本郷-2

 向井が瞼を開けた。呆けるような瞳を動かし、ハッとしたように目を見開いた。


「よう」


 焦点のあった目が向けられると本郷は低い声を返した。

 向井の表情に怯えが浮かび始める。精神的な強さは年相応らしい。


「誰、ですか」


 吐き気を誤魔化すように二の句を継ぐ。


「ここは、どこですか?」


 本郷は手を動かした。向井は周囲を見回す。

 路上でもなければコンクリート打ちっぱなしの倉庫でもない。立派な家具が並ぶ広い部屋だった。黒革のモダンなソファ。壁にはめられた大型テレビ。ダイニングテーブルに置かれたバカラグラス。窓から見える景色は美麗な横浜の夜景だった。


「……ホテル?」


 向井の額に汗が浮かぶ。そこで、ようやく自分が椅子に固定されていることに気付いた。両手は後ろ手にされ、胴体と共に鎖で拘束されていた。


「ひっ」

「自分の状況が理解できたか」


 小さい悲鳴を上げた向井が、救いを求めるように正面を見据える。

 本郷はそれを無視してタブレット端末を操作する。


向井正輝むかいまさき。24歳。函館出身。高校を卒業後東京の大学で薬物、生物学を学んで神奈川県の科学捜査研究所に就職」

「こんなこと、こんな、ことをしたら、警察が黙って────」

「俺がその警察だ」


 テーブルにタブレットを置く。大きな月明かりが差し込み室内と本郷の顔を照らした。


「本郷……警部補……?」

「知ってるのか。そこまで有名だったか、俺は」

「なっ……かっ……なんでっ」

「無駄話をする気はない。こちらの質問に必ず答えろ」


 本郷はソファから立ち上がりシャツの袖を捲る。丸太のような腕に血管が浮かぶ。


「黙秘や嘘は通用しないと思え」

「ま、待ってください。俺は、僕は何も知らないただの研究員で」

「じゃあなんで逃げたんだよ」


 向井の後方から声がした。首を必死に動かしているとフードを被った大きな影が姿を見せた。


「ジニアチェインに襲われていた時とは印象違うな。髪の毛黒色にしてるから?」

「何でそれを知って……」


 フードを取る。狼の顔が晒された。魔法で獣人に変化した赤志を見て向井は唇を震わせた。


「これでわかるかい?」


 魔力酔いドランクを避けるためにすぐフードを被り魔法を解除する。


「大人しく質問に答えてよ。命までは取りたくない」

「こ、答えられない。言ったら殺される」

「言わなくても殺されると思うけどねぇ。黙っていれば仲間が助けに来るの?」


 向井は自信なさげに視線を下に向けた。本郷が胸倉を掴む。


「最初の質問だ。逃げた理由を教えろ」

「あ、あの獣人を取り逃がしたことがバレたら……小御門先生に迷惑がかかる……」

「取り逃がした? お前は明確にジニアを襲おうとしてたのか」

「猫傷つけた理由は?」

「ジ、ジニアチェインが、動物好きだと聞いていたから、挑発するために」

「で。返り討ちか。勝てる算段があったのか?」

「待て。なぜジニアを襲ったんだ?」

「それは……あ、あの」


 相手が答えを渋った直後、本郷が鉄拳を振った。


「ぶあっ!!」


 向井は鼻血を吹き出した。


「黙ってもいいぞ。どうせ殺すんだからな」

「ま、待っで! 死にだくない! 死にたくないんでず!」

「だったらさっさと答えろ!!」


 向井は全てを諦めたように顔を下に向けた。


「小御門先生の、命令だったんです……「シシガミ」さんが困るからって」


 赤志と本郷は顔を見合わせた。思わぬアタリが出たと赤志がほくそ笑んだ。


「「シシガミユウキ」か。なぜ奴が困る。そもそもその名がなんで出てくる? 確保とはどういうことだ」

「それは……ジニアチェインは、必要な素材だからと……」

「必要な素材? 母親だけじゃなく、娘を何かに使おうとしてるのか?」


 向井が一度驚き、喉を鳴らした。


「どうなんだ?」


 本郷の圧に向井は覚悟を決めてしまう。泣き始め嗚咽混じりに声を出した。


「……そ……そうです」

「何に使おうとしている」

「わ、わからないです! 自分は下っ端なのでそこまで聞かされてません!!」


 嘘を言ってるような感じはしない。重要な人物以外には口外してないのだろう。


「他に質問がある。「シシガミ」はプレシオンの開発者なのか?」

「わ、か、わかりません」

「「シシガミ」と会ったことは?」

「直接お会いしたことはないです……。ただ、「プレシオンの失敗作であるワクチン」を提供して欲しいとかで……運び人はライオンの獣人とか、僕と年が近い大学生っぽい人とかでした」


 獣人はジャギィフェザー。大学生は、浅田栄治だろう。


「失敗作のワクチン?」

「……今、若い子たちに広まっているクスリ、の原料、になってます」


 トリプルMだ。赤志は腕を組む。


「トリプルMはプレシオンの失敗作ってこと?」

「推測だがレイラ・ホワイトシールに頼らず、プレシオンと同じ効果のワクチンを開発していたんじゃないか?」


 本郷の推察に向井が頷く。


「なるほど。一定値まで魔力を増幅させ、一定値まで留めておくということができたが、減少させることができなかった。そうだな?」


 再び頷きが返される。


 魔力をわざと増幅させ、パンクさせて返還させることがどうしても不可能だったのだ。

 単純に考えればトリプルMとプレシオンの効果は確かに似ていた。尾上から貰ったデータにトリプルMについて書いてあったのは、そういうことか。


「「シシガミ」はトリプルMで金儲けしたいのかな?」

「違う、と思います。トリプルMを売って手に入れた金は、全額関係者に渡ってました」

「関係者ぁ?」


 赤志が呆れた笑い声を出す。


「警察連中とか?」

「ワクチン開発に携わってた人、とか……」

「小御門もか」


 本郷の問いに頷く。


「まさか……警察関係者の中に裏切者が複数いるとしたら……」

「朝日さんの、妹の死を偽造できる?」

「いや、そこまでは飛躍しすぎかもしれん」


 どれだけの裏切者がいるのか不明な時点で、この考察は後回しだ。それよりも一番重要なのは。


「黄瀬悠馬も絡んでいるのか」


 向井が目を見開き、奥歯を揺らした。それが答えだった。

 その瞬間赤志が本郷と入れ替わるように前に出る。


「待てっ! 尾上さんは? ノット・シークレット所長の尾上正孝は絡んでんのか!?」

「そ、それはない、と、思います。尾上所長は真面目な人で、「帰ってくる家族のために働いている」と言ってました。小御門先生とか他の人は、そんな誠実な尾上さんを「カタブツ」だと言って。巻き込んだら裏商売がリークされるんじゃないかと、彼を除け者に……」


 赤志は安堵の溜息を吐いた。

 尾上は少なくとも裏金にも不法な薬物取引も行っていないらしい。


「よかったな赤志」

「ああ、マジで心臓止まるかと思った」


 本郷はスマートフォンを取り出し、隣の部屋で待機している楠美に連絡を入れる。


「聞いたな。小御門と黄瀬悠馬を引っ張るぞ。穏便にな」


 黄瀬の方は旅行中であるためすぐには無理だが、小御門は即座に確保できるだろう。

 再び向井に視線を向ける。向井は「終わりだ」と呟き肩を揺らしていた。


「続きだ。ジニアチェインの母親は「シシガミ」と関係しているのか」

「……そうですよ。彼女もプレシオンの開発に協力してくれたんす」


 やけくそになったのか口調がぶっきらぼうになっていた。


「彼女はどうしてる」

「知らない。開発途中で死んだんじゃないっすか? ある時レイラさんの力がないと無理だと判断したから」

「……本郷朝日に関しては何か知っているのか」


 向井は口角を上げた。


「完成したプレシオンは監禁した本郷朝日さんに投与してたよ。黄瀬悠馬社長の指示で。ついでに失敗作もね。併用したらどうなるのかの実験も兼ねてた」


 黄瀬が黒幕であることが露呈した。そして朝日の死因も。


「死んだ、のか?」

「……死体は、見たでしょ? それだけは嘘じゃないよ」


 本郷が前蹴りを放った。椅子ごと横向きに倒れた向井の腹を蹴り上げる。


「本郷! 待て!!!」

「どけ、赤志」

「わかる、気持ちはわかるが、コイツ殺すのは全部終わってからにしようぜ!!」


 赤志は本郷を羽交い締めにした。じりじりと後ろに下げ距離を置く。荒い呼吸音が響く中、向井は笑っていた。


 その時、玄関の扉が開いた。大きな足音と共に入ってきたのはジニアだった。

 その顔は怒りに染まっていた。


「ちょ、ジニア。待って」


 ジニアは真っ直ぐ向井に近づくと爪を縦に振り下ろした。相手の顔が引き裂かれ鮮血が巻かれる。


「ぎゃああああああ!!」

「殺してやる!!」

「ああもう!! どいつもこいつも!!」


 本郷を突き飛ばし今度はジニアの襟首を掴んだ。


「離してっ!! 離せっ!!!」

「まだ聞くことがあんだコイツには! 八つ裂きにすんなっ!!」


 向井の悲鳴が笑声に変わる。


「あはははは。終わりだよ。俺もお前らも! みんな、みんな殺されるんだ!」


 眼球までザックリと引き裂かれているが壊れてしまった彼は笑い続けた。

 本郷もジニアも怒りが収まらないらしい。赤志は溜息を吐いて向井に近づく。


「そうか。殺される、ってのは小御門や黄瀬にじゃないな。いるんだな、黒幕が」


 声色が違う赤志に気付き、笑い声が止んだ。


「車にかかっていた防御魔法。俺の魔法に対抗できるような奴はこの世界にいない」


 赤志は膝を曲げ口を開く。




が、来てるんだな」




 瞬間、向井は恐怖心が戻ったのか痛みが戻ったのか、この世の終わりを嘆くように絶叫した。




ΠΠΠΠΠ─────────ΠΠΠΠΠ




 12月16日。既に夕陽も落ちた時刻だった。飯島は建物を見上げる。


「考えたな。襲撃されてぶっ壊れたタワーマンションの部屋を使うなんて」

「立ち入り禁止区域だかね。誰も近づかないよ」


 赤志は得意げに鼻を鳴らした。


「赤志」


 本郷が呼んだ。足下には両膝を抱えて蹲っている向井がいた。顔には雑な手当てが施されている。拘束もされてないが逃げる気力はなくなっているらしい。


「ドラクルがいるのは確かなのか?」


 異世界に疎い本郷でもその単語は知っていた。


「……本当かどうか確かめたい。だから飯島さん、狩人に連絡しといて。あとは向井の発言が本当かどうか裏を取る」


 その時、スマホを耳に当てていた楠美が赤志に手を振った。


「進藤とジャギィフェザーが目を覚ましたわ」

「タイミングばっちりじゃん。連中から話を聞こうか」


 飯島が本郷の肩を叩く。


「よし。腕の見せ所だぜ、本郷」

「ええ。もうすぐ、「シシガミユウキ」の正体が判明する気がします」


 全員の感情が高ぶる中、遠くから救急車のサイレンが聞こえて来た。

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