大学の正門前にて

 自宅で白芳しらよしとの関係が微妙でも大学の講義は毎日出席しないといけない。なので、俺は平日の昼をほとんど大学で過ごしている。


 今朝も一限目から講義を受けていた。座席は窓側の半ばくらい。後ろの方の席はいくつかのグループが軒並み陣取っている。


 同学年の友達はいない。一番の原因は大学内で人に声をかけなかったからだな。もっとも、自宅と大学を往復するだけという生活も問題があると思う。


 そんな状態だから山木やまぎ先輩と知り合えたのは救いだ。後はそこからどうやって知り合いを増やしていくかだろう。ただし、廃部寸前の同好会はマイナス要因だけど。


 数学の講義を受けながら俺はぽつりとつぶやく。


「別のサークルの方が良かったのかな」


 四月に白芳絡みの騒ぎがあったことを俺は思い出した。


 あのときは入学直後の新入生は浮かれ、先輩方は部員獲得に躍起だった。結局、自分もその勢いに飲まれてサークルを選んだ面がある。


 そんなことを考えているとチャイムが鳴った。昼休みに入ったことで周囲は一気に騒がしくなる。


 席に座ったまま背伸びをした俺は教材を黒い肩掛け鞄にしまうと立ち上がった。午後からも講義があるからどこかに食べに行かないといけない。


「校内の学食か、校外の飲食店か、今日はどちらにしよっかな」


 馴染みの店もお気に入りの店もまだないから迷った。いっそコンビニでパンでも買うか。


 校舎内の廊下を歩いているとスマートフォンが鳴った。鞄から取り出して画面を見ると白芳からだ。


 これといった用件が浮かばないまま俺は受信する。


「白芳?」


『ご主人さま、おにぎり持っていきますにゃー!』


 突然紅夜の声が耳に入って俺は驚いた。混乱した俺はスマートフォンの画面を再び見る。確かに白芳からだ。紅夜くやにはまだスマートフォンを与えていなかったはず。


『ご主人さまー?』


「紅夜が電話してるのか? おにぎりって何のこと?」


しらちゃんからご主人さまがお昼ご飯を持っていってないって聞いたから、二人でおにぎりを作ったにゃ!』


「ということは、今からこっちに来るのか?」


『もう歩いてるにゃ。あと、えーっと』


 紅夜が悩み始めるとスマートフォンを手渡す音が聞こえてきた。声の主が変わる。


『白芳よ。あと十分くらいでそっちに着くから正門で待ってて』


「随分と早いな」


『お昼休みの時間は限られているんでしょ? だから時間を合わせて家を出たのよ。それと、おにぎりだけじゃなくて沢庵をいくつか持って来てるからそっちも食べてね』


「わかった」


 ここから正門まで十分と少しだ。白芳と紅夜の方が早く着くかもしれない。


 果たして二人は正門の端で立っていた。白芳は紅白の巫女服、紅夜は白のワンピースだ。どちらも猫耳と尻尾は消している。


 意外だったのはその隣に見慣れた男性が立っていたことだ。あまりにも珍しい組み合わせなので一瞬目を疑う。


「山木先輩?」


 まばらな人影が見える校内の大通りを進んで俺は三人に近づいた。最初に紅夜が俺の姿を見つけて大きく手を振ってくる。


「ごしゅ、じゃなかった、善賢よしかたさーん!」


 無邪気な紅夜の声が校内に響いた。その瞬間、俺の笑顔が固まる。人気ひとけは多くないとはいえ目立つのは恥ずかしい。


 尚も欠片も悪意のない笑顔で手を振ってくる紅夜に焦った俺は走って正門に向かった。


 少し息が荒れた俺に対して最初に山木先輩が話しかけてくる。


「やぁ、蔵田くらたくん、奇遇だね」


「本当にそうですね。まさかここで山木先輩と会うなんて思いませんでしたよ」


「それを言うなら、僕だってこの二人とここで出会うなんて予想外すぎたね」


「確か面識なかったですよね?」


「さっき会ったばかりさ。二人がナンパされていたから追い払うのに協力しただけだよ」


「ナンパ!?」


 意外な言葉が山木先輩から出てきて俺は驚いた。思わず白芳と紅夜へと顔を向けるとため息をつかれる。どうやら事実らしい。


「四月に私がここに来たときに見かけた人らしいんだけど、一緒にご飯を食べに行こうってしつこく誘われたのよ」


「そこへ山木先輩がやって来たと」


「そうよ。最初はまた次の奴が来たと思ったんだけど、善賢の知り合いだって名乗ってくれて安心したわ」


「にゃーも怖かったにゃ!」


 小さな風呂敷包みを抱えた紅夜が声を上げた。


 話を聞いて大まかなところを理解した俺は山木先輩に向き直る。


「山木先輩、ありがとうございます」


「何もなくて良かったよ。美人は厄介事が多いって聞くけど本当なんだねぇ」


「はは、白芳の場合は特に目立ちますからね」


「この巫女装束がだろう? どこかの神社で勤めているのかな? 羽黒市の神社は大体知ってるけど見かけたことがないんだよなぁ」


「俺の地元の神社の服なんですよ」


「なるほど、どうりで見かけないわけだ。しかしそうなると、何でまた巫女装束を着てるんだい?」


 さすがになんと返事をするべきかわからなかったので俺は思わず白芳へと顔を向けた。


 暗に回答を求められた白芳が答える。


「この姿が一番落ち着くから着てるのよ」


「普段着なのかい!? そんな人がいるなんて初めて知ったよ」


「やっぱりおかしいのかしら? ここに引っ越してからよく人に見られるんだけど」


「おかしいとうより珍しいよね。コスプレしているようにも見えるし。いや、普段着というよりそっちの方がむしろ納得されるくらいさ」


「コスプレ?」


「趣味で特定の職業の人が着る制服や特別な服を着たり漫画やアニメのキャラクターの姿なんかを真似たりすることだよ。コスプレはコスチュームプレイの略さ。もっとも元の意味とはすっかりかけ離れているけど僕は最初の説明の意味で使ったんだ」


「そ、そうなの」


 若干早口で説明してくれた山木先輩に白芳が戸惑っていた。ちらりとこちらに目を向けてきたが何も言わない。先輩は悪い人じゃないんだ。


 珍しい組み合わせの三人で話をしているとおとなしかった紅夜が俺に声をかけてくる。


「善賢さん、おにぎり持って来たにゃ!」


「そう言えばそのために来たんだよな。ありがとう」


 差し出された小さな風呂敷包みを俺は受け取った。思ったよりもずっと重い。


 そんな俺と紅夜を見比べながら山木先輩が問いかけてくる。


「白芳さんもそうだけど、この紅夜ちゃんも何て言うか独特だね。しゃべり方が」


「ええまぁ。まだ中学生くらいで人とちょっと変わったことがしたいお年頃というか」


「ああ、中二病なんだ! いやぁ、そっかぁ。それじゃ仕方ないねぇ」


「中二病って何にゃ?」


「それはね思春期の頃に罹る一種の麻疹はしかみたいなものなんだ。自分は何でもできるという万能感をちょっとだけこじらせて発露させてしまう病気さ。元は文字通り中学二年生頃に発症するものなんだけど今じゃ高校生でも珍しくないね」


「よくわかんないにゃ」


「いいよいいよ、後でわかるから。今はその『設定』を存分に楽しむといい」


 いつになく優しそうな声色で山木先輩が紅夜に早口で語りかけていた。下手に説明するよりも都合が良いから黙っている。けど、中二病扱いされた紅夜が少し不憫だ。


 何度もうなずいていた山木先輩が俺に目を向けてくる。


「それじゃ僕はそろそろ失礼するよ。食事に行かないといけないからね」


「山木先輩、ありがとうございます」


「山木さん、ありがとう。お礼は改めて」


「ありがとうにゃ!」


 いい笑顔で一礼した山木先輩は踵を返して大学の敷地を出た。


 残った俺は小さな風呂敷包みを持ったまま二人に向き直る。


「山木先輩の話を聞いて驚いた。とにかく何もなくて良かったよ」


「ありがとう。でも、蛇に取り憑かれたときのあんたほどじゃないわよ。最悪走って逃げれば良かったし」


「かけっこなら負けないにゃ!」


「けど、どこへ行っても白芳は目立つな」


「悪かったわね。別に私がどんな姿でもいいじゃない。人間って本当に面倒よね」


「にゃーのしゃべり方はそんなにおかしいにゃ?」


 不満そうに問いかけてくる二人に俺は難しい顔を返した。もし俺が赤の他人だったとして二人を見かけたら確かに注目してしまうだけに言葉がない。


 それでも何とか慰めようと俺は試みる。


「二人の場合は美人だしな。普通にしてても注目されるかもしれないけど」


「えっ!?」


「うれしいにゃ!」


 俺の言葉に二人はまったく別の反応を示した。白芳は顔を真っ赤にして、紅夜は素直に喜んだ。


 特に白芳の様子を見た俺は自分が何を口走ったのかを理解して一緒に顔を赤らめてしまう。


「いやあの別に他意はなくてな、単に客観的事実を述べたって言うか」


「そ、そうなんだ」


「にゃ?」


 首をかしげる紅夜を前にして俺は必死に弁明しようとした。けれど、自分でも何をしゃべっているのかわからなくなる。どうしてこんな恥ずかしい目に遭っているんだ。


 この後、紅夜が割り込んでくるまで俺の弁解は続いた。

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