そして告白へ

 朝、いつものように目が覚めた。俺は布団から出て身支度を調える。


 窓の外を見ると雲一つない青空が広がっていた。梅雨入りするまではこうあってほしい。


 今日は一つ決心していることがある。昨日のから決めていたことだ。寝起きなのにかなり心拍数が上がっている。


「何としてもやり遂げるぞ」


 決意も新たに俺は自室を出た。


 階段を下りて台所に入るとまだ誰もいない。大体は俺が一番乗りだからわかっていたことだ。深呼吸をして朝食の準備に取りかかる。


 しばらくすると階段を下りる足音が聞こえてきた。一人だけだとわかる。いよいよかと気合いを入れ直した。


 台所に入ってきた人物が挨拶をしてくる。


「おはようにゃ!」


紅夜くや?」


 当てが外れた俺は振り向きざまに意外そうな声を上げた。黒い猫耳に白いワンピースの化け猫が俺の腰にまとわりついてくる。


「今朝は早いな」


「なんか目が覚めたにゃ。なんでかにゃ?」


 不思議そうに首をかしげた紅夜が問いかけてきた。


 けれど、そんなの俺にわかるわけがない。肩透かしを食らって若干肩を落とした。


 その間に白芳しらよしもやって来る。こちらはいつも通りの態度だ。


善賢よしかた、おはよう」


「おはよう。紅夜よりも遅いなんて珍しいな」


「起きたのはほとんど同じよ」


 これを合図に白芳が朝食の準備に参加してきた。雑談をしながら作業を進めていく。


 以後はいつも通りの日常だ。朝食を食べ、後片付けをし、そして俺は大学へ行く。三人で生活を始めてからは大体三人でいることが多い。


 家を出て道を歩きながら俺はつぶやく。


「まぁ朝は慌ただしいからな。仕方ない。帰ってから機会を窺おう」


 まだ一日は始まったばかりだと自分に言い聞かせた俺は大学へ足を向けた。今日は丸一日講義があるけど何としても大過なく過ごさねばならない。


 そうして夕方、俺は家に急いだ。四限連続の授業で多少疲れているが今日ばかりはそうも言っていられない。


 疲れた体を鞭打って帰宅する。


「ただいまー」


「おかえりにゃ!」


 玄関に入ると紅夜が笑顔で出迎えてくれた。今日も変わらず元気いっぱいだ。


 自室に鞄を置いて洗面所で手を洗ってから台所へと入ると白芳が夕食の準備をしている。今晩はぶりの照り焼きにきんぴらごぼうだ。


 エプロンを掛けながら俺は白芳に声をかける。


「ただいま。手伝うよ」


「おかえり。私きんぴら作ってるから、善賢はお味噌汁作ってくれない?」


「人参と玉葱はあるな。あれ、おあげは?」


「冷蔵のところになかったら、たぶん冷凍のところにあると思う」


 白芳の言葉に従って冷凍庫を開けた。ひんやりとした冷気が手を撫でる。


 中には凍った豚肉の薄切りの塊がラップで包まれた状態で何枚かあった。その下を探ると賞味期限が少し古めのおあげが二枚か見つかる。


「これで殴ったら怪我しそうだな」


「バカ言ってないで早く解凍しなさいよ」


「わかってるって」


 流し台で霜を落としながら袋から取りだしたおあげを俺は皿に置いた。それをそのまま電子レンジの解凍をセットする。こうして俺も夕食の準備に参加した。


 以後はいつも通りの日常だ。夕食を食べ、後片付けをし、そして俺達は居間で団欒を楽しむ。三人で生活を始めてからはこのパターンが定番だ。


 何事もなく一日が過ぎるのは良いことだけど今日ばかりは少し困る。それにしても、今の俺達の生活では白芳と二人きりになる状況が実に少ない。


「うーむ、これは盲点だった」


「何つぶやいているのよ?」


「え? あいや、今日の講義でのことだよ」


「ふーん。ま、いいわ。私はお風呂入ってくるわね」


 独り言に反応されて内心驚いた俺は居間を出ていく白芳の後ろ姿を見送った。


 なかなか二人きりになれないと俺は肩を落とす。何気なくじゃれつこうとする紅夜を見る。そのときに閃いた。これだ!


「紅夜。今から風呂に入って白芳よりも後に出てくれないか?」


「どうしてにゃ?」


「えっとだな、それは、白芳と大切な話しがあるからなんだ」


「何を話すにゃ? あ、もしかして好きっていうにゃ!?」


 俺が顔を赤くして目を背けたことで紅夜が勘付いた。にししと笑うと俺から飛び退く。


「わかったにゃ! にゃーは限界までお風呂に入ってるにゃ!」


「のぼせない程度にな」


「任せるにゃ! しらちゃんをお風呂から追い出すにゃ!」


「余計なことはしなくてもいいぞ!」


 不安になる発言を残して紅夜が居間を飛び出した。こうなるともう祈るしかない。


 一人残った俺は畳の上に寝転がった。具体的な言葉を何も考えていないことに気付て愕然とする。肝心なことが抜けてしまっていた。


 頭を抱えながら畳の上をあちこちに転げ回った。次第に焦りながらも煮詰まってしまう。そのとき、風呂から誰かが上がる音が俺の耳に入った。顔を引きつらせながら起き上がる。


「ヤバい。頭が真っ白だ。どうしよう」


「ご主人さま、上がったにゃ~!」


 廊下を走ってやって来たのはさっぱりした姿の紅夜だった。上機嫌で俺に抱きついてくる。お肌がしっとりとしていた。


 事前の手順との違いに戸惑う俺が声をかける。


「もしもし紅夜さん? 先に白芳に風呂を上がってもらうっていう話しはどうしました?」


「にゃにゃ?」


 問い詰めると途中で忘れてしまったらしかった。うん、驚いたけど納得の理由だな。


 謝る紅夜をなだめていると白芳が上がってきた。湯上がりで体がほんのりと赤く染まっている。


「空いたわよ」


「わかった」


 それ以上何も言うことがない俺は紅夜を離して立ち上がった。


 肉体的な疲れは落とせたけれど精神的な疲れは落とせないまま俺は風呂を上がる。


 今日も一日が終わろうとしていた。機会はもうここしかない。これを逃せばまた明日だ。先延ばしにすると気が逸れてしまってまた言いそびれてしまう。だからもう今夜しかない。


 紅夜と少し遊んだ後、いよいよ寝る準備を始めた。


 最初に用意ができたのは紅夜だ。俺に手を振ってくる。


「おやすみにゃ~!」


 声を上げると階段を上がっていった。


 その後ろ姿を見送った俺ははたと気付く。今の俺は白芳と二人で一階にいると。


 台所の電気を消した白芳が声をかけてくる。


「居間の電気消しておいてね」


「あ、ああ」


 何も知らない白芳は廊下を歩いて階段へと向かった。タイミングはもうここしかないと焦った俺は急いで居間の電気を消すと階段へ急ぐ。


 心拍数が上がった。顔が赤くなるのを押さえられない。目の前には階段を上がっている白芳の白い二つの尻尾がある。上りきったら勝負だ!


 そのときはすぐに訪れる。二人とも二階に上がると自分の部屋の前に立った。白芳はこちらに振り向いてくる。


「おやすみ、善賢」


「あ、ちょっと待ってくれないか。話しがあるんだ」


「なに?」


 緊張している俺の姿から何かを感じ取ったらしい白芳が俺に体を向けた。二階の廊下電気は夜ということもあって少し暗いがそれでも俺の顔の赤さは隠せない。


 わずかに怪訝そうな表情を向けてくる白芳の顔を見て俺は一層緊張した。けど、もうここまで来たら引き返せない。


「あのさ、俺、前からお前のことが好きだったんだ」


「え?」


「本当に自分が白芳のことを好きなのかって考えていたせいでちょっと遅くなったけど、今日はっきりと言っておこうかなって思って」


「ねぇ、もう一回言って」


「え?」


「よく聞こえなかったの。だからもう一度」


 目を見開いた白芳が俺にゆっくりと近づいてきた。大して離れていなかったのですぐに目の前まで寄ってくる。そして、俺の胸にその額を当てた。


 密着して抱き留める形になった白芳の香りに当てられた俺はその耳に囁く。


「白芳、好きだ」


「みゃぁ」


 今までに聞いたこともないような甘い声が白芳の口から漏れた。


 想像すらできなかったその声色に俺は痺れる。思わず抱きしめた。ああどうしよう、今すぐ部屋にお持ち帰りして一緒に寝たい!


 思わず本能のまま俺は行動しようとする。けれど、ふと廊下の奥に目を向けると隣の部屋の扉が開いているのに気付いた。顔だけこちらに向けている紅夜としっかり目が合う。


「あ、え? 紅夜?」


「みゃ!?」


 俺達は一気に目が覚めた。白芳は素早く俺から離れて振り向く。


「紅夜、あんた見てたの!?」


「ふぁ、見てたにゃ。おめでとうにゃ。これで白ちゃんも安心で、にゃーも心置きなくご主人さまに甘えられるにゃ」


「なんですって!?」


 聞き逃せないことを聞いた白芳は部屋に頭を引っ込めた紅夜を追いかけて扉を閉めた。中から何やら声が聞こえるが何を言っているかまではわからない。


 一人廊下に取り残された俺は呆然と立っていた。一世一代の告白の余韻は跡形もない。


 でも、告白はできた。これからどんな関係に落ち着くのかはまだわからないけどもう悪くならないことは確信できる。


 すっかり力の抜けた俺はあくびをすると自分の部屋に入った。

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