二人の関係
俺が初めて
何も知らなかったあの頃の俺にとって誰もいない神社は神秘に満ちあふれていた。どれを見ても何を触っても楽しくて仕方がない。
そうやって俺が一人で遊んでいると、白地の着物に
驚いた俺は目を丸くして女の子をじっと見つめる。何しろその頭には白い猫のような耳が二つ生えている上に背後で白い二つの尻尾がゆらめていていたからだ。
その女の子が俺に問いかけてくる。
「ねぇ、どこから来たのよ?」
「なんで猫みたいな耳が生えてるの? しかも尻尾も二つあるよね?」
初めて交わした言葉はお互いに対する疑問だった。俺は小首をかしげるだけだったのに対して女の子は慌てて頭とお尻に手をやる。
「また失敗してるー!」
「それ、生えてるんだ! ねぇどうなってるの?」
赤面する女の子に俺は近づいた。不思議で仕方ないその獣耳を触ると女の子は息をのむ。
「近所の猫とおんなじだ」
「だから、誰なのよ?」
「ぼく?」
「そうよ。普通は触る前に名乗るものでしょう? 私は
「ぼくは
「それは私が人間じゃないから、あ!」
言ってはいけないことをしゃべったらしい白芳は泣きそうな顔をした。
かわいそうに思えた俺はすぐに慰めてやる。
「聞いたらダメだったことなの?」
「うん。だから忘れて」
「忘れるのは無理だけど、内緒にするよ」
「本当?」
「うん、約束!」
秘密にすると俺が約束したことで白芳に笑顔が戻った。それを見てどきどきしたことを今も覚えている。
以来、俺達はよく境内で遊ぶようになった。さすがに毎日じゃなかったけど暇を見つけてはよく神社へ足を運んだな。
でも、人は社会で生きていかないといけない。俺の場合はそのために高校を卒業したら村から出て行く必要があった。
だから俺は出発の前日に境内で白芳へ提案する。
「白芳、あのさ、明日村を出るんだけどな、お前も一緒に来るか?」
「え?」
話し終えた俺は緊張しながら返事を待った。
しばらく呆然としていた白芳は満面の笑みを浮かべてうなずいてくれる。しかも、若干顔が赤いような気がした。
誘いを受け入れてもらえたことで喜んでいた俺は突然本殿から聞こえる声を耳にする。
「そなた、儂の許可も得ずに了承するのか」
「お母さま!」
白芳の叫び声に俺は驚いた。
勢いよく振り向いた白芳の奥、本殿の横から馬くらいの大きな三毛猫がのそりと姿を現す。白、黒、茶色のまだら模様がちょっとかわいらしい。
茶色い瞳を俺に向けたままこちらへと近づいて来る。
「対面するのは初めてだな。儂はお
「三毛夜叉様!?」
「うむ。我が娘白芳と出会ったときから見守っておった」
衝撃の事実を聞いて俺は絶句した。しかも大きくて威厳があるくせにかわいらしい外見なんだから尚更だ。
どう返答しようかと迷っている俺をよそに三毛夜叉様は白芳を睨む。
「いつになったら善賢を儂に引き合わせるのかと思っておったら、そなたは結局その機会を作れぬじまいじゃな」
「お母さま! 善賢とはそのうちにって」
「そこの善賢は明日には村を出て行くのじゃぞ。ここで会わねばいつ会うというのじゃ」
反論できないらしい白芳が言葉に詰まった。ピンと立っていた白い二つの尻尾がすっかり垂れ下がる。
次いで三毛夜叉様は俺に目を向けてきた。結構怖い。
「善賢、そなたはなぜ白芳を誘ったのじゃ?」
「この辺りに住み着いている妖怪で、ずっと一人ぼっちだと思っていたからです」
「白芳が養女とはいえ、儂の娘だとは知らなんだのか?」
「今初めて聞きました」
再び三毛夜叉様の顔が白芳に向けられた。その茶色い瞳に残念そうな感情を
肩を震わせた白芳の顔がこわばる。
「白芳、そなたが今まで機を逸し続けていたせいで色々と話しが噛み合わんではないか。ずっと待っておった儂にも非があるとはいえ、もっと
「申し訳ありません」
「まったく、このまま外へ送り出すのは不安があるの」
「お母さま?」
「いつかは見聞を広めるために村の外へとやるつもりであった。それが今になるとはちと予想外じゃがな」
「それでは、私は善賢と一緒に村を出てもかまわないのですか?」
「せめてその抜けっぷりがなければ安心なのじゃがのう」
「ありがとうございます!」
「愚痴に礼を言うものではない」
三毛夜叉様はすんなりと白芳が村を出ることを認めてくれた。場合によっては説得しなければいけないと覚悟していたから俺の肩から力が抜ける。
こうして、俺は白芳と故郷の三森村から現在の羽黒市へと移った。
新天地での生活は慌ただしく始まる。あらかじめある程度準備していたとはいえ、実家を出て生活するのは初めてだったからわからないことだらけだ。
けれど、俺よりも白芳の方が大変だった。何しろいきなり知らない場所で人間の生活を始めることになったからな。それを考えると家事全般などの適応力は驚異的だろう。
そんなある日、俺は白芳と近くのスーパーへと買い物へ出かけた。徒歩で二十分くらいの近場だ。週末だけあってなかなかの混雑している。
ショッピングカートを一台引っ張り出すと赤いかごを上に一つ乗せた。カートを押すのは俺の役目だ。広い店内の野菜エリアから順に回っていく。
「どれがいいかな」
「野菜よりもお肉をたくさん買いましょう」
「食欲に忠実なのは悪いことじゃないけど、野菜だって必要だろう」
「お肉の方がおいしいじゃない」
「そりゃそうなんだけど栄養のことを考えたら、ってそうか、白芳は肉だけでいいのか」
何かの記事で猫は肉食動物だと見たことを俺は思い出した。人に化けると何でも食べられるけど猫の習性は強く残るらしい。
嫌いな物を無理に食べさせるのは良くないので俺は野菜エリアから早めに出た。続いて肉類エリアに移ると白芳の目が輝く。
「うふふ、いつ見てもいいわね!」
「あんまり買いすぎたらダメだぞ。仕送りの額には限りがあるからな」
「わかってるわよ!」
挑戦的な笑みを俺に見せた白芳はすぐに目の前の肉へと目を向けた。毎回肉を選ぶときは真剣なのが微笑ましい。
肉を選び終わると後は牛乳やパンや雑貨類を見て回った。大体必要な物は絞られてきたから買う物も似たような物になっていく。
こうして数日分の品物をかごに入れてレジに向かった。レジ台は横一列にたくさんけどみんな行列ができている。
「さすがに週末は混むな。結構待ちそうだ」
「そのうち順番が回ってくるでしょう。それにしても、みんなたくさん買ってるわね」
「何度もスーパーへ来るのは面倒だからな。まとめ買いもするだろう」
「私達と同じね」
列に並んでいる間はやることもないので二人とも周囲を眺めていた。かごの品数が少ない人が多い行列に並びたかったがどこも似たようなものだ。
次第にレジ台へと近づきながら白芳がつぶやく。
「それにしても若い人が多いわね」
「ここのスーパーだとお年寄りは平日の方が多いな。理由まではわからないけど」
「ふ~ん。夫婦かな?」
「見た目じゃわからんよなぁ。子供連れならともかく」
「私達はどう見えるのかしら?」
小首をかしげた白芳に対して俺は言葉に詰まった。今まで考えたこともなかったからだ。改めて周りの若い男女の組を見てみたがもちろん回答なんて見つからない。
何と答えようか考えながら俺は再び白芳へと顔を向けた。なぜか尋ねた当人が眉を寄せている。そして、少し顔が赤くなった。何を考えているんだ、こいつは。
「なんでそんな変な顔をしているんだ?」
「変なって!? ひどいわね。ちょっと考え事をしていただけじゃない」
「そりゃ見ればわかるけど、一体何を考えていたんだよ?」
「それは、その、私達はどう見えるのかなって」
「俺にした質問とおんなじじゃないか」
「で、返事は?」
「まぁいいや。友達、かな。兄妹は無理っぽそうだし」
「あーうん、まぁ、そうよねぇ。あはは、友人が妥当なところよねぇ」
納得の回答だったらしく白芳が何度も頷いていた。
確かに今は同じ家に住んでいる。けど、俺と白芳は小さいときから一緒に遊んでいた幼馴染みだ。それ以上でも以下でもない。
その理屈に納得した俺も白芳と同じくうなずいた。これが俺達の正常な関係だ。
なぜか居心地の悪かった感情がようやく落ち着いたところでレジ台で清算する。今回もなかなかの量を買ったな。
カートを押して進むと俺は細長いサッカー台にかごを置いて白芳と持ってきた袋に品物を入れ始めた。
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