第02話

 米倉課長と一緒に会社を出た。

 わたしは相変わらず半泣きだけど、課長の部屋にお呼ばれすることになって、中身は最高にウキウキしていた。

 途中、スーパーに寄った。


「食べたいやつ、何でもいいぞ」


 凄く優しいんだけど、惣菜コーナーで言うことじゃないと思います。課長、料理しないのかな?

 結局、ローストビーフのサラダと唐揚げとパック寿司と、ポテトチップスをカゴに入れた。


「あとは、宅飲みなんだからお酒も要るな」


 あれ? わたしのプライベートな相談に乗ってくれるという体じゃなかったの?

 間違ってはないけど……むしろ、課長とふたりっきりでアルコールは歓迎だけど……宅飲みで片付けられるのは、なんだかヤダなぁ。

 上機嫌にお酒のコーナーへと歩いていく課長にも、ちょっとだけイラっとした。


「課長は、その……お酒はよく飲むんですか?」

「うん。基本、毎日な」


 へー。流石、大人な女性って感じ。ワインとかウイスキーとか嗜んでそう。

 ……でも、その棚じゃなくて、冷蔵ショーケースに向かっていった。

 そして、何の躊躇もなくアルコール九パーセントのストロングなレモンチューハイをカゴに入れた。しかも、二本。

 ん? なんか違くない? わたしはツッコむのを我慢して、見ない振りをした。

 課長のクールなイメージを必死に守りながら、アルコール三パーセントの桃のチューハイを取った。本当は五パーセントぐらいのビールが飲みたいけど、かわいこぶった。


 スーパーで買い物を終えて、再び歩いた。仕事の鞄とエコバックを持って歩いてるだけなのに、課長は様になっていた。

 こんなの反則でしょ! 一緒に歩いてるだけなのに――これから課長の部屋でふたりっきりになることもあって、わたしはドキドキした。

 会社から合計二十分ぐらい歩いて、課長のマンションに着いた。古くもないけど新しくもない、そんな感じの建物だ。

 エレベーターに乗ると、十二階建てだと分かった。九階で降りて、廊下を歩いた。


「わたし以外にも、部下をよく呼ぶんですか?」

「いや……。部下っていうか、会社の人間で来たのは、小林さんが初めてだよ」


 よっしゃ! わたしが課長の『初めて』頂きました!

 まだ課長は少し困った様子だけど、心を許して連れてきてくれたことがマジで嬉しい。


 やがて、扉の前で課長が立ち止まって、鍵を開けた。人感センサーだろうか。玄関の灯りが自動で点いた。

 わたしはこれまでマンションやアパートでの生活経験が無いから、正直よくわからない。それでも、玄関が意外と広く感じた。ワンルームって、ウサギ小屋みたいな所じゃないの?

 玄関には床から天井まで突っ張り棒が伸びていて、両開き扉状の柵が張られていた。

 まさかウサギでも居るのかなと思ったけど、奥からやってきたのはネコだった。このために柵で簡易二重扉にしてるのだと理解した。


「わぁ。可愛い」


 白とブラウンタビーの長毛な一匹のネコが、柵越しにニャーニャー鳴いて出迎えてくれた。

 ああ、超可愛い! ぎゅって抱っこして、モフモフしたい!


「ただいま、アミ。いい子にしてたか?」


 課長がわたしにスリッパを差し出して、柵を開けた。


「へぇ。アミちゃんって言うんですか。……人懐っこいですね」


 アミと呼ばれたネコは、わたしの脚におでこをグリグリしてきた。初対面でこの神対応は嬉しすぎる。


「ああ。オスだから懐きやすいし、ヤンチャだぞ」

「え? オスなのにアミちゃんなんですか?」

「……アミっていうのは、どこかの外国語で『友達』の意味なんだ」


 ちょっと待って。今、小声でボソッと何て言った?

 アミの背中を撫でるわたしの手が、ピタッと止まった。

 いったいどんなセンスしてたら、ネコに『友達』なんて名付けるの? 笑えないどころか、軽く引いたんですけど……。アミちゃん以外にも、お友達いますよね?

 ダメだ。さっきのストロングチューハイといい、課長のクールなイメージが崩壊しかかってる。来るんじゃなかったかなと、ちょっと後悔した。


「お、お邪魔します」


 まあ、部屋を見れば持ち直すだろう。そう期待して、奥へと連れられた。

 玄関と同じで、思ってたより全然広い部屋だった。キッチンのカウンター横には、テーブルと椅子が置かれていた。その向こう――リビングには、テレビと向き合ってテーブルとソファーが見えた。大体、十畳ぐらいのLDKだろうか。

 そして、リビングにはふたつの扉が面し、開いたひとつから部屋が見えた。五畳か六畳ぐらいだ。

 勝手にワンルームを想像してたけど、どうもそうじゃないらしい。


「課長って、ひとり暮らしですよね?」


 不安になって訊ねた。まさか、誰かと同棲してたり!?


「会社から近くてペット可の物件が、ここしかなかったんだよ。……家賃、高いけどな」


 なるほど。そういう事情なんだ。

 質問の答えになってないけど、ひとり暮らしだと理解した。


 課長はソファーにわたしを促すと、スーツのジャケットを脱いでアミの餌を準備した。

 ソファーに座ったわたしは、部屋を見渡した。

 まず、リビングのテーブルにタワマンのパンレットが置かれていた。たぶん結婚後の新居じゃないと、なんとなくわかった。

 ソファーの隅には、手に持つタイプの電動マッサージ器があった。……肩凝りに効きますよね。

 そして、窓のカーテンレーンには洗濯物が干されていた。その中に、黒いレースのTバックがあった! えっっっち! 普段澄ました顔であんなの履いてるなんて、ヤバすぎでしょ!

 ……わたしは一時的に興奮するも、やっぱりこのプライベートから課長のイメージが悪い意味で崩れて、萎えた。

 いやいや、逆に生活感あって良いじゃん。わたしが知らないだけで、独身女性のひとり暮らしなんて、こんなもんでしょ……たぶん。


「お待たせ。それじゃあ、食べようか」


 課長が惣菜の入ったスーパーの袋と、食器をいくつか持ってきた。

 食器はどれもバラバラで、同じやつは無い。普段から客を呼んでいないのだと、説得力があった。


「それで……あんな所で、どうしたんだ?」


 皿に分けたサラダをわたしに渡し、隣に座った。自分は容器のまま食べるようだ。

 結果的にわたしは今も萎え気味だから、課長からはヘコんでるように見えるんだろう。そういえば、相談事でここまで押しかけたんだと、本来の用件を思いだした。


「実は、わたし……親から実家いえを追い出されたんですよ。だから、屋上から……」

「え? それだけで?」


 バカなの? みたいな空気出すの、やめてもらっていいですか?

 ていうか、なんか冷たくない? 思い切って、昨日の悲しい出来事を打ち明けたんですよ?

 さらりと流されて、ちょっとイラッとした。

 まあ、確かに自殺を考えるほどじゃないと、わたしも思うけど……。それでも、もっと親身になってくれたって、いいじゃん!


「小林さんって、実家住まいだったんだな」


 課長は他人事のように漏らして、缶チューハイをプシュッと開けた。美味しそうに飲んでるのが、余計に腹が立つ!


「うるさいから妹の大学受験の邪魔になるって、それだけの理由ですよ!? ひどくないですか!?」


 ライブ配信とかゲームとかでうるさいって言われたけど、それは敢えて黙っておく。

 さあ! か弱いわたしがこんなにひどい仕打ちを受けたことに、同情してください! 米倉課長!


「それなら仕方ないんじゃないか? もう秋だけど……新卒で丁度いい機会なんだし、実家出たらどうだ?」


 期待に反して、課長からもクソ親と同じこと言われた……。もうダメ。死にたい。


「大学も下宿じゃなくて、実家から通ってたのか?」

「はい……」

「え? ひとり暮らしの経験ないの?」


 課長は唐揚げを取ろうとした手を止めて、白けた奥二重の瞳をわたしに向けた。美人なだけあって、その目は余計にダメージ大きい。

 は? なにドン引きしてんの? 課長のプライベートの方が、よっぽどドン引きなんですけど?

 流石にイラっとしたけど、わたしは怒りのエネルギーを別のものに変えた。


「わたしにひとり暮らしなんて、無理なんですよ! 寂しくって、死んじゃいます!」


 よし。泣き顔に合わせて、メンヘラらしい、それっぽい台詞が出てきた。ここで冷静に頭が働いて、自分でも賢いと思う。

 そう。わたしはか弱くて、寂しがりやさんなの!

 ……誰かがご飯作ってくれて洗濯もしてくれる環境から絶対に離れたくないなんて、口が裂けても言えない。


「小林さん。キミという奴は……」


 課長は小さく漏らすと、ストロングチューハイをグイッと飲んだ。

 そして、缶をドンとテーブルに置き、わたしはビクッとなった。

 あれ? ヤバい感じ? お説教されちゃう?


「寂しくて死にたいのは、私の方だ!」


 米倉課長はそう言うと、ビエーンと子供みたいに泣き出した。


「……はい?」


 突然過ぎて、予想外すぎて、ワケがわからない。わたしは驚くというか……この状況を頭で理解するより、血の気が引いたのを感じた。

 えっと……。何かスイッチ入っちゃいました?

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