這い寄るもの

 昼ご飯を手早く食べた俺と山木やまぎ先輩は立ち上がった。話をしながら傷んだ鳥居をくぐり抜けてかつての参道を歩く。


「最初はあの本殿から写真を撮ってもらおうかな。これが僕のスマホ、カメラはこれ。使い方はわかるよね?」


「大丈夫ですよ、はい」


 カメラの機能を立ち上げたスマートフォンを手渡された俺は一枚写真を撮った。自分のではないから違和感があるけど手ぶれ補正機能があるから何とかなるだろう。


 正面に見える本殿の造りは一般的な神社と変わりのないものらしく、特に印象に残るところはない。農具をしまうちょっとした小屋程度の大きさだ。


 草の生える境内けいだいに入って本殿に近づいてスマートフォンを構えた。まずは全体像を捕らえて一枚撮る。対象の本殿が思ったよりも小さく感じられた。


 近づいて見る本殿は一見すると何ともないように見える。けれど、塗料が浮き上がっていたり木材が傷んでいたりと朽ち始めている様子があちこちに窺えた。


 一方で、山木先輩はボイスレコーダーを取り出して説明や感想を吹き込んでいる。


 その間に俺は本殿の写真を撮り続けた。カメラ機能なんて普段使わないから撮影中も不安は常に付きまとう。


「山木先輩、こんな感じでいいですか?」


「どれどれ、悪くないね。撮り忘れは困るから、多めに撮影するのはありだよ。次は裏に回ろうか」


 砂利を踏みつける足音を鳴らしながら俺は山木先輩と一緒に本殿の裏手に回った。裏口でもあるのかなと思っていたが壁が続くだけだ。


 面白みは何もなかったけどとりあえず何枚か写真は撮っておく。


「フィールドワークって思った以上に地味ですね」


「そりゃそうさ。殺人事件を追いかけているわけじゃないんだから。でも、こういうことを積み重ねた先に面白い事実が浮かび上がってくることもあるからたまらないね」


「俺には向いていなさそうだなぁ」


「ま、自分のできることをやればいいと思うよ」


「そうします。それで、次はどうするんです?」


「この奥に少し進もうと思う。ほら、あそこから」


 指差された先に目を向けると山の斜面が迫っていた。その一角に谷底か岩の裂け目というような道が奥へと続いているを見つける。


「さっきも言いましたけど、オカルト抜きにしてもヤバそうじゃないですか?」


「気分はもう探検隊だね、デュフフ!」


「こんな普段着で行くんですか?」


「冷静になって見てみると確かに厳しそうだね」


 先程までのはしゃいでいた姿とは一転して山木先輩が眉をひそめた。裂け目のような道の前まで進んでもその表情は変わらない。


「これは奥まで行くのはやめておいた方がいいかな。ただ、せめてあの見えるところまでは行きたい」


「お勧めはしませんけどあそこくらいまでなら大丈夫、なのかなぁ」


「とりあえず一旦スマホを返してくれないか。僕だけでも行ってみるから」


「俺はどうします?」


「本殿の周辺をきみのスマホで撮影しておいてほしい。風景画みたいな感じでいいから」


 指示を出した山木先輩は俺からスマートフォンを取り戻すと裂け目のような道へと向かった。


 不安そうにその後ろ姿を眺めていた俺はしばらくして作業に移るべく振り返る。そして、寂れた神社の周囲を気の赴くまま自分のスマートフォンで撮影し始めた。


 何枚か撮っているうちに気分が乗ってきて何度も撮影ボタンを押していく。特に絵心も技術もないけどいっぱしのカメラマンになったような気分だ。


 境内のあちこちをそうやって撮っていると傷んだ鳥居の辺りに人影を見つけた。見覚えのある落ち着いた青色の着物に黒い袴の二人。


玉櫛たまくしさんに朧火おぼろびさんじゃないですか」


「誰かとおもたら、蔵田くらたはんやないですか」


「こんなところで会うとは珍しいな」


 三人ともお互いを見て驚いた。興味の湧いた俺は傷んだ鳥居へと近づく。


「お二人ともどうしてここに?」


「仕事ですわ。ほら、以前お宅に寄せてもろたときにうてましたやろ」


「もしかしてここの神社に関係してるわけですか?」


「そうですねん。本殿にまつられてた主が別の所へ移ったんですけど、その後始末みたいなもんですわ」


「え、あの中身ってそんな簡単に別の場所に移るものなんですか!?」


 まさかご神体が引っ越しをするとは思わなかった俺は目を見開いた。


 そんな俺を面白そうに眺める玉櫛さんの隣から朧火さんが説明してくれる。


「ここの大蛇殿は結構なご老体でな、村人との関係が切れたのを機に隠居なさることになったのだ」


「神社に祀られるって役職みたいなものなんですか?」


「それぞれだよ。たまたまここの大蛇殿はそうだというだけだ」


「なるほど。でもこの神社に誰もいなくなったらこの一帯は大丈夫なんですか?」


「さてな。人の里がどうなるかまでは知らん。ただ、見れば年寄りばかりで里の方の命脈も長くはないのだろう。そういう意味では、ちょうど良い縁切りだったとも言える」


 人と怪異の関係について詳しく知らない俺はそんなものかと受け入れるしかなかった。一瞬自分の故郷はどうなのかと頭によぎったが玉櫛さんの質問で消える。


「ところで、蔵田はんはこの神社で何したはりますの?」


「大学の先輩と神社について調べに来たんです。オカルト同好会というのに所属していて、先輩がこういう神社とかを熱心に調べているんで、俺は今日その助手をしてるんですよ」


「そうゆうことやったんですか。無理に止めはしませんけど、あんまり変なところに行ったらあきませんよ。何がおるかなんてわからへんし」


「できるだけそうしようとはしてるんですけど、やっぱり神域とか禁忌っていうのに興味を持つ人はいて」


「ところで、その先輩はどこに居はるんです?」


「今は本殿の奥にある谷間のような道へ行ってます」


 山木先輩の居場所を伝えると玉櫛さんと朧火さんは微妙な表情を浮かべた。そうだよなぁ。


 お互いに顔を見合わせた後、朧火さんが口を開く。


「大蛇殿がおられた少し前までならすぐに戻るよう忠告したのだがな。今はあそこも空だから」


「安全なんですか?」


「差し迫った危険がないというだけだ。大蛇殿の残り香に誘われて小物の妖怪や怪異が寄ってくる可能性はある」


「ということは、早く先輩を呼び戻した方がいいですよね」


「無論だ」


「うちらは蔵田はんらがここを去るまで隠れて待ってるさかい、はよう呼び戻してあげたらええわ」


「最悪何かあれば助けてやろう」


「ありがとうございます」


 忠告を受けた俺は踵を返して本殿の裏側へと向かった。


 山の斜面にある裂け目のような道を見つけるとその先へと目を向ける。けれど、姿は見えない。


「ああもう、奥に行ったんだ」


 夢中になって周りを調べている姿を想像して俺は舌打ちした。趣味人だから仕方がないけどもう少し自制してほしいと思う。


 かつての神域へと入ると空気がひんやりとした。少し湿っているような感じもするので全体的に重い感じがする。


 あまり良い気分ではないまま道を上っていると背後から、ずるり、という何かが這う音が耳に入った。


 妙に気になった俺は立ち止まって振り向く。しかし、下る道と本殿の建物が見えるだけだ。何もおかしなところはない。


「気のせいか?」


 うまく説明できないけど何となく嫌な感じがした。違和感が強いけれど、いくら考えてもわからなかった。仕方なく気のせいだと思い直して再び歩こうとする。


 その直後、どさり、と肩から背中にかけて何かがのしかかってきた。しかも生臭い。


「なん、だ?」


「シャァ」


 耳元で聞こえた音に俺は全身が泡だった。なんだこれ!?


 頭の中が混乱した正にそのとき、前から山木先輩の声が聞こえる。


「蔵田くん、どうしたんだい?」


「え?」


 その声で俺は神社の調査中だということを思い出した。同時に肩と背中にのしかかられていた感覚が消える。なんだったんだ?


 首を回して違和感を確認する俺に山木先輩が再び声をかけてくる。


「すまないね。つい夢中になって奥まで行っちゃったよ」


「だから姿が見えなかったんですね。何かありました?」


「小川と滝があったよ。なかなかきれいな光景だったな。写真を撮ったから見るかい?」


「後にします。それより、ここから出ませんか?」


「見るべきものは見たし、そうしようか」


 用が済んだらしい山木先輩はあっさりと俺の意見に賛成してくれた。二人して本殿まで戻る。


 その後、俺と山木先輩はしばらく神社の境内をうろついた。あまり広い場所ではないので見られるものはすべて見てスマートフォンのカメラとボイスレコーダーに収める。


「それじゃ蔵田くん、そろそろ帰ろうか。今からバス停に行けばいい感じになるよ」


「わかりました」


 夕方にはまだ早い時間だったけど山木先輩は帰宅を宣言した。一日中歩き回って疲れ始めていた俺は素直に喜ぶ。


 そうして蛇楽神社から出て坂道を下った。

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