お互いの意識

 翌朝、俺達は戦いの後片付けをした。直後に大雑把に汚れを取り除いたので、今度は洗剤を使った本格的な拭き掃除だ。また、蛇の死骸は庭に置いてブルーシートを被せてある。


 さすがに疲れ切った俺達三人は昼食を食べ終わると居間でだらんとした。玉櫛たまくしさんと朧火おぼろびさんがやって来たのはそんなときだ。昨晩に白芳しらよしが連絡していたらしい。


 応接間でお茶を用意してから俺が挨拶をする。


「お久しぶりです」


「白芳から話は聞きましたわ。えらい大変やったそうやね。体の方は平気なんやろか?」


「今のところは何ともないです。ただ、本当に大丈夫なのかはわからないですが」


「そういうことなんやったら、うちがちょっと診よか」


 真正面に座っていた玉櫛さんは立ち上がった。遠慮なしにお茶菓子を食べている紅夜くやを避けて俺の横までやって来て額に左手を重ねる。


 しばらくじっとしていると玉櫛さんは手を離した。そうして席に戻りながら結果を告げてくる。


「呪われてるわけでもなさそうやし、何か良くないもんが憑いてるわけでもないし、もう気にせんでもええと思うで」


「ありがとうございます」


「まぁなんものうて良かったわ」


 問題なしという太鼓判を押した玉櫛はにこやかにお茶を飲んだ。


 俺の診察が終わったところで今度は朧火さんが問いかけてくる。


「妖怪に成りかけの蛇に取り憑かれたことは聞いておるが、詳しくは聞いておらん。一体何があったのだ?」


「昨日蛇楽じゃらく神社に行ったときに神域の入口で取り憑かれたようで、玄関で倒れた後にその蛇みたいなのが出てきたんです」


「あのときか! 様子は窺っていたがなんともないように見えてたのだが」


「やっぱり見守っていてくれたんですね」


「見逃してしまっては意味がないがな」


「取り憑かれたときに何か変化は?」


「羽黒駅から出てしばらくすると次第に苦しくなって、帰る直前は本当にぼんやりとしていました。せっかく取り憑かれやすいと忠告してもらっていたのに申し訳ありません」


「もぐもぐ、ご主人さまは悪くないにゃ!」


「紅夜、あんたは食べてからしゃべりなさい」


 呆れた白芳が口を動かす紅夜に注意した。一応うなずいた紅夜だったが本当に従うかは怪しいところだ。


 ちらりと紅夜を見た朧火さんが軽くうなずく。


「なるほどな。取り憑かれた結果、悪影響が出たのだろう。帰宅して倒れたというのは家の中に入ってすぐか?」


「その通りです」


「ということは、魔除けの術がきちんと効果を発揮したわけだ。何事も備えておくべきだな」


 自分のしたことが役だったことを知って朧火さんは満足そうだった。確かにあれがなかったら俺はもっと長期間取り憑かれて大変なことになっていただろう。


 それは白芳も感じていたらしい。俺が口を開く前に朧火さんへと話しかける。


「あの結界のおかげで蛇の妖力は弱っていたので倒しやすかったです」


「役に立って何よりだ。術に綻びがなければ、これからもこの家を守ってくれるだろう」


「あの蛇の死骸はどうしたらいいですか?」


「我々が処分しよう。下手なところに埋めてその場を汚染しても厄介だしな」


「助かりました」


 最大の問題が解決してもらえることになって白芳は喜んだ。あれは俺もどうするべきか困っていたので安心する。埋めなくて良かった。


 しばらく静かだった紅夜がお菓子をほとんど食べ尽くしてから元気よく声を上げる。


「あの蛇と戦っていたときのしらちゃんはすごかったにゃ! 指から長い爪を伸ばして、口から牙を出していたにゃ!」


「あんただって似たようなものだったじゃない」


「迫力は全然違ったにゃ!」


「そ、そうかな?」


「『このザコがぁ!』ってすごい顔で言ってたにゃ」


「待って私そんなこと言ってない! わよね?」


 腰を浮かして抗議した白芳が記憶に不安があるのか俺に顔を向けてきた。けれど、当時のことを俺は知らない。


 怒りたくても怒れないという微妙な表情の白芳をよそに紅夜が話し続ける。


「しかも、蛇が噛みつこうとしたのを爪で弾いて胴体を食いちぎったにゃ!」


「確かにそうだけど、あんただって噛みついたじゃない。そのおかげであいつの気が逸れて反撃できたんだから」


「にゃーは噛んだだけにゃ。それに、さすがに蛇を千切ることはできないにゃ」


「あのときは、ああしないといけなかったし」


「玄関に血がどばって広がったのはさすがに驚いたにゃ!」


「あ、あー」


 当時の部分的な説明を聞いて俺は玄関一帯が血まみれだった理由を理解した。もっとも、取り憑かれたのが自分だったから何も言えない。


 先程からちらちらと俺を見てくる白芳を気にしながら口を挟む。


「随分と勇ましかったんだな」


「そうにゃ! 白ちゃんはにゃー達の守護霊にゃ!」


「私まだ死んでないもん!」


「たぶん守護神か守り神って言いたかったんじゃないかな」


「それにゃ!」


 言いたかったことを俺に教えてもらえた紅夜が元気よくうなずいた。


 そんな俺達の様子を見ていた朧火さんは微笑ましそうな眼差しを向けてくる。


「思った以上に白芳はよくやっているな」


「ほんまにね。さすがおふさはんの娘やわ」


「でも、昨日の蛇を倒してからの白ちゃんはちょっとおかしいにゃ」


「なにがよ?」


「なんかご主人さまによそよそしいにゃ」


 不思議そうに首をかしげる紅夜と同じように俺も白芳に目を向けた。指摘が事実だとしたら俺はそんな態度に全然気付かなかったことになる。


 全員の視線を受けた白芳は固まった。ぷるぷる震えている姿がちょっとかわいらしい。


「蛇をばりばり食べたことを気にしてるにゃ?」


「食べてないわよ!」


「何かあるんなら俺も聞きたいんだけど」


「別に何も」


「蛇退治は必要なことだったから気にしなくてもいいと思うけどな。血まみれだったのにはさすがに驚いたけど」


 何とも答えにくそうな白芳を見て原因はこれじゃないように思えた。それなら何だろうと考えを巡らせる。ただ、あのときのことはよくわかっていないんだよなぁ。


 戦いが終わった直後の三人の会話を思い出す。結局うやむやになったけど、もしかしてあれが原因なのかもしれない。


 思い当たる節を一つ思い出した俺は白芳と似たような感じでぎこちなくなった。けれど、どうしても気になって口にしてしまう。


「もしかして、紅夜が言ってた私の善賢から離れろって言葉が関係してる?」


「あんたまだ覚えてたの!?」


 かっと目を見開いた白芳が叫んだ。瞬間湯沸かし器のようにその顔が赤くなる。


 白芳の様子を見て玉櫛さんの顔がすぐににやけた。朧火さんも苦笑いしている。


「なんや、大活躍してるとおもたら理由はそれかいな!」


「玉櫛さん待って! 絶対誤解してる!」


「へぇ、どんな風にやろ?」


「くっ!」


 蛇と戦っていたときよりも追い詰められた様子の白芳が悔しそうに顔をゆがめた。これは下手に関わると俺も火傷するから黙っていよう。


 ところが、玉櫛さんは見逃してくれなかった。白芳に続いて俺の方に顔を向けてくる。


「蔵田はんはその言葉を聞いて何て思たんです?」


「いや、別に何も」


「嘘やね」


「嘘だな」


 夫婦揃ってにやにやと否定してきた。くそ、顔が赤くなってきているのがわかる!


 そりゃ見た目もいいし気立ても悪くないし何とも思わないわけじゃないけどさ。


 内心で色々言い訳を始めた俺に対して玉櫛さんが尚も攻めてくる。


「遠回しな告白みたいなことされたんやし、蔵田はんもお返ししたらどうです?」


「そう言われても、小さい頃からの知り合いだし、なんかもういるのが自然っぽくて」


「横にいるのが自然なんや! いやぁ!」


「いやあのですね! 絶対誤解していますよね!?」


「へぇ、どんな風にやろ?」


「くっ!」


 迂闊にもしゃべってしまったために玉櫛さんを喜ばせてしまった。くそ!


 隣の白芳をちらりと見ると、既に顔は茹で上がっている。目を見開いて俺を見つめていたが俺の視線に気付いてすぐに目を逸らした。


 今のやり取りを見ていた朧火さんが優しい笑顔を向けてくる。


「随分と初々しいな」


「そりゃこんだけ若いんですもん。いやぁ、ええもん見れたわぁ」


「なんで二人とも顔が赤いにゃ?」


「赤くないもん! 気のせいよ気のせい!」


「まるでお熱があるみたいにゃ。あ、実は風邪をひいてるにゃ!?」


「大丈夫、平気、何ともないから!」


「じゃ、なんで顔が赤いにゃ?」


「うっ」


「ご主人さまもにゃ。にゃーにも教えてほしいにゃ」


「それはだな、えーっと」


「照れとるんやで、紅夜」


「照れるにゃ? 何でにゃ?」


 にやにやと笑う玉櫛さんから話を聞いた紅夜はまだわからないようだ。これ以上恥ずかしい思いをせずにすむという意味では助かったけど時間の問題のような気もする。


 とりあえずこの場を何とか切り抜けたいと焦る俺はまともに話ができなかった。


 しかしこれ、明日からどうしたものだろうか。

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