しろ。アーリッテ様は必ず私が守る」
全く無駄だった事に、ティアースは項を垂れた。
「頼もしいですわ。リリー。さあ、三人で頑張ってドラゴンを討伐すると致しましょう」
こうしてアーリッテ達は、勇人を欠いたままの状態でドラゴン討伐へと臨むのだった。
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