尾上-1

 流れてゆく街並みから空に視線を移す。

 曇天が広がっていた。深海のように重苦しく太陽の光が届かない天気だった。予報によるとクリスマスを超えるまで晴れないというらしい。


「空に光が無いのであれば地上を光で満たせばいい。明るく振舞っていれば空から雪という贈り物が落ちて来る」


 彼女の言っていた言葉を思い出す。だからクリスマスは必ず雪の降る街に行ってお祝いしていた。

 今年も彼女と過ごしたい。人も増えた。彼女はきっと歓迎するだろう。

 見た目は派手だが優しい男の子と、可愛い獣人の女の子だ。きっと楽しい。


「お客さん。ここまででよろしいでしょうか?」


 タクシーの運転手が聞いてきた。通行止めの黄色いテープと工事現場のフェンスが見えた。


「はい。ここで大丈夫です」


 料金を渡すと外に出た。冷たい風が吹く。尾上のコートが揺れた。フェンスの隙間を通り目的地を目指す。


 スマートフォンが振動した。

 12月20日、13時5分。

 赤志からのメッセージだ。


 返信せず歩いているとタワーマンションの入口に赤志がいた。


「尾上さん!」


 手を振っている。相変わらず血のように綺麗な赤い髪だった。


「悪いな! 大阪からわざわざ」

「構わないさ。それより、大丈夫なのか?」


 昨日の夜、赤志から急に呼び出された。新横浜駅の事故で怪我などはしていないと言っていたが、もしかしたらと考えると心配だった。

 だが杞憂だったようだ。相変わらず愛くるしい笑みを浮かべている。


「お疲れ様です。尾上所長。突然お呼び出ししてしまい申し訳ございません」


 赤志の後ろにいたのは本郷縁持刑事だった。その隣にはジニアがいる。どこか悲しげな表情を浮かべていた。


「中で話しませんか?」

「マンションに入っても?」

「構いやしねぇよ。誰も気にしないさ」


 赤志の顔に笑顔はない。


「どうした? そんな怖い顔をするなよ。勇」


 笑みを向け、尾上がまずマンションの中に入った。一同は崩壊したエントランスを通り、エレベーターに乗る。まだ電力は生きていた。

 そのまま赤志が以前住んでいた部屋に入る。


「工事が済めば、またすぐここに住めるようにな」


 リビングに行くと、ソファに座る。

 尾上は窓を背にしていた。


「どうしたんだ? みんな。さっきからずっと怖い顔をしてるぞ」

「無駄話をする気はない。単刀直入に聞く。聞かれたことだけ答えてくれ」


 赤志は一度息を吸い、意を決したように口を開いた。


「シシガミユウキって……あんたなのか?」

「ん?」


 首を傾げる。不思議だった。何故その名が赤志から出てくるのか。


「いや。俺の恋人の名前だ。言ってなかったか?」


 赤志は目を丸くした。絶句した、といった方がいいか。


「あんた……あんた何言ってるかわかってんのか!? 俺が探している人間の名前、何度も聞いていただろ?」

「それが? 「シシガミユウキ」だろ?」


 赤志が目を丸くしている。


「なんだ? 何を驚いている。ああ、漢字が気になるのか? 獅子の神に────」

「いや、そうじゃなくて! なんでその時に言わなかったんだ! 恋人と同じ名前だって!!」

「なんでって……言う意味がないからだろ? お前の探しているのは「シシガミユウキ」で、俺の恋人は「シシガミユウキ」だ。違うじゃないか」


 赤志は言語機能がなくなったように口をパクパクと動かす。


「なに……? なに言ってんだ? あんた」

「お前こそ。大丈夫か? やっぱりどこか怪我したんじゃ────」

「あなたはトリプルMを三鷹組に提供してましたか?」


 本郷が割って入った。


「そんなこと、するわけない。それをやっているのは「シシガミユウキ」でしょう?」


 本郷は目に角を立てる。


「結論から言うと、私たちはあなたが「シシガミユウキ」なのではないかと疑ってます」

「なんだそれは? 冗談はよしてください」

「あなたの恋人がワクチン接種後に亡くなっていたのを見つけたのがきっかけでした。「シシガミ」さんは副作用などで死亡したのですか? それとも事故や、病気で?」

「……失礼な人だ」


 尾上は目に角を立てた。


「彼女は生きている。昨日だってやり取りをしている。これが証拠だ」


 メッセージのやり取りを見せれば納得すると思い、Lianのやり取りを見せる。


「失礼」


 本郷が中身を確認する。ジニアも隣から見る。赤志だけは尾上を捉えていた。

 しばらく画面をスクロールしていた本郷は、指を止め、目を見開いた。

 ジニアが小さな悲鳴を上げる。


「なに、これ……」


 本郷は尾上に画面を見せる。


「これを見てください。昨日のやり取りです」


 尾上は見なかった。内容は覚えているからだ。


「今年はクリスマスを一緒に過ごせそうなんだ。会わせたい子たちもいてね」

【ならレストランなんか予約しないで、家でゆっくり過ごさない?】

「いいね。キミのハンバーグが久しぶりに食べたいよ」


 その次のメッセージは、自作だろうハンバーグを見せながら自撮りをする「シシガミユウキ」が映っていた。


「これが一昨日のやり取りです」


 本郷が指を這わせた。


「最近忙しいけど、クリスマスは一緒に過ごそうね」

【ならレストランなんか予約しないで、家でゆっくり過ごさない?】

「いいね。キミのハンバーグが久しぶりに食べたいよ」


 次のメッセージは、自作だろうハンバーグを見せながら自撮りをする「シシガミユウキ」が映っていた。

 さらに前の日のメッセージを見せる。


「今年のクリスマスは一緒に過ごしたいな。難しいけど頑張るよ」

【ならレストランなんか予約しないで、家でゆっくり過ごさない?】

「いいね。キミのハンバーグが久しぶりに食べたいよ」


 次のメッセージは、自作だろうハンバーグを見せながら自撮りをする「シシガミユウキ」が映っていた。


「一週間前に遡っても、少し言葉は違えど同じ内容のやり取りが繰り返されてます。ひと月前も。2ヶ月前も! 全部が、この短いやり取りで終わってるんです」


 本郷が焦りながらも赤志に横目を向ける。赤志は唇を噛み締めていた。

 尾上は、


「いやぁ、恥ずかしいな。彼女とのやり取りなんか見られると」


 純粋な笑みを浮かべて後頭部を掻いていた。


「……尾上さん。俺の話、聞いてくれるか?」

「ああ。何を話すんだ?」

「あんたが「シシガミユウキ」だっていう根拠だよ」


 赤志は仮説だ、と言って話し始めた。言葉を震わせながら。

 シシガミユウキだという根拠。ワクチンを使った計画。トリプルMや偽造ワクチンに関して。そして復讐。


「面白い話だけど、勇。俺は何のことだかサッパリだ。偽造ワクチンなんて、そんな荒唐無稽な────」

「お母さんは?」


 ジニアが言った。

 尾上の目がスッと細くなる。


「私のお母さん、どこにいるの?」


 ジニアの目からは涙が零れ落ちていた。彼女は家族を探していた。「シシガミユウキ」に合うと約束していた母親を。


 そうだ。そう言っていた。たしか、そう。




「彼女の名は解放という意味を持つフランス語だった。運命だったよ。それで完成したんだから」




 一瞬の静寂が流れる。ジニアが目を見開いた。


「……トリプルMを若い子たちにばら撒いていたのは布石だったんですね。「グリモワール」や進藤を使ったのは、既存のプレシオンを破損するために必要だったと」


 赤志とジニアが睨みつける中、本郷だけは淡々と喋った。


「そして補充するワクチンに偽造ワクチンを紛れ込ませて、新横浜駅や各地で事件を起こす。多発している魔力暴走事故の影響でワクチン接種者が急増すれば、補充された病院に駆け込む者が多くなる。被害は、大きくなるばかりだ」

「その言い方は違うな」


 尾上は不快感で顔を歪めた。


「偽造ワクチンなんて汚い言い方をするな。あれはリベラシオン。彼女と黄瀬さんと作ったワクチンだ。最高のワクチンだよ」


 それはジニアの母親の名だった。ジニアが悲痛な表情を浮かべる。


「認めるんですか? 偽造ワクチンを作っていたことを」


 本郷が声を荒げた。


「偽造!? 何を言っている! 俺が作っていたのは真のワクチンだ! もう少しで先に行ける!! 全員俺に感謝して欲しいくらいなのに!!」


 負けじと声を張った尾上は口角を上げた。

 輝くような無職の瞳をしている。透明の、冷たい眼差しでジニアを見ていた。


「……あんたなのか? 朝日を殺したのは」


 本郷が歯を噛み締めた。尾上は小首を傾げた。


「彼女はリベラシオンと仲がよかったね」


 本郷が素早く立ち上がり拳を振った。

 巨岩の拳が尾上の鼻に叩き込まれる。耐え切れず尾上は吹っ飛び窓に背中を打ち付けた。


 いや違う。吹っ飛んだわけではなく後ろに飛んで衝撃を逃した。

 3人が立ち上がる。尾上は焦点のあってない目を動かす。


「いや。大丈夫だ。不安にならないでくれ。勇。もうすぐみんなで戻れる。聖夜に贈り物を送るから。きっと優希も喜んで……くれ……」


 言葉が徐々に小さくなり浅い呼吸を繰り返す。


「お、尾上さん?」


 呼びかけた時だった。


 尾上が吐血した。

 ジニアが小さい悲鳴を上げる。


「尾上さん!?」


 赤志の呼びかけに応じず尾上が叫ぶ。背中に穴が空き鮮血が吹き出る。

 一気に魔力濃度が濃くなっていく。


「あんた……自分にも打ったのか!!?」


 様子がずっとおかしい理由を赤志は理解した。

 尾上も打っていたのだ。リベラシオンと呼ばれる偽造ワクチンを。

 もう騙す必要もないから打った。そうとしか考えられない。


「赤志!! 俺に構うな! ジニアちゃんと一緒に奴を確保しろ!! 死なすな!!」

「わかって────」


 赤志が返事をしようとした時、窓ガラスが派手に割れた。

 破片と共に突風が室内に吹く。あまりにも強い風に全員両手で顔を隠す。

 赤志と本郷は腕の隙間から尾上を捉えていた。


 その風は黒い色が付いていた。赤志はそれに見覚えがあった。

 息を吞み尾上を見つめていると、その背後に影が現れた。


 顔も見えない。ただシルエットだけが見える。

 影が尾上に纏わりつく。


「勇。帰ろう。何も変わらないんだから」


 視界が黒に染まる。音もない真っ黒な空間が広がり尾上を飲み込む。

 次の瞬間。赤志たちを襲ったのは浮遊感だった。


「────」


 再び視界が戻った3人は言葉を失った。

 ソファもテーブルもテレビも窓も壁も何もない空間に放り出されていた。灰色の空と氷のような風が彼らを出迎える。

 部屋が焼失したからだ。

 いや部屋だけではない。




 

 そのため30階にいた一同は浮遊し、落下し始めている。




 本郷とジニアがそれを理解し叫ぶよりも早く。


「【本郷!! ジニア!!!」】」

 

 赤志は2人の腕を掴んだ。

 深紅の雷が空で瞬く。直後、全員の姿が消え失せた。


 残されたのは静寂。

 そして大量の魔力だった。

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