わがままお願い少女(白)と嘘つきな死神(黒)

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第1話

コツン……コツン……と窓に当たる音がした。

 室内にいたナツミはその合図に気づき、窓を開けて身を乗り出す。


 見下ろす先には、小石をポンポン弄ぶ少年――シュウらしき姿があった。

 夜闇に紛れるためか。夏だというのに、少年の服は上着から長ズボンまで真っ黒だった。


 行・く・ぞ。


 声はあげられないので、パクパクと少年の口が動き、その腕がこいこいと大きく振られる。


 待ち望んでいた言葉に少女は大きく頷き――、


「よいしょっと」


 拝借した白いカーテンを結んで作った長い布を垂らして、意気揚々に2階の部屋から脱出した。


「おまっ」


 慌てて少年が降下地点を予測して駆け寄ると、案の定というべきか少女は途中から勢いよくすべり落ちていく。

 幸いナツミは平均よりも軽いので、怪我することなく受け止めることができたのだが。


「えへへ、ナイスキャッチ」

「……ヒヤヒヤさせるなよ、まったく」


 真夏の夜は暑いが、少年は冷たい汗をかきそうだ。

 ただ、すぐにそれも少女の可愛らしい白ワンピース姿によって吹き飛び、腕から伝わる柔らかさにまた別の汗が流れでそうである。

 彼の様子にしてやったりの少女は、


「それじゃ行こっか!」

「はぁ……どこへでも連れていきますよお嬢様」


 地面に足をつけた途端に少女が先陣をきる。彼女についていく少年は忠誠心あふれる執事か、それとも振り回されるしもべか。


 どちらにしても、手を繋いで駆け出し抜け出すふたりを第三者が見ていたら、誰もが同じ印象を抱くに違いない。




「それで、最初はどこに行きたいって?」

「海!」


 最初の目的地からして割と遠かった。ココは海よりも山が近い地域なのだから。

 しかし、ウキウキと「海~海~綺麗な海~♪」とはしゃぐ少女の願いは絶対である。

 今日限定のスペシャルサービスデイ。そう、少年が決めたのだ。


「やれやれ、用意しといてよかったよ」


 少年がそうぼやきながら先に人気のない道を曲がると、そこには二人乗りができるバイクが停まっていた。真っ黒なバイクは隠すには都合が良さそうだが、いかんせんどこかボロっちい旧式の印象だ。


「いつのまに乗れるようになったの?」

「男は三日会わざればよーく見ろやってね」

「……そんな言葉だっけソレ。なんか違う気がする」

「そこはスルーしてくれよ……。あー、えーとなんだ……」


 ――お前のために…………。


 ぼそぼそとした声だが、ナツミにははっきりとその言葉が聞こえた。

 恥ずかしさと嬉しさが綯い交ぜになり、恥ずかしさが僅かに上回った少女がピョンとバイクの後ろに飛び乗る。

 

「いこっ! 早くしなきゃ捕まっちゃう」

「……心配いらないさ。誰も追いつかせたりしない」


 ちょっとカッコイイ風な言い回しをしながら、少年は黒い半帽ヘルメットを少女にかぶせる。


「なるべく早く着きたいから、バランス崩すなよ?」

「うんうん、わかってますよっと」


 お腹に回される白い両腕と背中に当たるヤケに柔い膨らみは、健全な青少年には毒に近い。それも肉体ではなく理性を溶かすヤツだ。

 慌てて振りほどきそうになる自分を、少年は無理矢理抑え込むのに大変そうだった。


 その反応があまりにも予想どおりで、少女はニヤニヤするのが抑えられなかった。


「…………それで、ちゃんと掴まれてるならいいけどよ」

「ちゃんと掴まれてるし。絶対放さないよ」


 控えめにエンジンを轟かせ、わずかずつ明るくなっていく空を目指すように、黒いバイクは夜闇を駆け抜けて行った。




「わ~~~~! きれーーーーー!!」


 海に到着してからすぐ、朝日が昇っていく光景を少女達は目の当たりにした。

 照りつける太陽は想像よりも、ずっと綺麗で、ずっと輝いて見えた。

 少年にとってはパチャパチャと海辺でステップを踏む少女の方が眩しいのか、視線は別の方へ向いていたが。


「おい! あんまはしゃいでコケんなよ!? 着替え持ってきてるわけじゃないんだからな!」

「もし濡れちゃったらキミの服を借りればいいでしょー!!」


 斬新な追剥ぎに少年が呆れる。


「ねえねえ、アレやろアレ」

「アレ?」

「ふふふ~、捕まえてごらんなさーい。待てよこいつぅーってアレ!」


 マジか。


 それが少年の率直な感想だった。

 古今東西、少女が希望する行動を現実で行なった者を少年はあまり知らない。それをやれるのはバカップルの特権だからだ。少年はバカップルではない。


 しかし、


「…………嫌?」


 悲しそうにそう問われてしまっては、選択肢はない。

 少年は決意し、アホになったつもりで少女へと大仰にダッシュ一本。


「よーし、捕まえちゃうぞー♪」


 全身全霊でその役目をこなした。

 マヌケっぽい笑顔で、絶対そんなんで走らんだろ普通と思わざるを得ないゆったり速度で。


「ぶふっ?! ちょ、ちょっとたんま、な、なにその声、聞いたことないんですけど……。あは、あはははっ、ダメ、笑っちゃうのが止めらんないッ。こ、こっちきちゃダメぇ!」


 その発言をきっかけに、バカップルのゆるーい追いかけっこは、途中から真剣勝負のような劇画調の激走へ変わった。


 無駄に疲れた上に、自販機で買った飲み物は少女にぶんどられるおまけ付き。しかも、飲みかけを返された。


「……ドキドキしちゃう?」

「するか!」



 その後――。

 少女に願われる度に、少年はすべてを叶えた。


 冷たくて美味しい流しそうめんが食べたいと言われて店探し。

 水族館に行きたいとねだられれば、行ったこともない遠くの有名な所でイルカショー。


 疲れた暑いアイス買ってきてとパシられ、東屋の日陰で休めば無理矢理膝枕を強要され「固くて寝づらい」と文句を言われた。


 どう見ても少年は苦労人なのだが、彼は嫌な気分ではなかった。


 むしろ逆に――。




 少女に振り回されている内に、空が茜色に染まってきている。

 スペシャルサービスデイも半分をとうに過ぎていた。


 さて、次はどんな無茶振りが……。

 そう身構えていた少年に対して、少女の願いは、


「ところで、花火観たくない?」


 だった。




「……ねぇ、どこまで行くの?」

「もう少しで着くさ」


 すっかり闇に覆われた丘を二人は登っていく。

 外灯もないような丘なので、明かりは少年が持つ『祭』と描かれた提灯だけだ。


 少女は疲れが出てきたのか。その歩みは遅く、苦しそうな表情を浮かべている。


「……ご、ごめん。ちょっとだけ待って……」


 ついにへばってしまった彼女だが、長期の運動不足なのでしょうがない。

 しかし時間を惜しんだ少年は、


「ごめんな、待てないんだ」


 それだけ告げて、お姫様抱っこを強行した。

 予想外の行動に少女の顔が、ボン!と真っ赤に染まる。


「え、ええ!? ちょ、ちょっと……なにをっ」

「先に謝っただろ?」

「う、うぅ…………せ、せめて優しくお願いしますっ!」


 ギュッと瞼を閉じる女の子は色々勘違いしているのは、年頃の男女ならではか。けれど少年は別に暗がりにしけこもうとしてたわけではないので、


「えーと……優しく運べってお願いか?」


 鈍感な返事をした。

 少しだけ少女がポカンとしたが、すぐに前以上に広い範囲で染まっていく。


「おんぶなら許すつったのよ!!」


 理不尽に怒られながら、少年は慌てておんぶに切り替えて再び歩み始める。


「……きつくないか?」

「ううん、大丈夫。……あんまりかいてない? 汗臭くないね」

「ちゃんと制汗スプレーしたしな」


「…………重くない?」

「まあ人並みに? でも、軽いもんだ」


 本当はもっと重い方が――。

 その言葉を少年は飲みこんだ。


 目的地は、木々が少なくて広く景色が見渡せる頂上付近だった。


 しかし見渡せるのは暗い山々で、決して夜景が美しいとは言い難い。昼間なら自然を堪能できようが、夜には向いていなさそうだ。


「花火は?」


 なごり惜しくもおんぶから降りた少女が問う。


「まあもう少し待てって」

「やだ、待てない」

「……そういうと思ってたけどよ」


 仕方なく、少年はどこからか花火を取り出した。暗いのもあってソレはちょっとした魔法のように少女には見えた。

 目を凝らしてその形を確認すると、彼女は呟く。


「線香花火?」

「お前コレけっこー好きだったろ? ほんとは他にも用意したかったんだけど……」

「残念。火事になるなくらい盛大にやったるぞーって言ってくれるのかと期待しちゃった」

「お前……悪いヤツだな」

「お褒めにあずかり光栄ですよーだ」


 冗談の言い合いが心地よかった。

 ずっと続けててもいいと思える程に。


「あ、そろそろかもな」

「なにが?」

「向こうの方さ、よーく見てろよ? すぐ終わっちまうから」

「???」


 言われるがままに少女は少年に示された方へ体を向けた。


 長い間。


 少女が文句のひとつでも言ってやろうと思いたつその直前に、



 少女の願いが空に咲いた。



「わわっ?! すごーーーい!!」

「なあ、すごいよな!!」


 大気を震わす花の轟音に負けないぐらいの感動を、ふたりが響かせた。

 黒いキャンバスに熟練の職人技が華開き、次々とあがる火花が、暗き夜空を華やかに彩っていく。


「ほら、これ持て」

「ちょっとちょっと、なんでいま線香花火を渡してくんのよ?」

「打ち上げ花火の下でやる線香花火。そんな贅沢は今だけだぞ」

「なにそれすごい! 早く頂戴!」


 意図が伝わり、少女の顔が忙しそうに一転二転する。

 次々上がる打ち上げ花火を眺めようとすれば静かに咲く線香花火が見れず、逆もまたしかり。どっちに集中しようかアワアワしている少女を、少年は愛おしそうに眺めていた。


 少年にとっては、大きな花火も小さな花火も舞台装置の引き立て役だ。彼が求めていた物は目の前にある。


「よかった……」

「ええ?! なにかいった?!」


 わずかな呟きだったはずなのに少女が訊いてきたことに驚いたが、少年は首を振って返した。




「ああー……終わっちゃった」

「そうだな」


 壮大な花火の時間は短く、満足するには程遠い時間で終了した。

 おそらく、しっかり観ることができた人間は少女だけだろう。


「でもなんで? あんな山の中で夏祭りでもやってたの?」

「それは秘密だ。決してシークレット花火の事を花火屋に土下座で訊きだしたとかじゃないぞ」


「なにそれ、変なの」

「でも線香花火はまだあるからな。どうせなら存分に楽しもう」

「どんだけ持ってきてんのよ……仕方ないわねぇ」


 そう言いつつ満更でもなさそうな少女が新たな線香花火に火を灯そうとすると、いつの間にか線香花火を灯らせていた少年が渡し火をしてくれた。



「キミって線香花火好きだったっけ?」

「線香花火は最高だろ」


 ――嘘だった。

 線香花火が好きなのは少女の方で、少年ではない。

 好きどころか、最近嫌いになった。


 小さいけれど穏やかな花火。それがポトリと落ちるのが嫌なものを連想させるから。


「ねぇ、今日はあとどれくらい?」

「まだまだ、たっぷりあるさ」


 今日の少女は、時間を確認できるものを何一つ持っていない。

 携帯は置いてきたし、お気に入りの腕時計も付けていない。


「そっかぁ、たっぷりあるならまだまだ大丈夫ね」

「ああ、大丈夫なんだ」


 少年は吐いた言葉を返されて、ひどく落ち込みそうになった。

 しかしそれは今にそぐわないので作り笑顔で誤魔化した。


「こんなチャンス滅多にないんだからな。お願いがあるなら、今の内にたくさんしておく方がいいぞ」

「んん~、どうしよっかなー?」


 あえて《滅多に》と口にした。《二度と》とは言いたくないから。


「よし、決めた! それじゃあ覚悟して訊きなさいよ? すっごいお願いしちゃうんだから」

「お、おう」


「それじゃあ……いくわよー?」

「お手柔らかに」


 次の瞬間。

 これ以上ないくらいの笑顔で、





「あなたは……誰?」


 



 少女がは願いを口にした。






 

 不自然なまでの笑顔で、私は教えて欲しい事を口にした。

 

 きっと予想外すぎたんだろう。私の願いに黒い服の少年はひどく驚き、呼吸すら忘れているようだった。

 ううん、もしかしたら元々呼吸をしていなかったのかもしれない。


「……いつからだい?」


 かろうじてそれだけを口にする誰か。その表情にはもう驚きはない。

 声色はよく知るシュウくんのままだが、口調は別人。線香花火の弾ける音でも隠せてしまうような静謐がそこにあった。

 

「ほんのちょっとの違和感だったと思う。夏なのに見た事ない黒い服でさ、バイクもいつのまにって感じだし」

「バイクは知り合いに借りたんだ。乗るだけなら免許はいらないだろう?」

「なに、無免? それは思いつかなかったわ。あなた悪い人ね」

「ああ、極悪人かもしれないな」


 極悪人なわけがないのに、彼はそう冗談を口にしてくれた。

 あえて話に付き合ってくれているのがわかり、気持ちが軽くなる。


「今日一日、すっごい楽しかった。こんな気持ちになるなんてまるで夢のようだったわ」

「スペシャルサービスデイだからね。そうも感じるさ」


「花火はほんとに土下座したの?」

「したした。ま、そのぐらいで済むなら安いものさ」


「ほんとに綺麗だったわ、人生で一番ね。花火屋さんにもそう伝えてほしいわ」

「それはまた、きっと大喜びするだろうね」


「…………ねぇ、嘘つきさん。本来その姿をしている彼はね、線香花火をしなくなったのよ」

「そうなのかい?」

「……私がね、一緒に線香花火をしてる時に倒れちゃったから。だからそれ以来、触らなくなったの」

「なるほど、それは知らなかったな」


 彼の線香花火がポトリと落ちる。

 すると、彼は再びどこからか線香花火を取り出した。


「ねぇ、さっきのお願いは訊いてくれないの?」

「ふふふっ、ごめんよちょっと焦らしてみたのさ」


 ちょっと意地悪そうに笑い、彼はまた線香花火を点ける。

 今度こそ道具も何も使わず指を鳴らすだけだった。


「けど、いいのかい? せっかくの楽しい時間なのに」

「もー……あなたの詰が甘いからその時間が終わったんでしょう」

「うっ、痛いところをつくね。それは素直に謝る、ごめんよ。……これでもかなり気をつけたんだけどな」

 

 ――キミはシュウくんの事を本当によく見ているんだね。

 

 率直にそう言われると照れるから止めてほしい。

 まだ音を鳴らす線香花火を消さないように気をつけながら、私は空を仰いだ。

 花火が終わったあとの空は、吸い込まれそうな闇に変わっていた。


「お察しのとおり、俺はキミの知るシュウくんじゃない。なるべく伝わりやすい表現をするなら、『死神』が近いかな」

「死神?」

「おっと、怖がる必要はないよ。そもそも死神とは、魂が迷わないように導くもの。無闇に命を刈り取るようなヤツはいないのだから」


「リンゴが好きだったりする?」

「うーん、嫌いじゃないけどノートは持ってないよ」


「名前を呼ぶと力が解放されたり……」

「斬●刀も持ってないかな。あるなら欲しいけどね、かっこいいから」


 ずいぶんユーモアにあふれた死神だ。


「それじゃあ死神さんって呼ぶね」

「どうぞご自由に」


「死神さんは……あたしを連れて行くの?」

「……そうだね」


 その肯定に、心がざわつく。


「キミの体はベッドの上で寝ている。大手術の後だからね、当然病院を抜け出すことなんて出来やしない」

「……それじゃあ今日の事は」

「俺が関与しなければ実現してないね」


 淡々と告げられる本来の現実。

 私は思いだす。生きるために、成功率の低い手術に臨んだことを。


「なんで、関与してくれたの?」

「たまたま通りかかったのさ。言うなれば気まぐれだよ」

「そっか……気まぐれなんだ」


 今日一日、楽しかったあの時間は死神さんの気まぐれ。

 そう思うと一瞬とてもガッカリした。


 けれど、楽しかったのは本当で、ソレが本来有り得ないものだとするならば、私は感謝しないといけない。

 なかったはずの一日。だからスペシャルサービスデイか、ひねりがないわね。


「あのね、すっごい元気出たよ! 最近外にもほとんど出れなかったから、例えキミの気まぐれだろうと連れ出してくれて感謝してる。ほんとだよ?」


 私は念を押した。

 死神さんが誤解しないように。


「あー、超勇気もらったわ!! これで心置きなくいけますよ、挫けてなるもんかってね!」

「…………」

「ほーら、なに黙ってるのよ。そんなんで私をちゃんと連れていけるの?」

「……行けるけど。キミはそれでいいのかなって思ってね」


 私の心を覆う嘘の膜に、嘘つきの言葉が深く食い込む。


「な、なに言ってるの? いいも悪いも……」


「言いたいことが、願いがあるなら全部口にするべきだ。そのままだとキミは後悔するよ」


 さらに抉じ開けてきた。やめてほしい、これ以上は耐えられない。

 これはもう脅しだ、脅迫だ。

 けっこーいいやつだと思ってたけど撤回しよう。こいつは最悪だ。


「そんなに震えて、胸を掴んでさ。それで心置きなく? 面白くもないコントだよ」


「やめて……もう……」


「なに? そんな小さな声じゃ聞こえないな。しょうがないから、はっきり言ってあげようか?」


 いい加減にしろ、人がせっかく堪えてるだから邪魔をしないで!!

 そう叫ぼうとしたのに、私の口からは「やめて!」と短い言葉さえ出てこなかった。

 

 けれど、背けていた顔はしっかりと死神の方を見ていて――。


「スペシャルサービスデイは今日一日だけ。けれど、今日はまだ終わってない」


 それでようやく、意地悪な言葉を重ねていた死神さんがどんな顔で私を見ていたのか。見てくれていたのかがわかった。


「願いがあるなら訊こう。俺に身体を貸してくれたシュウくんも、それを望んでいる」






「…………言って、いいの?」






 優しい言葉の鍵が、私の頑なな扉を開けてしまった。


「ねぇ? これ以上あたしはわがままになっていいのかな? もういっぱい、いっぱい迷惑かけてるんだよ? お母さんにも、お父さんにも、友達にも、お医者さんにも……シュウくんにだって、たくさん…たくさんッ」

    

 ポロポロと雫があふれていく。

 本心がこぼれていく。

 

「……いいんだよ。少なくとも俺にはさ」

「ッッッ!!」


 その瞬間、目の前にいるのは死神さんではなく、シュウくんにしか思えなかった。

 ずるいよ、反則だよ。


 縋るように、私は彼に抱きつき嗚咽を漏らした。


「秋の、て、天気のいい日にッ、みんなでピクニックに行きたいのッ。朝早く起きて作ったお弁当持って、山の頂上で「みんなのお弁当よくできてるね」って」


「うん」


「冬になったら期末テストを受けて、「ああー、来年の受験、自信ないなぁ」って口に出しちゃう。でも、終われば冬休みだし、クリスマスだってある。 あたし、ケーキが好きだからいっぱい食べちゃう! 年末年始も食べ過ぎて太っちゃうんだ!」


「うん」


「は、春は……どうしようかな? やっぱりお花見かな? 桜も好きなんだよ私。知ってた?」


「知ってるよ。俺だけじゃない、みんなも知ってるよ」


 この願いは、全部夏が終わった後のことだ。

 それがどれだけ難しい願いか、私自身がよくわかっていた。

 だからこそ、その願いは決して突飛なものではなく、とても日常的で愛おしいものだった。

 

「……もっと近いものはないのか? 今年の夏でもいいんだぞ」

「海で泳ぎたい」

「いいなそれ」


「浴衣着て、夏祭りに行きたいッ」

「行けるさ、簡単じゃないか」


「もう1回花火したいよ!」

「……1回どころかなんべんだってしてやろうぜ」


「バカ、そんなにたくさんできるわけないじゃん。だって、夏は……そんなにッ……長くないもん。あたしの夏は……みんなよりみじか――みじか……あれちがっ……す、少な……くて……う、あ……あ、ああ……ウワァアアアア?!!!」


 私は彼をたまらず抱きしめた。

 それぐらいしかできる事はなかった。


「い、いやだよぅ!! もっとみんなと一緒にいたいのぉ!! 二度と会えなくなるなんてやだあ!!!」


 絶対そうなるとは限らない。

 けど、そうなる可能性は高い。


 待ちうけるのはそんな現実だ。


「だ――」


 大丈夫だ、なんとかなる。

 なんて薄っぺらい慰めは、むしろ私を悲しませるだけ。


 それを知る彼は、その言の葉を紡がなかったに違いない。


 その代わり、彼は別の言葉をかけてきた。


「……ダメだダメだ。ダメだそんなんじゃ。だから、ダメなお前には呪いをかけてやる」

「呪ぃ?」


「お前がもし起きなかったら、その間俺がお前のしたかった事をやる呪いだ。そんで、毎日お前に報告してやる。どーだ嫌な呪いだろう」

「いーやーだーーーー!!」


「そうだろそうだろ? だから、早く起きろ」

「……起きるし! 起きたらさっきの全部叶えなさいよ!?」


「ああ、任せておけ」


 返事をしてくれたのは、どっちだったんだろうか。

 本当に彼だったのかな?

 それとも彼になりすました嘘つき死神? 


「さあ、どっちだろうな」


 遂に心の中まで覗いてきたな。

 プライベートの侵害だ。


「気にすることはない。スペシャルサービスデイが終われば、誰もが何も覚えていられないのだから」


 嘘つけ、キミは覚えてるんでしょうが。

 そう答えようとしたら、ひどい眠気に邪魔された。


「なあに、言いふらしたりはしないさ」


 彼の声がする度に、ひどい眠気がした。

 ああ、これで終わりなんだ……終わっちゃうんだ……。


「迷える魂に安息を。後悔などもっての他だ」


 私、ちゃんとお礼してないや……。 


「気にする必要はない、好きでしたことだ」


 瞼が完全に落ちて、私は、私の体がよくわからなくなった。

 なんかフワフワ浮かんでいるような感じ。


「さあ、行こう。案内は任せておけ。あ、そうだ言い忘れてたが――」


 ちょっと、こんなタイミングで……。


「この世界の記憶は消えるが、想いはそうとは限らないのが面白いところだ。精々大事に――」


 最後まで聞き取れず、私の意識は白いものに包まれていった。




 


 ――最初に感じたのは、とてもまぶしい、だった。



「先生!! あの子が目を覚ましました!!!」

「なにっ!?」



「ねえ、わかる?! お母さんよ!!」

「ナツミ! 父さんもいるぞ!」



 ぼんやりとした視界の中で、何人もの人が私に呼びかけてくれていた。

 あれ? でも、誰かがいない気がするのはなんでかなぁ。

 起きて、大丈夫だよって伝えたいのに、起き上がれないや。


 バタバタとさらにいくつもの足音がすると、制服姿の友達の顔が見えた。


「ッッッ!! 開いてる、眼、あいてるよぉ!!」

「もう起きないかもって、言われてたのよ!? 心配させるにも程があるでしょ!」


 うぅ、あんまり近くで大声を出されるとうるさいってば。

 でも嬉しいなぁ。またみんなと会えて。


「ほら、―――も早く来なさいよ! 約束、あるんでしょ?」


 友達が離れると、男の子が近づいてきた。

 あれ、今日は黒い服じゃないんだ。いやいや? 元々そんなの着てなかったんだっけ? よく思い出せない。


 夢だったのかな。

 キミと、一日中いたような気がするんだけどなぁ。


 でもいっか。

 だってこれから同じことをすればいいんだから。


 それからゆっくりと、私は約束したとおりのわがままなお願いをした。


 その時、

 窓の向こうで黒い燕がこっちを見ていたのに気づいた。


 なぜか恥ずかしさが沸きあがり、私は「ばーか、なに見てんのよ!」と感謝の悪態をついた。

 

 それが伝わったのか、黒い燕が愉快気に飛び去っていく。

 秋が、もうすぐそこなのかもしれない。

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