猫又さんと化け猫ちゃん

 何がどうなっているのかわからなくても事態は推移していく。


 この状況で今度は自室の扉越しに白芳しらよしから声をかけられた。その瞬間、毎朝の習慣を思い出して俺は青ざめる。


善賢よしかた、おはよう! 大学は昼からでもちゃんと起きないと、あれ?」


 扉を開けた白芳の目に映ったのは、腰から黒い尻尾をピンと伸ばして一糸まとわぬ姿で見た目が中学生くらいの少し幼い美少女に俺が抱きつかれて頬ずりされている姿だった。


 うん、完全にアウトだな。


 お互いに目を全開にして固まる俺と白芳。その間も我関せずと全裸の女の子がぴったりとくっついて幸せそうな笑みを浮かべている。


「えへへ、ご主人さまぁ、大好きにゃ~」


「だ、誰よそのおんなぁ!」


 朝一番から白芳の叫び声が俺の耳を貫いた。これきっとご近所様にも聞こえてるんだろうなぁ。


 叫び声に驚いた女の子が白芳へと顔を向けた。迷惑そうな表情で少し口を尖らせている。


しらちゃんうるさいにゃ。そんな大きな声を出さなくても聞こえるにゃ」


「し、白ちゃん!? なんであんたに白ちゃん呼ばわりされなきゃいけないのよ!」


「だって白ちゃんはにゃーに名前を付けてくれたにゃん」


「名前? ということはあんた紅夜くやなの!?」


「そうにゃ!」


 元気よく返事をした紅夜は疑問には答えると再び俺に顔をこすりつけ始めた。白芳は口を開けたまま反応できない。


 一方、いくらか立ち直った俺は紅夜がしゃべれるのならと問いかける。


「お前、猫だったんじゃないのか?」


「にゃーは猫にゃ!」


「いやいや、それじゃなんで人間の姿になってるんだ?」


「知らないにゃ! ご主人さまと一緒に寝たいってずっと思ってたら人間の姿になってたから、ぴったりくっついたにゃ!」


「なんでそこまで」


「前のご主人はにゃーにご飯をくれなかったり色々とひどかったにゃ。でも、ご主人さまはにゃーに優しくしてくれたにゃ。だから大好きにゃ!」


 紅夜が虐待を受けていたらしいことを知って俺と白芳は眉をひそめた。


 過去の事実を知って少し憤った俺だったが湧いてきた別の疑問のために落ち着く。


「あーそれで、紅夜、なんで裸なんだ?」


「どういうことにゃ?」


「いや、どうして服を着ていないのかって聞いてるんだ」


「ご主人さまはおかしなことを聞くにゃ。にゃーはいつも裸にゃよ」


「そりゃ猫の姿のときはそうなんだろうけど、人間の姿になったら色々と憚るというか」


「ご主人さまこそなんでこんな布を体に巻いてるにゃ? 邪魔にゃ」


 逆に疑問をぶつけられて俺は返答に窮した。人間はそういうものだからと答えようとする。けれど、それなら猫は裸だからこのままでいいと返されたら何も言えない。


 もちろん個人的には嬉しい。しかし、倫理とか道徳とかの面で紅夜が素っ裸のままというのはまずいだろう。決して白芳が目の前にいるからではない。


 どうしたものかと困り果てて俺は白芳へと目を向けた。ようやく衝撃から立ち直ったらしく、両手を腰に当てて紅夜へと声をかける。


「とりあえず服を着なさい、紅夜。でないと、善賢がとても困るのよ」


「何が困るにゃ?」


「同じ人間からひどい扱いをされちゃうのよ。白い目で見られたり警察官に捕まったり」


「それはどのくらいひどいことにゃ?」


「紅夜が前の飼い主にされたことと同じくらいよ」


「それはイヤにゃ。ご主人さま、ごめんなさいにゃ」


 納得したらしい紅夜が悲しそうな顔を俺に向けてきた。こちらの話を聞き入れてくれたのは嬉しいがこんな悲しい顔をしてほしくはない。


 すっかりしょげかえっている紅夜の頭を俺は撫でてやる。


「紅夜は何も悪くないよ。服を着てくれたらそれでいいんだ」


「くっつくのはいいのかにゃ?」


「それは構わないよ。すごく嬉しかった」


「よかったにゃ!」


「へぇ、裸の小さい女の子に抱きつかれるのがそんなに嬉しいんだ?」


「待て白芳。今は混ぜ返すのは待ってくれ。まずは紅夜をどうにかしないと」


「とりあえずあんたは目をつむりなさい。いいって言うまで開いちゃダメよ?」


「はい」


 紅夜が俺から離れたことでその幼い裸体が再び視界に入った。俺も当然見ないようには努めているものの限度はある。


 だから両手の爪を伸ばした白芳が警告したのだ。あの爪で引っかかれると本当に痛いから逆らう気はない。


 俺が目を閉じている間に白芳が紅夜に化け方について説明していた。これなら一旦白芳の部屋で練習してもらった方が良かったんじゃないかと思えるほど長い。


 いつまで続くんだと思いながらも待っているとようやく白芳が声をかけてくる。


「善賢、もういいわよ」


 ため息をつきながら俺は目を開くと、目の前に白いワンピースを着た紅夜が立っていた。髪の毛と耳の黒色とのコントラストが映えている。


「かわいいじゃないか」


「褒めてもらえて嬉しいにゃ」


「それじゃ台所に行きましょ。朝ご飯食べなきゃ」


 そういえばまだ寝間着姿であることに俺は気付いた。白芳に紅夜と先に行くよう伝えると手早く着替える。


 階下にある台所に入ると中央に四人掛けで使う食卓があり、紅夜が椅子の一つに座っていた。白いエプロンを身につけた白芳はハムエッグを作っている。


「善賢、お皿出して」


「わかった。ところで、紅夜は何を食べさせるんだ?」


「私達と同じものよ」


「昨日は猫用のやつを用意するべきって言ってなかったか?」


「紅夜がただの猫だったらね。でも化け猫なら私と同じ妖怪だから何でも食べられるわよ」


「昨日必死に猫の飼い方を調べたのに」


「本格的に買い揃える前で良かったじゃない。で、お皿は?」


「ごめん、今出す」


 一つ目のハムエッグを作り終えた白芳に俺は流し目で催促された。急いで食器棚から平皿を三枚取り出す。続いてコップなんかの食器も食卓に並べた。


 二人で朝食の準備を整えていく様子を紅夜が目を輝かせて眺めている。


 その姿を見て俺はとある疑問を覚えた。白芳の背中と白い二つに分かれた尻尾を見ながら口を開く。


「白芳、さっき紅夜のことを化け猫って言ったよな。猫又の可能性はないのか?」


「尻尾が一つだけだからよ。猫又なら二つあるもの」


「そんな見分け方があるのか」


 意外に簡単な見分け方に俺は驚いた。紅夜の腰へと目を向けると確かにスカートから黒い尻尾が一本だけ現れている。


「紅夜って元から化け猫じゃないんだよな? なんで一晩で妖怪になったんだ?」


「わかんないにゃ」


「まー本人に自覚がないのは困ったものだけど、推測ならできるわね」


「ぜひお願いする」


「にゃー!」


 二つ目のハムエッグを平皿に移していた白芳はうなずいた。三つ目のハムエッグに取りかかりながら口を開く。


「一番のきっかけは私が紅夜って名付けたからね。お母さまほどじゃないけど、私だって名のある猫又だから名前を付けた相手が妖怪化する可能性があったのよ」


「知っててやったわけじゃないのか」


「名付けることは昔から特別な行為なんだけど、普通はそんな簡単にならないものなの。まさか紅夜が化け猫になるくらい人間に執着してるなんて知らなかったし」


「人間に執着って、俺に? 昨日拾ってきたばっかりだぞ」


「前の飼い主の扱いがひどかった反動で、あんたが特別に見えたんじゃないかしら。その辺りは本人の気持ち次第なんだけど」


「ご主人さま、大好きにゃー!」


「あ、パンが焼けたから取ってきて」


 ハムエッグに視線を向けたままの白芳から俺は声をかけられた。それに従ってトースターから焼き上がった食パンを取り出す。次いでバターと牛乳を冷蔵庫から持ち出した。


 話を聞いた俺はまた別の疑問を白芳にぶつけてみる。


「妖怪化した理由はわかった。なら、猫又になる可能性もあったってことなのか?」


「たぶんそれはないと思う。良くも悪くも人間に執着してる場合は化け猫になるから」


「それじゃ猫又にはどうやってなるんだ?」


「単に長生きしたとか、突然変異とか、原因が人間とは関係ないことがほとんどよ」


「実は猫又と化け猫の違いって人間が関係しているかどうかだけなのか?」


「はっきりとしたことは私も知らないわよ。そういう傾向があるっていうだけでね」


 意外なことを聞いた俺は半ば呆然とした。その誕生の原因も境界が曖昧だったとは意外だ。元々猫又と化け猫の違いなんてよくわからなかったけど当人達も知らないのか。


 最後のハムエッグを作り終えた白芳がそれを平皿へと移す。


「さぁ、できたわよ。紅夜、食べ方は教えてあげるから一緒に食べましょう」


「にゃ! ご主人さまも一緒に食べるにゃ!」


「そうだな、食べようか」


 朝食の用意ができたで俺達は全員が席に座った。紅夜の隣が白芳、正面が俺だ。紅夜が食器の使い方を知らないので食べながら二人がかりで丁寧に教える。


 これからこれが当たり前の風景になると思うとなんとなく心が明るくなった。

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