猫じゃらしの効果

 白芳しらよしを意識して過ごすようになって以来、俺は自宅で常に緊張を強いられるようになった。どうにも収まりが悪くて困る。


 このままではまずいと思って紅夜くやも含めて三人で遊べるものを探した。紅夜を通して白芳との距離感を取り戻そうという考えだ。


 まずは自宅内を探してみたが見当たらない。簡単に見つかると思ったんだけどな。次いで何とはなしに庭先へ目を向けると庭の隅に猫じゃらしを見つけた。


 それを一本取って居間にいる二人に声をかけてみる。


「白芳、紅夜、ちょっといいか?」


「なに?」


「にゃ?」


「これで遊んでみないか?」


「猫じゃらしじゃない。昔あんたがよく私に振ってたわよね」


「猫じゃらし?」


 首をかしげた紅夜の目の前に手折った一房の猫じゃらしを突き出した。そして、ゆっくりと先端の房を動かしてやる。


 最初は不思議そうに眺めていた紅夜だったけど、すぐに房に合わせて紅い瞳を動かし始めた。その表情は次第に真剣になっていく。


「にゃ~、にゃ!」


 鋭い声を上げたと同時に紅夜が右手で猫じゃらしをはたいた。すると、房が大きく揺れて元に戻り、それを見て黒い尻尾をくねくねさせる。


 とりあえず紅夜が食いついたことに俺は喜んだ。


 もはや猫じゃらしから目が離せない紅夜は再び右手を突き出す。そのとき、俺は猫じゃらしの位置を横にずらした。空振りした紅夜は大きく目を見開く。


「ん~、にゃ!」


「お、今度は当てたな」


「にゃにゃ!」


「昔の白芳みたいだな!」


「ちょっと昔のことは言わないでよ! 今はそんなことないんだから!」


「元は猫なんだから習性は残ってるように思うんだが」


「私だって大きくなったんだし、さすがにそんなのには乗らないわよ」


「そうなのか?」


 気になった俺は猫じゃらしを白芳の目の前に持っていった。白い二つの尻尾を左右に振る。


 てっきり怒ると思ったけれど、意外にも黙って紫色の瞳を猫じゃらしに寄せている。やはり猫の習性は残っているのだろうか。


「私が、こんな、子供だましに、釣られるわけ」


「別に童心に返って遊ぶのも悪くないと思うんだけどな」


「!?」


 目を見開いた白芳が一瞬俺の方に目を向けたがすぐに猫じゃらしへと戻した。白い二つの尻尾は下にたれながら左右に揺れる。


「みゃ!」


 紅夜よりも鋭い一撃が白芳の右腕から放たれた。ボクシングのジャブのような動きで猫じゃらしの房を揺さぶる。白い二つの尻尾をくねくねとさせ始めた。


 表情も真剣になってきたところで俺は声をかける。


「野生の本能みたいなものだから、やっぱり簡単にはなくならないんだろう」


「そ、そうね。どうしても獲物を狙う本能が刺激されて、こう、気になっちゃうのよ」


「わかる。理性ではどうにもならないことってあるもんな」


「だからこれは仕方のないことなのよ。みゃ!」


 しゃべりながらも白芳は猫じゃらしの房に右手を当てた。もう遊ぶのに抵抗感はないようだ。俺は満足感を覚えた。次はどうしよう。


 漫然と猫じゃらしを揺らしていると横合いから上機嫌な紅夜が飛びかかってくる。


「にゃー!」


「うぉっ、紅夜!?」


「にゃーもやりたいにゃ! なんか落ち着かないにゃ!」


「そうよ、これ気になって仕方ないのよ!」


「もっとにゃ、もっとするにゃ!」


 すっかり興奮してしまったらしい二人が一つの猫じゃらしに向かって右手を繰り返し突き出した。その度に房があちこちへと揺れる。


 まさか二人ともこんなに熱中するなんて予想外だ。俺は二人の様子を面白そうに眺める。猫じゃらしは既に俺が揺らさなくても二人の猫パンチで大きく揺れていた。


 ところが、興奮が興奮を呼ぶのか、二人の猫じゃらしに対する執着は激しくなるばかりだ。目を大きく見開き、繰り出す手は両手になり、ついには爪まで伸びてくる。


「お、おい、二人とも、もうそろそろ」


「みゃーみゃーみゃー!」


「にゃーにゃーにゃー!」


 今や声をかけても反応せずにどちらも尻尾を水平に激しく振っていた。左右の猫パンチの振り方が雑になってきている。もはや俺は眼中にはないらしい。


 身の危険を感じた俺は猫じゃらしを白芳と紅夜から遠ざけようとした。ところが、二人とも一瞬で距離を詰めてくる。しかも余計に興奮させてしまった。


 生半可なことでは止まらないことを知った俺は思いきったことをする。猫じゃらしを一瞬で隠した。更に安全のために二人から離れようとする。


「みゃ!」


「にゃ!」


 猫じゃらしさえ見えなければ冷静になってくれると考えた俺は浅はかだった。猫じゃらしによって興奮していた白芳と紅夜は俺に飛びかかってきたのだ。


 猫の瞬発力に人間がかなうはずもなく、俺は襲ってきた二人にのしかかられた。畳の上に倒れた俺の顔と体に爪を立ててくる。


「痛い痛い!」


「みゃ!?」


「にゃ!?」


 俺の上げた悲鳴で動きを止めた白芳と紅夜は上に乗ったまま互いに見つめ合った。最初は興奮して目を見開いていた二人も表情が硬くなっていく。


 これ以上爪を引っかけられることがなくなって俺は安心した。ところが、今度は別の問題が発生していることに気付いてしまう。


 今の俺は畳の上に転がって美少女とやや幼い美少女の二人と密着している状態だ。接している部分は実に柔らかく温かい上に二人の甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。


 ぶっちゃけ今度は俺の方が興奮してきたのだ。主に下半身が。これはまずい、非常にまずい!


 ところが、俺は二人をすぐには引き離せなかった。言い訳せずに告白するとこの感触を楽しんでいたんです。ある意味ご近所様の懸念は正しかったともいえる。


 そうはいってもまさかそんな俺の心情をさらけ出すわけにもいかない。どうにか自分の欲望きもちと折り合いをつける必要がある。


「あー二人とも、とりあえず」


「ご主人さま、ケガしてるにゃ!」


「いやまぁ二人に引っかかれたからね。それよりもどいてく」


「ごめんなさいにゃ! にゃーはご主人さまを引っかくつもりなんてなかったにゃ!」


「それはわかってる。だから」


「ごめんなさいにゃ!」


 黒い尻尾をだらりと下げた紅夜が悲しそうな表情のまま俺の顔まで這い上がってきた。そして、躊躇うことなく引っかき傷を舐め始める。


 突然のことに俺は硬直した。柔らかく湿り気のある舌が頬をちろちろと這う度に顔が赤くなっていくことを自覚する。


 この様子を見ていた白芳は先程とは別の意味で固まっていた。半開きになっている口がわなないている。


「な、な、なにを」


「ごめんなさいにゃ。お詫びににゃーがケガを治すにゃ」


 紅夜のつぶやきを聞いた白芳はそれ以上言葉が出なかった。そして、俺と目が合う。


 別に期待していたわけじゃない。いや嘘です。猫ちゃん二人に舐められる想像はしてしまいました。でもそれは健全な意味でです。


 お互い真っ赤な顔を向けて俺と白芳は見つめ合った。気まずい。否定してるけど同時に期待してるのを隠しきれている自信がない。というか、下半身がそろそろ本気でまずい。


「な、なぁ白芳」


「で、で、で」


「で?」


「できるかぁ!」


 俺を突き飛ばすかのようにして白芳が立ち上がった。掌底をくらった俺がむせるのも構わずにし立ててくる。


「確かに引っかいたのは悪かったって思ってるわよ! けどだからって傷を舐める必要なんてないでしょ!」


「いや別に俺は頼んで」


「じゃあなんで紅夜にそんなことをさせてるのよ!」


「にゃーは悪いと思ったから自分でしてるにゃ。これはお詫びにゃ」


「お詫びって、別にそこまでしなくても!」


「それじゃ、しらちゃんはどうやってお詫びをするにゃ?」


「え? そ、それは」


「それに、白ちゃんはまだ謝ってないにゃ。悪いことをしたら謝るにゃ」


「ご、ごめんなさい」


 いつもとすっかり立場が変わった白芳は顔を赤くしたまま声を絞り出した。体の震えはまだ止まっていない。


 このままではまた二人が喧嘩してしまいそうに思えた俺はともかく紅夜を引き離すことにした。白芳の言う通り、別に舐めてもらわなくても傷は治せる。


「紅夜、もういいよ。ありがとう」


「もっと舐めたいにゃ」


「傷を治すのが目的なんだから、もういいだろ」


 名残惜しそうにしょんぼりとする紅夜の両肩に手をかけてその体を離した。


 その様子を見ていた白芳の鼻息が収まる。


「もう、猫じゃらしは禁止!」


「二人があそこまで興奮しなきゃいいんじゃないのか?」


「無理にゃ。けど、禁止は厳しいにゃ」


「紅夜、また善賢よしかたを引っかいちゃうわよ?」


「うっ、それはダメにゃ」


「確かに俺も痛いのは嫌だから、しばらくはやめておくか」


 まさかこんなにも二人が興奮するとは思わなかった俺は一旦間を置くことにした。


 白芳との距離感を取り戻そうという目論見はうまくいかなかった。さすがに興奮しているときの状態は普通じゃないもんな。他の方法を考えてみることにしよう。

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