第35話

 十二月二十四日、土曜日。

 正確には前日になるが、世間は今日をクリスマスと呼ぶらしい。

 ということで、美香からデートに誘われて、午後から一緒に自宅を出た。

 天気は良いのに、本格的な冬の訪れですっかり寒い。だから、インドアデート――向かった先は、割と近くの水族館だった。高級ホテルと併設されている施設になる。美香と行ってみたいと、以前思った所だ。


「ここ、初めて来る」


 存在自体は知っていても、ひとりだと縁が無かった。まさか、来る日が訪れようとは……。


「わたしも初めてですよ」


 それはちょうどいい。初めて同士、楽しめそうだ。

 チケット購入後、美香と手を繋いで館内を歩いた。

 クリスマス以前に休日だからか、割と賑わっていた。そして、思ってたより五倍は薄暗い所だった。


「うわぁ……。凄いな」


 だから、幻想的な光景が映えていた。

 水族館に来ること自体、子供の時以来だ。私の持っていたイメージと、全然違った。

 知識の吸収や観察の学び要素はゼロ。というか、水槽で何が泳いでいるかなんて、どうでもよくなる。

 アクアリウムとでも言うんだろうか。光、音楽、そして水槽――それらで作られた世界に没入するエンタメ空間だった。

 クリスマス仕様らしく、天井から床まで三百六十度、星々に包まれていた。夜空に水槽が浮かんでいるイメージだ。

 魚を観るよりも、雰囲気を楽しむもので……ひとりで来なくてよかったと、改めて思った。

 あれ? なんか、メリーゴーランドもある。マジで何の施設だ、ここ。


「綺麗ですね……」


 美香はわたしの腕に抱きつきながら、うっとりとしていた。

 キミの方が綺麗だよ――なんてクサい台詞は、思っても流石に言わないでおこう。


「こんな感じだと、流石にサメは居ないかな」


 館内を観て回るが、大きな魚の影は無かった。

 一番大きいのは……エイになるのか? 裏側の顔みたいなのが、地味に気持ち悪い。


「沙緒里さん、サメ観たいんですか? ……あっ、居ましたよ」


 美香が見つけたようで、ふたりで水槽に近づいた。

 どれどれ……メジロザメ? うーん。確かにシャープなヒレを持っているが、小ぶりであまり獰猛な感じがしない。ぬいぐるみ的な可愛さすらある。


「もっと大きいのが観たかった……人食い的な」

「水族館に何を求めてるんですか!」


 都心のど真ん中にあるオシャレ水族館だからじゃなくて――もしかして、この国のどこの水族館にも人食いザメは飼育されていないかもしれない。


「また映画の影響ですよね!? そういうの、ムードを台無しにするんで、思っても口にしないでください!」

「わ、わかった……」


 クサい台詞だけじゃなくて、それもNGだったとは……。デートって難しいな。

 気をつけようと思いながら、クラゲコーナーに足を踏み入れていた。

 一層暗い空間で、様々な形の水槽がライトアップされていた。その中で、何か柔らかそうな生き物が、ゆらゆら揺れていた。幻想的なのを通り越して、心の癒やしを与えてくれそうだ――パッと見は。


「観てくださいよ。クラゲちゃん可愛いのに、宝石みたいに綺麗ですね」

「いやいや。よく見ると、地球外生命体みたいで割とグロいぞ。触手で人間の脳みそに絡みついて、乗っ取ってきそうな――」

「わざと言ってるんですよね!? どんなクソ映画観てるんですか!」


 おっと……。また、思ったことをストレートに口にしていたようだ。こういうのだけは無意識にこぼれるから、自分でもどうかと思う。

 美香から怒られて、反省するところはあった。

 でも、ふたりで何かを感じて共有するのは……美香には申し訳ないが、こういうやり取りであれ、楽しかった。


 夕方、割と大きな円形プールでイルカショーを観た。

 正直期待していなかったが、この水族館のコンセプト――なんだろう、たぶん――に沿うかたちで、光と音楽の演出で壮大だった。ここもクリスマス仕様らしく、星々の海をイルカが舞っていた。

 まさか、イルカショーで感動して泣くとは思わなかった。ショーの出来だけじゃなくて、演者のイルカ達も健気で可愛いすぎる!


「うう……。私、仕事やめてイルカのトレーナーになる。イルカと人間は心で通じ合えるんだ」


 たぶん、キッズの私がこれを観ていたら、そんな夢を持っていただろうな。出会うのが二十年ぐらい遅かった。


「どんだけチョロいんですか!」


 ガン泣きして観覧席から立ち上がれない私に引き気味になりながらも、美香はしっかりツッコんでくれた。

 こうやって私の相手をしてくれるのは、たぶん世界で美香ひとりだけだろう。側に居てくれる喜びを、改めて実感した。


 なんやかんやで、午後六時過ぎまで水族館を楽しんだ。

 薄暗い屋内から薄暗い屋外に出て、なんだか変な感じだ。ただ、ぼちぼちお腹が空いてきた。


「それじゃあ、ディナーに行きましょうか。予約してます」


 夕飯の時間帯だがどうするんだと思っていたが、美香が準備しているようだった。

 そういえば、以前にどこか外食に行きたいと言ってたな。世間はクリスマスだし、明日は私のクリスマスだし、食事でお祝いしてくれるわけか。

 水族館といい、美香が私のためにデートのプランをしっかり立ててくれて、めっちゃ嬉しい。


「どこに連れて行ってくれるんだ?」

「それは、着いてのお楽しみです」


 期待のハードルが上がる。きっと、ムードたっぷりのオシャレなお店なんだと、ソワソワした。普段は外食自体ほとんどしないから、余計に楽しみだった。


「ここです」


 だが、着いた先はどこにでもあるような居酒屋だった。看板に『肉バル』と書いてある。

 美香はドヤ顔だ。

 う、うん……。堅苦しい店よりは、カジュアルな感じの方が居心地は良いと思う。

 勝手に想像していたのと大きく違って戸惑うが、自分になるべく良いように言い聞かせて、美香と入った。

 店内は薄暗くも、やっぱり騒がしい。申し訳程度の仕切りで区切られた『半個室』のふたり席に通された。

 テーブルの真ん中で、キャンドルライトの火が揺れていた。カジュアル寄りだが、最低限のオシャレなムードはあった。


「クリスマスですから、ローストビーフ食べましょう。あと、肉寿司も」


 その二品以外にも、美香がメニューを見て適当に注文した。お酒は、ふたりとも赤ワインだ。


「お……意外といけるな」


 正直あまり期待していなかったが、ローストビーフは柔らかな食感としっかりした味付けで、美味しかった。分厚く、食べごたえもある。スーパーで売っているスカスカのやつとは大違いだ。


「ワインとも合いますよね。……おかわりします?」

「ああ。頼む」


 肉寿司は、わざわざ目の前で店員がバーナーで炙ってくれた。寿司なのに、不思議とワインが進んだ。

 他には牛のユッケと――ローストチキン代わりに焼き鳥も、特に印象的だった。

 肉バルの名に恥じず、とにかく肉をお腹いっぱい味わえた。


「ありがとうな……。私のために、予約までしてくれて。とっても良かったよ」


 ひとしきり食べ終え、美香に感謝した。

 お腹だけじゃなく、メニューやムードからもクリスマスらしさを感じられて、大満足だった。最初は戸惑うぐらいだったから、上げ幅が凄い。


「いやー。ぶっちゃけ……出遅れてどこのお店も予約いっぱいだったんで、ここぐらいしか取れなかったんですよねぇ」


 美香は苦笑しながら、事情を話した。

 なるほど。本来なら、もっとオシャレなレストランでも抑えるつもりだったのか。でも、結果的にはここに来ることができて良かったと思う。


「私はこの店、気に入ったよ。また来よう」

「本当ですか!? それはよかったです! でも、雰囲気のいいお店にも行ってみましょうね」

「ああ。私も探してみるよ」


 たまには誰かと外食するのもいいな。今度は、私のチョイスで美香を喜ばせたい。


「ふっふっふ……。最後に、とっておきのがあるんですよ」


 お腹を休めてくつろいでいると、悪そうな笑みを浮かべた美香が店員を呼び、何かを伝えた。

 そして、店員がひとつの皿を持ってきた。


「ちょっと早いですけど……沙緒里さん、お誕生日おめでとうございます!」


 積み重ねたロールケーキを果物でデコって、皿にはチョコペンで『Happy Birthday』と書かれて――バースデープレートだ。ローソク代わりに線香花火みたいなのが刺さって、パチパチと燃えている。


「……」


 私は両手で口を覆って、息を飲んだ。

 嬉しすぎる! なんだ、このサプライズは! まさか、こんなものが出てくるとは、思いもしなかった。嬉しさでいっぱいいっぱいで、頭がどうにかなりそうだった。

 でも、パシャリとスマホのシャッター音が聞こえて、我に返った。

 正面で、美香が私にスマホを向けていた。

 私は写真を撮られるのが嫌だから、本来なら怒っていただろう。でも、この時ばかりは怒りも不快感も無かった。美香がこっちに近づいてきて、私に皿を持たせて自撮りしても、快く受けた。

 それをSNSにアップしないと、わかっている。それに――記録として残しておくのはアリだと思ったからだ。


「あれ? 沙緒里さん、ちゃんと笑顔作れるようになりましたね」


 美香からスマホの画面を見せられた。

 確かに、以前まで変顔だったが、今は自然と笑えている。こんな笑顔も出来るんだと、自分でも驚いた。

 酒で酔ってるからだと思ったが、それなら以前から出来ていたはずだ。

 そう。理由は明らかだった。


「そりゃ……このぐらい嬉しいからな」


 今までが嬉しくなかったわけじゃない。

 好きな人とデートして、ディナーして、サプライズまでされて――笑顔にならない人間は居ないと思う。最高に幸せだという証拠だ。

 美香と一緒に食べたバースデープレートは、とっても甘かった。

 ディナーも含めて摂取カロリーがヤバいが、そんなことはどうでもいい。ただ、至福の時間に溺れていた。



   *



 自宅に帰ってすぐ、私から風呂に入った。美香には急かすことなく、ゆっくり浸かって貰いたいからだ。

 今日のデートは、本当に感謝している。その意味も込めて、美香が風呂に入っている間に準備をした。

 まずは、下着だ。買ったはいいがずっと眠っていた勝負下着を、クリスマスの今夜使わないで、いつ使う!?

 赤色の時点で、なんか既にエロい! しかも、大事なところは上も下も隠れてない! めっちゃ変な着心地だ。痴女はこうなんだと、謎の理解を得た。ヤバいな!

 絶対に美香が驚くだろうと思いながら、いつものスウェットを上に着た。

 そして、もうひとつ――クローゼットの奥から『荷物』を取り出した。美香にこっそり、通販で買ったものだ。

 リビングを、いつぞやの時みたいな間接照明モードにして、美香を待った。テーブルには、イチゴの缶チューハイを注いだふたつのグラスを置いておいた。


「ふー。いいお湯でした」


 やがて、可愛いルームウェア姿の美香が出てきて、チューハイで乾杯した。

 時刻は十一時を回った頃だと思っていたが、いつの間にか日付が変わりそうになっていた。


「今日は、ありがとう。私からの、クリスマスプレゼントだ」

「わぁ。何ですか?」


 私はテーブルに『荷物』を置き、包装紙を外した。高級感溢れる木箱が現れた。

 蓋を開けて、中から出てきたものは――


「ちょっと! 超可愛いじゃないですか!」


 ふたつの茶碗だった。

 茶碗自体はほぼ同じものだった。外側に描かれているイラストがウサギかネコなのが、唯一の違いだ。一応はペア茶碗として買った。

 美香がウサギの方を取り、両手で大切そうに持った。


「割と有名な焼き物だ。ふたりで一緒に使おう」


 イラストを描くのも含めて、全部職人さんの手作りらしい。相応の値段だった。

 美香と一緒に暮らしていくんだから、バラバラの食器を揃えたいと思い、まずは茶碗からだ。

 クリスマスプレゼントとして、これを選んだ。一緒に暮らしたいという気持ちを、改めて込めた。……ちょっと重いプレゼントになったか?


「これでご飯がいっそう美味しくなりますね!」

「そうだな……」


 いや。美香の笑顔を見ると、杞憂だったようだ。

 実物を見て、これを使った食卓の光景を思い描いただけで、私としても胸が膨らむ。茶碗で米の味が変わるわけがないが、美味しくなる確信があった。

 私もネコの茶碗を持って――美香と向き合わせて、微笑んだ。


「わたしからのプレゼントは……日付変わってから、渡しますね」

「うん。楽しみにしてる」


 クリスマス兼誕生日のプレゼントか。いったい何だろうと、ワクワクする。

 美香がソファーの隣に座って、私の肩にもたれ掛かってきた。私も身体を傾けた。


「もうすぐ三十か……」


 壁の時計の長針が、ゆっくりと確実に十二へ近づいている。クリスマスかつバースデーのイヴが終わる。

 少し前までは、この節目を迎えることが本気で嫌だった。でも、今は――


「どんな一年になるんだろうって、楽しみだよ」


 すぐ隣に、美香が居る。立ち止まるよりも、一緒に前へ進みたい。絶対に楽しくなるはずだ。


「そうですよ。いくつになっても……わたしと素敵な一年にしましょう」


 ソファーに置いていた手に、美香が自分のを重ねてきた。温かかった。

 私は美香の手に指を絡め、その時を待った。

 やがて、長針が十二を指した。

 十二月二十五日――こんなにも穏やかな気持ちで三十歳の誕生日を迎えられるとは、一年前は思いもしなかった。大切なものを手に入れたんだと、改めて実感した。

 美香が私の肩から身体を起こし、笑顔で私と向き合った。


「お誕生日おめでとうございます、沙緒里さん。産まれてきてくれて、ありがとうございます!」

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