本郷-10

 体が動かない。指一本も。眼球すら。

 呼吸ができていること、聴力と視力はあることはわかる。


 本郷は困惑しながらも状況を把握しようとした。

 機動隊は動いてない。一部、維持するには大変な体勢で固まっている。

 さきほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。風の音すらしない。


 まるで動画を一時停止しているような異様な光景が広がっていた。


 そんな静止した世界を練り歩く人間がいた。立てこもり犯だ。玄関から悠々と出て来た男、怪しげな笑みを浮かべている。

 ナイフを握りしめながら機動隊の合間を縫うように動く。


 魔法知識に疎い本郷でも理解できた。この状況は犯人が作り出したのだ。これが犯人の魔法なのだ。


 。または

 とにかく、時間が止まる魔法を発動している。


「馬鹿にしやがって……馬鹿にしやがって……」


 立てこもり犯がナイフを逆手に持つ。表情は怒りに染まっていた。

 視線は赤志を捉えている。


 本郷は全身に力を入れようと脳から命令を出す。だが動かない。早く動かなければ赤志が殺される。

 犯人が赤志の目の前でナイフを掲げるのが見えた。


 ────やめろっ!!


 唇が動かない。それでも本郷は必死に叫ぼうとした。

 その時だった。


「ん?」


 男が疑問符を浮かべた。その白刃を振り下ろせば赤志が仕留められるのに。


「ま、待て」


 犯人の表情が徐々に強張る。


「なんでお前っ」

「もったいねぇな」


 赤志の目がギロリと動いた。


「ひっ!!?」


 男は表情を恐怖の色に染め尻餅をつく。

 赤志は息を吐いて首を鳴らすと男を見下した。


「な、なんで動ける!!?」

「勉強不足だな。時間とかの天理てんりに干渉できる魔法は最強クラスなのに」

「じ、時間は止まってるのに」

「止まってるよ。ただ、俺が同じ魔法使って相殺してるだけ。上書きもできるけど、それじゃ面白くない」


 赤志は笑みを浮かべた。男が立ち上がり切先を向ける。


「う、動っ」


 赤志の蹴り上げがナイフを払った。刃物が天高く舞い、どこかへ飛んでいった。


「次は何をしてくれる? お前の魔力ならあと15秒くらいもつぞ」

「……あ」

「まさかこれで終わりか?」

「あ……あぅ……」

「ああ。そう。なんだぁ」

「ご、ごめんなさ」


 赤志の鉄拳が顎下を抉った。顎が外れ、表情を歪めながら、男は仰向けに倒れた。


「つまらねぇわ。お前」


 赤志は男の顔を踏みつけた。カエルが潰れたような音が鳴り響くと世界が動き始めた。

 徐々に音が戻り体の硬直が解けていく。耳に喧騒が戻ってくる。


「……!!? 被疑者は!! 犯人はどこ行った!!」


 機動隊が動揺している。野次馬も同じくだった。


「キャァアア!!」


 誰かが悲鳴を上げた。そこでようやく全員が、犯人を踏みつけている赤志の姿を捉えた。

 本郷は誰よりも早く駆け寄り手錠を取り出す。赤志をどけ、倒れている相手をうつ伏せにし、手首に掛けた。


「殺してないな!?」

「俺を何だと思ってんの。気絶してるだけだよ」


 本郷は機動隊を呼ぶ。


「犯人確保!」


 周囲から声が上がった。


『た、たった今犯人を確保した模様です! い、いったい、何が起こったのか理解できておりません! 犯人が姿を見せた次の瞬間、赤志勇に踏まれて撃退されておりました!』


 カメラのレンズが倒れている犯人と集まる隊員。

 そして、口許に笑みを浮かべる赤志に向けられた。




ααααα─────────ααααα




 民家にいた獣人の少年は保護された。

 犯人には全身麻酔とプレシオンが打たれたため、しばらく魔法は使えないだろう。

 しかし魔法が使われたのは確かであるため、全員その場から退避しようとした。


「逃げる必要ないよ」


 ただ赤志だけは冷静だった。


「完成度が低すぎて白空魔力エーギフトが変色してない。魔力酔いドランクにはならない」


 赤志の言う通りだった。5分ほど留まっても気分が悪くなった者はいなかった。

 現場一帯にブルーシートが張られる。本郷たちはその中に移動した。


「やぁやぁ、流石ですよ。お手柄です。お見事だ」


 その空間に入ってくる刑事がいた。飯島だ。わざとらしく手を叩いている姿は強敵感を出す悪の幹部のようだ。


「感心する他ないです。まさか時間停止なんていう、ラスボスレベルの魔法に勝利してしまうだなんて。無傷で死傷者も出さずに」

「チョロいもんだね」


 したり顔の赤志に、飯島が唸る。


「ただ挑発はやめてほしかったですね。激昂した相手が人質を傷つけたかもしれない」

「結果論ですが、そうはならなかったと思います」


 本郷が口を挟む。


「犯人の標的は赤志さんかレイラさんだけです。証拠に、強力な魔法を持ちながらも死傷者が出てません。獣人や一般人を傷つける度胸はなかったと思います」

「まぁ挑発された時、人質手放してたもんな」


 飯島がクツクツと笑う。


「なるほど。赤志さんはそういう考えで、あえて挑発したと」

「ん? ……ああ、うん! そんな感じ。フォローサンキュー」


 親指を立てた赤志に苦笑いを返す。


「質問が。止まった時間の中で動いて捕まえたらしいですが、簡単に使える魔法なんですか?」

「んな甘くねぇって」

「もうひとつ。完成度が低いと話してましたが?」


 赤志はもみあげを弄る。


「犯人は紅血魔力ビーギフトだけ使って魔法を使ってた。んな雑な魔法の効果なんかたかが知れてる。まぁ発動してるだけ」


 言葉の途中で、口を噤んだ。


「赤志さん? どうしました?」

「……おかしい。普通の人間が? あの量は魔力暴走が起きてもおかしくは……」


 その時だった。現場近くから怒号のようなものが上がった。


「あ? なんだ?」


 全員がブルーシートの隙間から声のする方を見た。


『魔法使いを乱雑に扱うなー!!』

『毒ワクチンを摂取しなかった英雄を返せー!!』

『獣人を特別扱いするなー!!』

『赤志勇のパフォーマンスを許すなぁー!!』


「な、んだ、ありゃあ……」


 赤志は群衆を見て、あんぐりと口を開けた。

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