デュフフ先輩

 首都圏の一角にある羽黒市内のやや外れに興隆大学はある。敷地は広く建物も真新しくて立派だ。同時に四方を田んぼに囲まれているから牧歌的ともいえる。


 先月の大学全体の騒がしさも春の大型連休を挟んですっかり落ち着いていた。そんな中、午後一番の講義が終わると俺は新校舎から出る。空は一面灰色で憂鬱さがいっそう強い。


 黒い肩掛け鞄からスマートフォンを取り出した俺はSNSのアプリを立ち上げた。手早く操作してオカルト同好会の部長の書き込みを確認する。


「部長はいるな。よし」


 スマートフォンをしまうと俺は歩き始めた。


 大通りから小道に入って大学の敷地の北側を目指す。この辺りには旧校舎群がいくつか建ち並んでいて昼下がりでも人影が見当たらない。


 敷地の端にある三階建ての校舎内は全体的に暗かった。一階の廊下を奥の端まで進むとオカルト同好会の部室がある。俺は張り紙されたスライド式の扉を開いた。


 室内は半分物置みたいで微妙に埃っぽい。その部屋の一角にあるスチール製の机に置いたノートパソコンにかじりついている人物へ俺は声をかける。


山木やまぎ先輩、こんにちはー」


「やぁ、蔵田くらたくんか」


 こざっぱりとしているが小太りで暗い雰囲気の山木先輩が顔を上げた。こちらを見て似合っていないフレームレス眼鏡をいじりながら笑顔を向けてくる。


「デュフフ、いいところに来たね。ちょっと見てほしいものがあるんだ」


「なんですか?」


 段ボール箱が置かれた木製の机に俺は黒い肩掛け鞄を置いた。そして、山木先輩の背後へと回って右横からノートパソコンのディスプレイをのぞき込む。


 画面の中央には着物姿の大人の女性のイラストが表示されていた。頭の上には獣耳が乗っかっている。


「漫画のキャラですか? それにこれは、猫耳?」


「違うよきみぃ、これは狐の耳なんだよ!」


「狐ですか?」


「そう! 一見するとほとんど同じにしかみえないし大抵は見分けがつかないんだけどこの女性キャラは狐の擬人化なんだ!」


 熱心に語りかけてくる山木先輩に俺はちょっと引いた。漫画やアニメは一応見るけど熱中しているわけじゃない。だから、そんな前のめりに説明されても困る。


 顔を引きつらせる俺に対して山木先輩が身を乗り出してきた。あ、これ長いぞ。


「これは今度のブログに載せるイラストなんだけど稲荷神社の狐の擬人化なんだ。擬人化だと大抵は二十歳以下の女の子が描かれるけど僕はそればっかりはどうかと思うんだよ。特にロリババアってあれは狙いすぎだと思うんだ。確かに見た目とのギャップはあるけどギャップだけになっているっていう場合が最近多くない? それに対してこの僕が描いたキャラはちょっと違う。三十代くらいの見た目で精神は老女なんだ。ちょっと女帝っていう感じが」


「すいません、何言ってるかわからないです」


 ひたすらしゃべる山木先輩の言葉を俺は遮った。一旦語り始めると早口で延々としゃべり続けることは経験済みだから遠慮はない。


 若干引きつりつつも申し訳なさそうな俺の顔を見た山木先輩は目を見開く。


「ごめんごめん。また悪い癖が出ちゃったね」


「それで結局、このイラストを見て俺はどうしたらいいんですか?」


「狐の擬人化に見えるかどうかが知りたいんだ」


「尻尾の方は猫とは違うんですね。耳では違いがわからないです。それくらいかなぁ」


「なるほど。参考になったよ」


 用が済むと俺は木製の机に立てかけてあったパイプ椅子を広げて座った。


 再びノートパソコンへと視線を向けた山木先輩が話しかけてくる。


「きみが入部してくれて僕は本当に助かる」


「週に一度ここに来て部長と話をしてるだけですけどね」


「僕ときみ以外は幽霊部員だから全然違うよ」


 内情を知っている俺は苦笑いを返した。十人にも満たない部員で活動しているのが二人だけなんてもはや廃部寸前だ。


「緊急避難的な入部で、しかもオカルトに興味なしってのは部員失格だと思いますけど」


「それでも、僕の代でいよいよ終わりかなと思っていたところにきみがやって来てくれたのは嬉しいというか安心したよ」


「やっぱり自分の代でなくなるのは寂しいですか」


「もちろんそれもあるけど、何て言うか、先輩達に対して申し訳ないという気持ちが湧いてくるんだ」


「ということは、このままだと俺の代で潰れるんだ。あー」


 名前も知らない大先輩ならともかく、目の前の先輩になら俺もそう思えるかもしれない。


「山木先輩にはちょっと恩があるから、何かできればいいんですけどねぇ」


「無理しなくてもいいよ。僕が就活で引退したら後は好きにしてくれても。延命してくれるだけでこっちはありがたいし」


「来年は一人か。どうしよ」


「僕が二年生だったときも実質一人だったから元に戻る感じだね」


「去年ですよね。何やってたんです?」


「噂のある所にあっちこっち行ってたり、このブログを更新してたりしてたよ。僕はオカルト好きだからやること自体はあったんだ」


 教えてもらった興隆大学オカルト同好会のブログは俺も一度見たことがあった。更新頻度は週に一度とぼちぼちだ。内容は実のところほとんど読んでいない。


 会話が途切れてしばらくして山木先輩がキーボードを叩きながら俺に話しかける。


「きみの場合、単純に人を集めるだけならどうにかなるんだろうけど、さすがにあの方法はなぁ」


「なんですか、それ?」


白芳しらよしさんだよ」


「あー」


「先月はすごかったらしいね。僕のところにも噂が耳に入るほどだったから」


 苦笑いする山木先輩に俺は顔を引きつらせた。


 大学に入学して間もなくの頃、俺が忘れた財布を白芳が届けてくれたことがある。そのときに大学生の間で目立ってしまったのだ。


 何しろ人に化けた白芳は美少女で、更に紅白の巫女装束というコスプレとしか思えない出で立ちだったのが悪かった。


 そのせいで俺が関係者だとつきとめた連中からのサークル勧誘攻勢が始まってしまう。これを嫌って入部したのがオカルト同好会だ。


「あんなふざけた理由でも入れてもらえて感謝してます」


「この同好会が役に立ったんなら結構なことだよ。こちらも部員が確保できたし一石二鳥さ」


「そう言ってもらえると助かります。ただ、部員集めに白芳を使うのはちょっと」


「デュフフ、冗談だって。そんなことをしても幽霊部員が増えるだけだから意味ないし」


「ですよねー」


「美人過ぎる親戚の子と同居するっていうのも大変だね」


「ははは」


 同情するかのような発言に俺は愛想笑いを返すしかなかった。


 世間に対する俺と白芳の関係いいわけは親戚の娘さんを事情があって預かっているというものだ。実際は親戚という部分だけが違うので完全に嘘ではない。


 自分のことを色々と考えていると、山木先輩がノートパソコンを閉じた。アダプターをコンセントの差込口から引き抜いてパソコンケースに入れる。


「さて、ブログの更新も終わった。蔵田くんは、これからここで何かするかい?」


「いえ別にこれといって。それよりも来週はどうするんです?」


「僕は来週こっちには来ないよ。市内の心霊スポットを巡ってくるつもりだから」


「また地元密着なことをしますね」


「平日は夕方から夜に出向くんだけど、土日は一泊するつもりなんだ」


「危なくないですか? いや、霊的なものじゃなくて、ヤバイ連中に絡まれたりとか」


「実は一人じゃないんだよ。他の大学の心霊現象研究会と合同でやるから」


「そんなこともするんですか!」


 潰れかけの同好会にしては随分と積極的に活動していると感心した。その次世代が俺なのが申し訳ないくらいだ。


 ノートパソコンを片付け終わった山木先輩が立ち上がる。


「そっか、まだ教えてなかったっけ。他の大学とも一緒にやってることもあるんだ。SNSで緩く繋がってるしね」


「あー、そっちでですか」


「きみも興味があったら紹介するよ」


「考えておきます」


 真面目に活動しないのならば逆に紹介してもらわない方がいいなと俺は思った。でないと相手に失礼だからだ。


 とはいっても、実のところ俺とオカルトの相性は良かったりする。何しろ同居人が猫又で田舎で神社に祀られている妖怪とも知り合いだ。ネタには事欠かない。


 問題なのは公表できないという点だ。致命的すぎる。そのため、せっかくのオカルト同好会だが活動できない。


「僕は帰ろうと思うけど、蔵田くんはどうする?」


「特にないんで俺も出ます」


 返事をした俺はパイプ椅子から立ち上がった。黒い肩掛け鞄を手にすると先に廊下へと出る。正面は大窓で外の景色がよく見えた。部室へ来る前より雲の色が濃くなっている。雨が降るかもしれない。


 帰り道に逃げ場がない俺は眉をひそめた。さっさと帰った方が良かったなと後悔するがどうにもならない。


 扉の施錠をした山木先輩の後に俺は肩を落として続いた。

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