家族が増えて(白芳視点)
羽黒市に引っ越してきて
けれど、善賢が一匹の捨て猫を拾ってきたことから生活が一変してしまう。
夕方から雨が降り始めたあの日、玄関でずぶ濡れで立っている善賢が黒い子猫を抱いていることに私はすぐに気付いた。その子猫が赤い瞳を向けてくる。
「にゃー」
か細い鳴き声を耳にした私はかつての自分と黒い子猫の姿を重ね合わせた。なによ、こんなの見捨てられないじゃない。
とりあえずその
ところが、ろくに話し合わないうちに決まってしまう。
「よし、飼おう」
即断した理由を私は知るよしもなかった。でも、見捨てずに飼うと決めてくれたことは嬉しい。
飼うとなると決まると名前を付ける必要があるわよね。最初は善賢に考えてもらったけど、名付ける才能がないみたいだから私が決めることにしたわ。
「瞳が
こうして黒い子猫は紅夜と名付けられた。紅夜も名前を気に入ってくれたみたい。
新たな家族を迎えて明日から楽しい生活が始まる。その思いは半分だけ正しかった。実際は予想外の事態が発生して愕然としてしまう。
「だ、誰よその
「
朝一番に起こすため善賢の部屋に入ると裸の女の子がぴったりとくっついているじゃない! しかも、私の叫び声に怯むこともなく顔をこすりつけている!
この女の子の正体は紅夜だった。私が名付けたことがきっかけで恩人の善賢が好きという一心から化け猫になったらしい。いや普通はそうならないでしょう!?
ともかく三人で生活を始めたんだけどこれがまた大変。妖怪になりたてだから色々と常識が足りないのは仕方ないにしても限度があるわ。
例えば、善賢の寝間着代わりのトレーナーのにおいを嗅いでいたときとかがそうね。
「すーはーすーはーすーはー、ご主人さまのにおいは最高にゃ~」
なんて言っていたけど明らかにおかしいわよ。さすがに善賢も引いていたからやめさせようとしたけど全然聞く耳持たないし。
挙げ句の果てに堂々と変態みたいなことを言う始末。
「いいことはあるにゃ! 大好きなご主人さまに抱かれているみたいで幸せな気持ちになれるにゃ!」
「あんた本人の目の前でそんなこと言って恥ずかしくないの!?」
思わず言い返したけれど当人はまったく反省の色はなかった。それどころか、私にまで勧めてくるなんて!
「白ちゃんもご主人さまの臭いを嗅げばわかるにゃ!」
「みゃっ!?」
思わず動揺しちゃったじゃない。しかも、善賢も善賢で私に期待の目を向けてくるし。そんなことするわけないでしょう!?
結局、トレーナーを取り上げようとしたことがきっかけで私は紅夜と喧嘩をしてしまった。割って入って来た善賢が巻き添えになったけどこれは仕方ないと思う。
他には、お菓子を我慢できないなんてこともあって大変だったわ。
あれは知人をお客として迎えて帰った後のこと。善賢の許可を得て紅夜がお茶請けのお菓子を食べていた。けど、夕飯も近いから私が注意したのよ。
「紅夜、あんまりお菓子ばっかり食べてると晩ご飯が食べられなくなるわよ」
「でもお菓子はやめられないにゃ」
「もう。はい、おしまい」
「にゃ!? あとひとつだけにゃ!」
これでお終いだと私は思った。でも、予想外に紅夜が激しく抵抗してくるから驚いたわ。いくら忠告しても聞く耳を持たないし、私の手からお菓子を奪い取ろうとするし。
「えいにゃ! やった取れたにゃ!」
とうとう私の手からお菓子を奪った紅夜は二階の善賢の部屋へと立てこもった。すっかり頭に血が上った私は全力で追いかけて締め切られた扉を叩く。
「こらー! 善賢の部屋から出てきなさい!」
「食べ終わったら出るにゃ! ばりばり!」
「ふざけんなー!」
「おいしかったにゃー!」
「このバカねこー!」
お菓子を食べて満足した様子の紅夜が部屋から出てきたところで私はその頭を叩いた。このまま放っておくことなんてできない!
一部変態的な発言も交えた口論の末にまたもや喧嘩になってしまう。このときは料理が一段落した善賢がやって来て仲裁してくれた。
これまでの様子からすると紅夜って自分の意見をほとんど曲げないのよね。正しいかどうかじゃなくてあくまでも自分がやりたいかどうかが基準になっている。
そのせいで私の話を全然聞かないことも多い。だけど、最近はある意味羨ましくも思っていた。私はあそこまで自分に正直にはなれない。
まだ子供だからなのかなとも私は考えた。だったら自分がまだ幼かった頃はどうだっただろうと思い出してみる。お母さまに拾ってもらって、善賢と遊んで、それで。
記憶は思った以上に曖昧だった。肝心なところはぼやけている感じがする。そのせいではっきりとはしなかった。
ぼんやりと考え事をしていると、昼食を食べ終わった紅夜が元気よく声を上げる。
「ごちそうさまにゃ!」
「はいどうも。お皿は流しに置いて」
「わかったにゃ! そして別腹のお菓子にゃ~!」
屈託のない笑顔を浮かべて紅夜は食器を流し台に置いた。そのまま棚に置いてあるお菓子を手にすると居間へ向かう。一応、善賢の躾はきちんと行き届いていて安心ね。
今は平日のお昼で善賢が大学から帰ってくるのは夕方と聞いている。食器を片付けた後は夕食の支度まですることはない。
残り少ない昼食をそのままに私は紅夜へと声をかける。
「紅夜、あんたってなんでそんなに自分に正直なの?」
「ばりぼり、にゃ?」
おいしそうにお菓子を頬張っていた紅夜がこちらに顔を向けた。不思議そうな顔をしながら口を動かしている。首をかしげる仕草がかわいらしいわね。
さすがにこれじゃわからないかと苦笑いした私は言い変える。
「紅夜って自分にしたいことはしたいって言うし、絶対にやろうとするじゃない。どうしてそんなことができるのかなって」
「白ちゃんが何を言っているのかわかんないにゃ」
「え?」
「自分のやりたいことを言うのは当たり前のことにゃ。言わないと誰もわかってくれないにゃ。それに、やりたいことを自分でやろうとしないと誰もやってくれないにゃ。何も悩むことなんてないにゃ」
当たり前のことすぎて理解できないと紅夜に返されて私は言葉に詰まった。紅夜の意見は正しいけれど言葉そのままに生きられることが不思議でならない。
そこまで考えて私は気付いた。そうよ、今の紅夜は私と善賢という保護者がいるから自由に生きられるんじゃない。そうでなければここまで好き勝手になんてできないもの。
自分と紅夜の違いに気付いた私は納得した。これで気持ち良く食事を再開できるわ。
「紅夜、ありがとう」
「にゃ。もうちょっと言うと、言いたいこともやりたいこともできるうちにしておくにゃ」
「え?」
「だって、いつ言えなくなったりできなくなったりするかわかんないにゃ。だから好きにできるうちにやっておくのが一番にゃ」
「なんでそんな風に思うのよ?」
「にゃーは前の飼い主に何を言ってもどんなことをしてもひどい目に遭わされたにゃ。でも、今のご主人さまは何でも許してくれるにゃ。本当に嬉しいにゃ。でもでも、この先どうなるかなんてわかんないにゃ」
「この先」
「そうにゃ。自分でどうにもならないことがいつ起きるかわかんないにゃ。だからこそ、今言えること言ってできることをするにゃ」
思った以上に重い返事を聞いた私は衝撃を受けた。そういえば、紅夜は前の飼い主に虐待されていたことを思い出す。
翻って私はどうだろうかと改めて考えてみた。野良猫だった私達親子の環境は虐待される飼い主とはまた別の意味で厳しい。食べる物ひとつ例にとっても食べられるときに目一杯食べていたっけ。
そう考えると、私だって紅夜の言ったことに気付いていてもおかしくないし、紅夜のように振る舞っていても不思議ではないはずだった。この差はどこから出たんだろうな。
次第に思い詰めた表情になっていく私に対して紅夜が心配そうに問いかける。
「白ちゃん、どうしたにゃ?」
「え? どうしたのかしらね?」
「にゃにゃ?」
私のおかしな返事に紅夜は首をかしげた。けどすぐに、またお菓子へと向き直る。
その様子を見て私は肩の力を抜いた。それから改めて考えてみる。そもそもどうしてこんなに思い詰めているのかがわからなくて困惑した。一体何を焦っているんだろう。
首をかしげた私は考えることをやめて目の前の食事を再開した。
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