藍島-2
六浦駅の改札が見えてきた。傘を差して歩く人々が藍島に視線を向ける。
「あの、すいません!」
「はい。どうか、されましたか?」
改札口にいた駅員は靴も履いてない薄着の藍島を見て怪訝そうな顔をした。
「あの警察に通報を」
背後から悲鳴が聞こえた。振り返ると獅子がいた。爪から血が滴り落ちている。
「ちょっと! 止まってください! そこの
駅員が離れた。その隙に、藍島は改札口を飛び越える。
ちょうど電車が来ていたため転がり込むように乗車した。時刻もあってか、乗車客は多かった。
「────!!?」
扉が閉まると隣の車両から男性の声が聞こえた。困惑した声だ。
あの獅々が来たんだ。藍島は前方車両に移動する。現在いるのは6両目。相手は7両目にいる。
腕の痛みのせいで思考にノイズが走る。パーカーが赤に染まり血が垂れているのを視界の隅で捉えた。
他の乗客の視線から逃げるように次の車両に移動する。
電車が停車する。このままでは追い詰められる。次の駅、金沢文庫駅で乗り換えるか。
「ちょっと────!!」
「────獣人が────」
乗客のざわつきが聞こえる。血が止まらない。藍島は血の臭いをまき散らしていることに気付く。
これでは電車を降りても意味がない。何か使える物は無いかとポケットを探る。スマホが突然手の平に召喚されないかと願っていると、指先が何かに触れた。
取り出して確認する。
篠田が置いていった香水だった。ポケットに入れっぱなしにしていたのか、たまたま入ったのか。この際どっちでもよかった。
「サンキュー、澪」
蓋を取り液体を零しながら移動する。むせかえるようなシトラスの香りが車内に充満した。乗客が徐々に騒ぎ始める。
ジャギィフェザーがその車内に踏み入れると顔をしかめた。獣の鼻に香水は毒でしかない。
電車が停車し車内にいたほとんどの乗客が怒りを露にし、降りるか次の車両に移動し始めた。
他の車両からも多くの乗客が降りている。
この人混みに紛れて逃げられたら追いつけないと判断したジャギィフェザーが電車を降りた。駆け出し、乗客を確認し始める。
藍島はその様子を車内の窓から確認していた。その間に扉が閉まった。
胸を撫で降ろす。車内の香水臭さから心理的に逃げ出すとも思ったが大成功だった。
人がほとんどいなくなった車両の三人掛け座席に腰を下ろす。
必死に腕を押さえる。寒さと痛さで気を失いそうだった。
「キャアアアアアアアアアアアアア!!!」
背後から甲高い悲鳴が聞こえた。
「うそ」
振り向くと、ジャギィフェザーがいた。
「な、なんで……!」
まさか走って追いかけて来たとでもいうのか。藍島は駆け出した。背後から悲鳴が重なる。駅員と周囲にいた獣人が動き止めようとしていた。
誰かが通報すると考え混乱に乗じて改札口を飛び越えると、駅構内の服屋に飛び込む。適当に服と靴、帽子を選び試着室へ向かう。
「ご試着で────」
話しかけてきた店員が言葉を失った。無視して中に入り、カーテンを閉める。
やっとのことで傷口を確認する。肉が抉れていた。血は止まってない。適当に持って来たシャツを破き、腕に巻く。
鏡に映る自分を確認する。もはやホームレスのような見た目だった。
鼻を擦る。ジンジンと痛んだ。今更だが顔面を蹴られたことを思い出す。鼻血は止まっていたが血の塊が手の平にべったりとつく。
「ダセェ。鼻血出しながら逃げてたのかよ」
血を
「ラッキー」
店員が置き忘れたのだろうか。手に取り服のタグを取ろうとした。
その手を止める。
「……いや、どう考えても、おかしいだろ」
いつも着ていないスウェットのポケットに、たまたま香水が入っていた。
適当に入った店の、適当に選んだ試着室の中にハサミが置いてある。
藍島は背筋に寒気を感じた。
「けど、金ないし、万引きするしかないよな」
誰に言うでもなく呟きながら、タグを取ってデニムパンツを履く。
「ん?」
バックポケットに違和感を覚える。中に何かが入っていた。
恐る恐る取り出すと、それは紙だった。
「なん、で」
1万円札が5枚あった。
たまたま手に取ったデニムパンツのポケットに5万円が入っていた。
悲鳴を上げ金を落とす。
荒い呼吸を繰り返しながら必死に落ち着きを取り戻そうとする。
しばらくして服を着た状態で試着室を出ると、店員が呆然とした様子で見ていた。
「あ、あの、サイズとかは」
「ごめん、これ着て出てくね」
店員に血に染まったタグと5万円を手渡した。
「へ?」
「ごめん! 急いでるんだ! お釣りいらないから!!」
「あ、あの! ちょっと!」
店を飛び出し帽子を深く被ると周囲を確認する。
「獣人は!」
「暴れたりはしてないのですが、いかんせん、大きいですからね」
駅員が目の前を通った。まだこの近くにいるらしい。
腕の傷を押さえながら京急本線へ。駅構内はざわついているが電車は動いている。品川行の電車に乗り息をつく。
これであとは横浜駅に逃げるだけ。駅に着いたら警察に通報する。周囲の人間に頼むことも考えたが逆に捕まってしまうかもしれない。いや、それはそれでいいのか。
いいのか? いやダメかもしれない。
思考に靄がかかっているようだ。視界もぼやけ始めた。目を擦って深く息を吸う。
『まもなく、横浜────』
ボーっとしていたらいつの間にか目的地だった。ふらつく足取りでドアの前に向かい、開くのを待つ。
「次はそっちが鬼になるかい?」
背後から、両肩に手を置かれた。
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