No.13-1

 東京都港区青山は日本のファッションの情報発信地である。そして閑静な一戸建ての高級住宅地が広がっている。

 いわゆるセレブ街だ。

 福岡の片田舎でずっと生活していた彼は、小綺麗な街に目を奪われながら歩いていた。


 足を止める。耳に当てているスマホに声を向ける。


「見つけた。でっかい家だねぇ」


 曲線を用いたエレガントかつダイナミックな外観の家だった。一般住宅やマンションでは、まずできない表現である。

 重厚感のある石張りの壁面。そこに埋め込まれるようにガレージのシャッターと自宅に繋がる門が存在している。ガレージの中には、きっと高級車があるのだろう。


『そこが黄瀬悠馬の家よ』


 門に近づいてドアハンドルに手をかける。

 少し力を入れるだけで開いた。


「鍵がかかってない」

『黄瀬悠馬は独身で鍵をかけない習慣があるわけない。罠かもしれないけど、中に入って偽造ワクチンの証拠となる資料があったら持ち出して欲しい。六面共産の連中の話だと、黄瀬はよく研究資料などを自宅に持ち帰っているらしいわ』

「あるかなぁ。燃やされてなければいいけどねぇ」


 門を通り、車一台余裕で通れる広々としたエントランスを歩き玄関へ。


『それにしても、あなたがここまで協力してくれるとは思わなかったわ』

「んー。状況が状況だし赤志先生が頑張ってるじゃん。なら俺も頑張らないと。それに生で見てみたいんだぁ。ドラクルを」


 ドアノブを動かす。鍵がかかってない。


「柴田さん。切るね」

『ええ。無理はしないで。No.13』


 スマホをポケットに入れ玄関ホールへ。

 自動で電気がついた。白を基調とした広々とした空間が広がる。


 土足のまま上がる。左右に扉。目の前に階段。

 左の扉を開ける。洋室だった。綺麗にベッドメイクされた寝具を見て踵を返し、逆側の扉を開ける。


「おっとぉ? これはどういうことかな」


 広々としたリビングだった。それもそのはず、家具がひとつもない。人が生活している空間とは到底思えない。

 

 2階へ行き目の前の扉を開けると書斎だった。難しい本がたくさん並んでいる。英語の背表紙ばかりだった。


 部屋の奥にある机に近づく。紙の束が一纏めにされ置かれていた。手に取って文字を確認しようとした。


「その資料はリベラシオンについて書かれてる」


 素早く振り返る。

 黄瀬悠馬が立っていた。グレーのスーツを着ており、憑き物が落ちたような表情を浮かべている。

 両手をポケットに入れ立っているその姿は、心なしか男前に見えた。


「人間共が偽造ワクチンと呼称している物の、製作工程や特徴も細かく。貴様はそれを奪いに来たのだろう? 狩人ヤークト

「ご明察。ただあなたがいるなら交渉できるね。これ、持ってっていい?」

「それはちょっと困るな」


 黄瀬はニコリと微笑んだ。

 資料を机に置く。


「無謀、いや。勇気ある狩人。ここには何も無かった、ということで帰る気はないか? 難しいんだよ。壁を汚さずに人体を苛むのは」

「いやぁ……バケモノに帰れって言われて帰るなら、狩人なんて名乗れないでしょ」

「勝つ気かね?」

「もちろん。バケモノ退治を生業にしてんだから」

「なら、名を聞いておこうか。棺桶に刻むために必要だからね」

「俺?」


 髪を掻き上げる。

 金とピンクと青が混ざった、ユニコーンカラーのロングヘアが靡く。

 女のようにも見える精緻な顔立ちは美形と言わざるを得ない。

 服装は執事のような燕尾服を身に纏っている。


「プラネットスマイル。よろしく」


 ナイトスカイの瞳がふわりと形を変える。


「名前通りの素敵な笑みだな」

「あれ。嬉しいこと言ってくれるじゃ────」


 黄瀬悠馬が右手を抜いた。

 直後、手の平から漆黒の火の槍が飛来する。

 一閃を描くそれは空間を引き裂くような振動音を鳴らした。


 プラネットスマイルは素早く右手を真一文字に動かす。彼の前に黒い壁が作られ、槍を吸い込んだ。けたたましい振動音も一瞬で鳴り止む。


「せっかちだなぁ」


 黄瀬は壁の模様、いや、壁の中に広がる風景を見て目を瞠った。


「面白いな。そんなことが、キミはできるのか」

「あれ? 気付いた?」

「宇宙空間、だろう?」


 プラネットスマイルは嬉しそうに頷いた。


「まさか直接宇宙空間に接続して魔法を飛ばすとは。ブリューナクも使わず、ここまで高度かつ貴重な魔法が即座に発動できる、か。見事だ」

「いやぁ、恥ずかしいな。なんか。おだてても何もでなアハハハハハハハハ!!!」


 突然、プラネットスマイルは腹を抱えて笑いだした。


「アハハハハハハハハ!! アハハッ、ゲホッ、アハハハッ、あ~あ~……アハハハハ!!」

「……どうした? 突然」


 絶えず笑い続ける。黄瀬は苦笑いを浮かべもう片方の手を抜いた。爪を突き立て、空中を裂くように横薙ぎに動かす。


 直後、書斎が、部屋全体が引き裂かれた。

 分厚い本も本棚もコンクリートも豆腐のように切り裂かれ、轟音と共に部屋全体が細切れに吹き飛んだ。


 黄瀬は跳躍し1階の中庭に降り立つ。背後からプラネットスマイルの魔力を感じ取る。


「アハハ。すげぇ。アハハハハハハ!! 今の、アハハハ!!」

「落ち着いてから喋ってくれないか。少し鬱陶しい」


 プラネットスマイルは激しく呼吸を繰り返し、自身の腹を数回殴った。


「ゲホッ……ああ。ようやく落ち着いた。ごめんね、なんか」

「構わんよ」

「さっきの魔法じゃなくてあんたの体術? 人間も獣人も粉微塵にされそうだ」


 プラネットスマイルの額から、つうと、血が垂れ落ちる。額が切れていた。


「私の衝撃波も、爪の幻影も、すべて宇宙空間に飛ばしたのか」

「そそ。大丈夫。夜空は広大だから気にしないで」

「ますます面白い能力だ。気に入ったよ」

「それはどうも。機嫌がいいなら名前くらい教えてよ」


 黄瀬はニコリと微笑み両手を向けた。


「マーレ・インブリウムだ」


 どぷん、という擬音が耳に飛び込む。


「!!?」


 刹那、プラネットスマイルの眼前が揺らめいた。

 突如空間に出現した透明な水の球体がプラネットスマイルを包み込んでいた。

 水圧が増していき、体がビキビキと音を立てる。呼吸もできない。おまけに。


「この水は私の魔力で満たされているから、白空魔力エーギフトの通りが悪い。つまりキミは魔法を発動できない」


 球体が地面から浮く。閉じ込められているプラネットスマイルは大きく泡を吐いた。

 それが合図だったかのように黄瀬が両手を握る。


 次の瞬間、球体が収縮し弾け飛んだ。


 透明な水に、赤い血は混ざっていないことを確認する。


「……逃げられたか」


 呟くと同時だった。黄瀬の体がガクンと傾く。右肩に衝撃が走ったせいだ。


 視線を向けると右腕がボトリと地面に落ちた。

 そのまま肩越しに、背後にいるプラネットスマイルを見る。


 ずぶ濡れの状態で手刀を振り下ろしていた。


「アハハハハハハ!」


 笑い顔を向けた。顔が濡れている。

 水だけではない。目許からは涙を流していた。


「キミの魔力が上昇している。泣くと強くなるのかい?」

「アハハハハハハッ! いや、アハハハ!!」


 再び手刀を振ると黄瀬の腰が引き裂かれた。

 内臓と肉を撒き散らしながら上半身が空に浮き、3階建ての家よりも高い位置で静止する。


 黄瀬は浮かびながら地面に置いてきた下半身を注視する。

 数秒後、下半身が弾け飛んだ。血の華を咲かせる光景を目の当たりにする。


「真空────血液沸騰か?」


 下半身が無い状態で内臓を垂らしながらも黄瀬は残った左手でこめかみを叩く。


「あれ!? アハハッ! 死なねぇのかこれでも。あー。腹痛い」


 狩人は目許を擦りながら空に浮かぶ悪魔を眺めている。


「笑って泣いて。楽しいな、キミは」

「鬱陶しいってよく言われるよ!」


 黄瀬が指を鳴らす。赤黒い魔力が周囲に集まり形を成していく。一瞬で下半身と右腕が生成された。


「確かに。キミは、面倒だ」


 パン、と両手を叩くと、黒色が黄瀬の家を飲み込んだ。


 巨大な黒は一気に膨張したかと思うと霧散する。


 後に残ったのは更地だった。ぽっかりと穴が空いたように、高級な一戸建ては跡形もなく消え去ってしまった。


 流れるのは静寂。

 黄瀬の表情は穏やかだった。家には特に思い入れもなかった。

 そのまま魔力を探知する。


「今度こそ逃げたか」


 地上に降り立つと、黄瀬は何事もなかったかのように、悠々とその場から去っていった。


 その姿を、30キロ離れたマンションの屋上から見ていたプラネットスマイルは安堵のため息をついた。


「あっぶね~……死ぬかと思った。あんなんどうやって倒せばいいんだか」


 ずぶ濡れの体に冷たい夜風が容赦なく覆い被される。


「ああ! さみぃさみぃ寒い寒い死ぬ死ぬ死アハハハハハッ!!!」


 ひとしきり笑った後、スマホを操作し電話をかける。


「柴田さん? ちゃんと資料取ってきたよ」


 懐と腰にしまっておいた紙の資料を取り出す。ずぶぬれでへたれていたが、まぁ文字は読めるだろう。


「あと戦闘もした。ん? 魔力酔いドランク? 大丈夫大丈夫! 敵の魔法も魔力も全部スペースデブリゴミの仲間入りさ」


 プラネットスマイルは通話を切って大きなくしゃみをひとつした。


「さて……赤志先生はあいつをどうやって倒すのかねぇ」


 鼻水を啜ると、また笑い声が零れ落ちそうだった。

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