第03話
「寂しくて死にたいのは、私の方だ!」
憧れだった米倉課長の
ソファーで隣に座る課長が、ガン泣きしていた。
もう、ドン引きなんてレベルじゃない。クールな課長のイメージが、完全に崩れ去った。
わたしはとりあえず、桃の缶チューハイを開けて一口飲んだ。でも、たった三パーセントのアルコールで酔えるはずがない。いっそ、わたしも酔って一緒に泣きたい気分なのに……。
「あの……課長、何かあったんですか?」
もう、メンヘラ演技をする気にはなれなかった。
というか、この場から今すぐ逃げたいぐらいだ。不幸にもふたりっきりだから、仕方なくシラフで訊ねた。
「私もう、今年で三十なんだぞ! それなのに、誰かと結婚どころか、昔っから友達のひとりも居ないんだぞ! おまけに、ネガティブ人間だし……」
拗らせアラサーかよ。メンドくさっ。
うーん……。この場合、共感か擁護、どっちにすればいいんだろう。
「課長、仕事で大勢の人とコミュニケーション取れてるじゃないですか。別に、ぼっちには見えませんけど」
共感できそうにないから、部下として擁護することにした。
近づきにくい人柄でも無いし、悪い噂も聞かないし、人望には恵まれてるように思う。それに、部下の目からは別にネガティブにも見えない。……まあ、この人なりに苦労して立ち回ってるのかもしれないけど。
「あんなの全部、上辺だけの付き合いだから……。誰かと飲みに行ったり、遊びに行ったりすることもないし……。小林さんだって構ってくれないもんな」
課長が涙を拭いながらギロリと見てきて、わたしは思わず目線を外した。
いやいや、出来ることならいつでも構いたいよ。でも、課長が憧れに見えるほど、距離があるんです。
「わたしの場合、係長で止まること多いから、課長と仕事で付き合うことあんまり無いじゃないですか。それに……課長は美人すぎるから、オフまで絡まれないだけですよ」
自分で言っておきながら、なんだか嘘くさく感じた。でも、本当だ。高嶺の花なのがいけない。
「……そ、そんわけないだろ」
さっきまで不貞腐れてたのに、照れ気味に否定した。まんざらでも無い感じだ。
うっわ。腹立つぐらいチョロい。でも、可愛いなぁ。
「本当ですよ。オフィスでの課長は、超カッコいいです。……ぶっちゃけ、抱いて欲しいですもん」
ヤバい! 言っちゃった!
でもでも、仕方ないじゃん。説得するためだもん。だから、特に後悔は無かった。
「……私はな、理解してくれる人が欲しいんだ。花の二十代を……真面目にずーっと、仕事だけやってきたんだぞ? 私には仕事以外、何も無いから……。お前に私の何がわかる?」
わたしの軽い告白がスルーされた。
でも、耳まで真っ赤にしながら拗ねる課長が、面倒くさいと感じる以上に、可愛かった。
わたしはチューハイの缶をテーブルに置くと、隣の課長をそっと抱きしめた。
「課長、いっつも頑張ってるじゃないですか……。わたしだけは、わかってますから……」
そして、課長の頭を優しく撫でながら、もっともらしい台詞をささやいた。
正直、課長のことなんて一ミリもわからない。課長が欲しいであろう台詞をあげただけ――たとえ、嘘になろうとも。
「ほ、本当か?」
「ええ。毎日仕事して、偉いですよ。誰にも出来ることじゃありません」
少なくとも、わたしには無理だ……。
課長の頭をわたしの太ももに置いて、さらに頭を撫でた。そして、とびっきりの笑顔を見せると、課長は食い入るように見上げた。
よしよし、良い子でちゅねー。って、わたしはお母さんか!
やってる方としても死ぬほど恥ずかしいけど、自慢の演技力で動じることなく続けた。
「ありがとうな……小林さん!」
課長がまたワンワン泣き出した。とはいっても、次は感動の嬉し泣きって感じ。
泣き顔を見下ろして、わたしは確信した。
――落ちたな。
えー? ちょっと優しくしただけで、これですかぁ? さっきからチョロすぎません? 年下の新入社員にこんなことされて、恥ずかしくないんですかぁ?
全部にカッコ笑い付いてる感じ。わたしは今、心の中で大笑いしてる。ていうか、リアルで笑い出しそうなのを必死に堪えて、しんどい。
ダメだ。何か別のことを考えて、誤魔化そう――としたところ、あることに気づいた。
あれ? ネコ好きで、拗らせて、寂しがりやで、泣き虫で、理解者が欲しくて……。
それって全部、わたしが普段演じてるメンヘラ像じゃん! 素でこれをやってのけるって、ホンモノじゃん!
ヤバい……。ガチなメンヘラだよ、この人。関わっちゃいけない人じゃん。
わたしは一瞬げんなりして、手の動きが止まった。
でも、頭の中で損得の天秤が得側に傾いて、また撫でた。
うん。どれだけ中身がヤバくても、外側だけは満点だと思う。それはもう、マイナス面が帳消しになるぐらいには。
つまり――恋人として隣に置くには最高ってことじゃん。こんな美人と付き合ってるなんて周りが知ったら、さぞ嫉妬されることだろう。
優しくしてあげる代わりに、わたしの自己顕示欲を満たすアクセサリーとして役立って貰いますからね、課長。
心の中で、にんまりと笑った。
「小林さんじゃないですよ……。これから、ふたりっきりの時は、わたしの名前……美香って呼んでください」
懐柔するには、まずは信頼を得ないといけない。
「美香か……。良い名前じゃないか」
「課長は下の名前、何て言うんですか?」
「私は……
課長は照れながら、身体を起こした。
あー、もう! メンヘラのアラサーなのに、ちっちゃい子供みたいで可愛いな!
「わたしは、沙緒里さんのことが好きです。だから、わたしと恋人として付き合ってくれませんか?」
わたしは面と向かい合って、真剣な表情でコクった。
「え……」
課長――いや、沙緒里さんは視線を外し、戸惑う様子を見せた。
この人なりに色々と思うところはあるんだろうけど、まあ想定内。ここで一旦フラれることまで覚悟していた。
「わたしは沙緒里さんのこと……もっと理解して、支えたいと思います。わたしも沙緒里さんと同じで、周りから理解されにくい弱弱女子ですから……親近感が湧くというか、まだ理解できる人間だと思います」
これだけ拗らせてるということは……たぶん、この人は誰かと恋人として交際した経験が無いんだろう。怯えてるだけだと思うから、警戒を解くために、まずは親身アピールだ。
「だから、沙緒里さんもわたしのこと……生きづらさを感じてる面倒な女ですけど……理解して、支えてくれませんか?」
そして、沙緒里さんの両手を優しく取って、畳み掛ける。
こんなに可愛い女の子がウルウルの上目遣いで頼んだら、落ちない奴なんて居ないっしょ!
「み、美香……」
沙緒里さんはわたしを見た。
ほら、あともうちょっと。クソ雑魚メンタルの沙緒里さんは、本当にチョロいですね!
「互いを理解して支え合う。それが恋人だと、わたしは思います」
「なるほど……。これがソウルメイトというやつだな。ずっと、憧れてたんだ」
え? ソウル? なに?
なんかスピリチュアル的な胡散臭い言葉が出てきたような気がしたけど、聞かなかったことにしておこう。
えっと……とりあえず、承諾してくれたってことでいいんだよね?
「……あと、同じ屋根の下で暮らすことも恋人として当然です」
だから、後で聞いてなかったとならないように、契約内容の特記事項を小声で付け加えた。
わたしの狙いは、沙緒里さんを手玉に取ること。そして、実家を追い出されたから、ここを新たな寝床にすることだ。
持て余すぐらい、こんなに広い部屋なんだから、わたしひとりが増えても、きっと大丈夫だろう。
生活に関わることだから、これでも真剣に沙緒里さんを落としにかかっていた。
「は?」
小っ恥ずかしそうにしていた沙緒里さんが、急にシラフに戻った。くそっ、これだから仕事の出来る女は勢いで頷いてくれない!
このままではいけない――こうなったら、最終手段だ。
沙緒里さんの思考が加速するのを阻止しようと、わたしは沙緒里さんの唇にキスをした。
拗らせアラサーには刺激が強いと思うから、まずはほんの一瞬の短いキスだ。
そして、ここからが大事。
顔を離すと、沙緒里さんが唖然としていた。握っていた沙緒里さんの手を持ち上げ、わたしの胸に触らせた。
「……ほら。わたし、こんなにもドキドキしてるんですよ? 沙緒里さんだからです」
歳の離れた上司相手にマウントを取りにかかってる抑揚感から、ドキドキしてるのは事実だ。
「沙緒里さんはどうなんですか?」
顔を真っ赤にして目が泳いでる沙緒里さんの胸に、ブラウス越しに触れた。
思っていた通り、ドクドクとうるさい鼓動が伝わった。面白いけど、嬉しいと思う部分もあった。
「美香! あ、あのな! 私、こういうの初めてなんだ!」
「大丈夫ですよ。焦らなくていいです。……少しずつ、お互いを知っていきましょう」
わたしは諭すように言いながら、もう一回キスをした。
次は舌を入れた。アルコールの味がしたけど、じっくりと『沙緒里さん』を味わった。
……ここから先は、言うまでもない。わたしは、最高の優越感に浸った。
これはまだ、始まりだ。時間をかけて、確実に沙緒里さんを自分のものにする。
対等な恋人なんかじゃない。わたしの自己顕示欲を満たすために、必ず自分のアクセサリーにしてみせる。
その暁には、全人類相手にイキろう。漫画なんか描いちゃってSNSに上げて、生きづらい女の子アピールと一緒にこう言うんだ――
こんな私にも理解のある彼女ちゃんがいます
my bimbo one.
(第01章『実家を追い出されたわたしは死ぬことにした』 完)
次回 第02章『不動産屋に着ていく服を私は持っていない』
沙緒里は美香を追い出そうとする。
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